自衛隊卒のセラピスト

セラピスト&自衛官の経験と共に、笑顔になる話題をお届けします。

【戦争と平和④】『芳賀綏』の著作でこれからの日本をうらなう

令和7年12月31日

日本語学者の『芳賀綏』。世界の多数を占める「凸型文化」に対し、日本人の文化を「凹型文化」と考察しています。その文化の比較を通して今後の日本をうらないます。是非ご覧ください☆

お疲れ様です。

 

自衛隊卒のセラピストの岡田 凰里(おかだ おうり)です。

 

ブログを読んで下さって、ありがとうございます。

 

 

今日は大晦日

 

今年も今日で最後ですね。

 

皆さまはどんな一年でしたか?

 

わたしはあたたかい気持ちで過ごせた一年でした。

 

一年間、本当にお疲れさまでした。

 

 

11-12月のブログのテーマは

戦争と平和

 

です。

 

太平洋戦争終戦80周年を捉えて、このテーマでお伝えしています。

 

これまで、

11/12 【戦争と平和①】軍事学者クラウセヴィッツ『戦争論』を通して

12/3  【戦争と平和②】法学者『カール・シュミット』の著作を通して

12/22 【戦争と平和③】クリスチャンで評論家『山本七平』の著作を通して

 

の3回にわけて、戦争の現実をお伝えしています。

 

これまでご紹介の著者は、ご自身が戦争に従軍した経験のある方々でした。

 

経験者ならではの生々しい経験が、その著作に与えた影響は大きいと思います。

 

 

今回ご紹介する芳賀綏(はがやすし)先生は、1928年生まれ。

 

戦前生まれですが、終戦時には17歳になる年。

 

学徒出陣でも19歳からの徴兵でしたので、戦争には参加していないと思います。

 

ただ、物心ついたころには日本は世界各国と戦争をしていました。

 

戦中・戦後の日本を見つめ、平成とともにこの世を去った芳賀綏の著作を通して、今後の日本をうらないたいと思います。


ブログは以下の内容です。

1 芳賀綏と日本の『凹型文化』

2 世界を占める『凸型文化』

3 戦後の日本人が失ったもの

4 和らぎの文化を世界に伝える

5 まとめと次回のテーマ

それでは始めていきますね!

 

 

1 芳賀綏と日本の『凹型文化』

芳賀綏(はがやすし)先生は、福岡県に1928年生まれました。

 

年代的には多感な思春期の頃には、日本は対外戦争を行っていました。

 

日中戦争や太平洋戦争ですね。

 

戦後は東京大学に入学し、様々な大学の助教授を務めたのち、東京工業大学の教授になって、同大学の名誉教授になっています。

 

ウェブで調べると、『日本語学者』という肩書になっています。

 

 

えー、、、(^-^;

 

 

ハイパーエリートですね(^n^;

 

 

そんな芳賀先生ですが、わたしが先生を知ったのは実はごく最近です(^^;

 

今年度に入った頃に今回のブログのテーマを「戦争と平和」に決めたんですが、それにあたって色々な書籍をあたる中で知りました。

 

先生の著作の特長は、日本語や日本人について深く研究しているのはもちろんなんですが、それらをとても肯定的に捉えていることです。

 

前回のブログでご紹介した山本七平は、とても批判的に日本人について語っています。

 

氏の著書には、日本人に関するものがたくさんあります。

 

そしてその多くが、

 

「日本人の感覚は説明しにくい」

 

「日本人は海外から見ると非常識である」

 

「日本人の宗教観はよくわからない」

 

このような内容になっていると感じます(^^;

 

こんな著作が多いのは、戦前には珍しくキリスト教徒の家庭に育ったからなんだと思います。

 

聖書に基づいて行動するキリスト教徒から見ると、その行動原理が明文化されていない日本人は、特異に見えたんだと思います。

 

 

また、白洲次郎しらすじろう)という方も、日本人について批判した本

「プリンシプルのない日本」

 

を著しています。

 

白洲次郎は戦後、当時の首相の吉田茂に請われて終戦連絡中央事務局参与となって、日本国憲法の成立などに貢献した方です。

 

氏が直接執筆した著書はこの一冊のみの様ですが、日本人に対してプリンシプル(principle)、つまり「原理原則をもって行動せよ」と唱えた方です。

 

白洲次郎は、1902年生まれで神戸第一中学を卒業後、イギリスのケンブリッジ大学に留学しています。

 

 

この方も、ハイパーエリートですね(^-^;

 

 

戦前には珍しく、若くして欧州の文化に触れています。

 

きっとそこで欧州人と日本人の違いを、まざまざと感じたんだと思います。

 

 

 

わたしは山本七平白洲次郎の著作を、20代の頃に読みました。

 

その批評は、本当に的を射ていると思います。

 

確かに、日本人ってそういうところがあるよなと(^^:

 

20世紀以降のグローバルな社会でやっていくためには、もちろん両者のおっしゃる通りだと感じます。

 

 

 

ただ人間の特性として、否定的なことにはよく目が行くものですが、肯定的なことにはなかなか目がいかないものです。

 

 

 

今回ご紹介する芳賀先生は、日本人の文化を肯定的に捉え、”凹(おう)型文化”と呼んでいます。

 

 

凹(おう)凸(とつ)の”凹”ですね。

 

あ、ちなみに凹凸って、漢字ですからね(^ⅿ^)

 

中学生の時に先生に習いました(^^♪

 

 

凹型文化にはどんな特徴があるかというと、

 

『和合性』

 

『受け身(受容)性』

 

『原理原則回避(ファジー好み)』

 

『不徹底性』

 

『余韻余剰や陰影の愛好』

 

このような意識傾向を持った文化だそうです。

 

ちなみにファジーとは”あいまい”という意味ですね。

 

 

 

「穏やかで、内気で、物事を徹底せず、まじめで、キメ細かい」

 

 

 

確かに日本人であれば、このような特徴を日本人らしいと感じると思います。

 

 

 

そしてこのような文化は、

 

「地理的条件」

 

「自然環境」

 

「言語的な特性」

 

このようなものによって成り立っていると考察しています。

 

 

 

ただ、凹型文化は世界を見渡しても珍しいようです。

 

特に先進諸国では、日本だけが凹型文化だそうです。

 

日本人にとって当たり前の凹型文化は超少数派。

 

世界の大多数は『凸型文化』に占められています。

 

 

2 世界を占める『凸型文化』

「世界」をどの程度の範囲と定義するかは難しい問題です。

 

芳賀先生の著作の記述から考察すると、ユーラシア大陸の国と欧州から派生した国になると思います。

 

その国々の大多数は、『凸型文化』だそうです。

 

凹型文化との比較で凸型文化の特徴でお伝えすると…

 

 

「内向より外向」

 

「忍従より攻撃」

 

「和合より対立」

 

「現実適合より原理原則」

 

「集団維持思考より目的達成思考」

 

「柔ではなく剛」

 

 

だそうです。

 

これは、東洋人、西洋人というようなくくりではなく、前項でお伝えしたように地理的条件、自然環境、言語的特性によって成り立っているようです。

 

 

日本人からすると、

 

「あ、そうなんだ~」

 

「へ~」

 

と言って、そういった人からはそっと距離を取りたくなりますよね…(^-^;

 

まあもちろん、特徴を文字で表現していますので”こういった傾向がある”ということですので、そこはほどほどに受け取ってもらえればと思います(^^;

 

わたしは外国には、中国と韓国に旅行でしか行ったことがありません。

 

この文化の違いを感じるには、その土地で仕事をしてみたり、住んでみたりしないとなかなかわからないものです。

 

ですので、わたしの実体験ではありませんが、芳賀先生の著書から凸型文化のエピソードをご紹介したいと思います。

 

 

 

『筆者の知人で日中間の平和を念願する言論人が、北京の準官営のホテルに泊まった時のことです。

 

何十坪もある広大なスイート風の部屋なのに、バスも洗面も湯が出ない。

 

遅い時間だったのであきらめて就寝し、翌日、チェックアウトの時に、同行者が、部屋で湯が出なかったと、言ってくれたら、フロントの責任者(三十代前半?の美人)の顔つきが一変。

 

すぐにスタッフを部屋に行かせて事実だとわかったら

 

「昨日のうちに知らせれば対応したのに、それをしなかった方に責任がある」

 

と非難し始めるではないか。

 

深夜なので遠慮したのだというと

 

「それなら今頃、文句を言うのは間違っている」

 

と目を吊り上げ”夜叉のごとき表情”で怒鳴り返し、舌戦をつづけたというのです。

 

あまつさえ

 

「あんた、部屋のハンガーをどこへやったのか」

 

と言いがかりをつけはじめるしまつだったそうです。』

 

 

 

こんなエピソードが記載されています。

 

 

 

これが『和合より対立』という凸型文化のエピソードだそうです。

 

 

 

『攻撃は最大の防御なり…』の文化だと、「  …  」で含みをもたせて記述してあります(^^;)

 

 

 

その他にも色々なエピソードを上げ、

 

『「自己の非を認める」ことなどは悪徳とさえ言えるでしょう。

 

決して謝らぬ、という対人態度は彼らには”三つ子の魂”とすべきものです。』

 

こんな記述とともに紹介されています。

 

 

 

言ってしまえば、このような感覚がグローバルスタンダードなわけです。

 

 

 

日本人からすると、このような感覚はあっけにとられ、思わず口を閉じてしまいますよね。

 

ただ、「攻撃は最大の防御」という感覚からすれば、閉口は負けを認めたことになってしまいます。

 

「いやいやいや!」

 

とツッコミたくなるのは日本人であれば当然ですが、グローバルスタンダードからすれば、日本人の感覚の方が

 

「イヤイヤイヤ!」

 

なわけです(^-^;

 

 

 

文化の違いというのは、なかなか難しいものですよね。

 

 

 

そしてこの文化は、地理的条件・自然環境・言語的な特性で成り立っているのわけですから、その土地の文化で育てば日本人だとしても凸型の感覚になるわけです。

 

逆に日本以外の方でも、日本で育てば凹型の感覚になるわけです。

 

ですので、これは人種的な問題ではありません。

 

こういった文化を背景に

 

「○○人は・・・」

 

というようなことを言うのは、非常にナンセンスだと感じます。

 

 

 

著作から読み取れるのは、凸型文化の皆さまは過酷な環境を克服して、生き抜かなければならなかったということです。

 

ユーラシア大陸では、自然を愛でるという感覚を育むのが難しい自然環境が多く存在しているようです。

 

これは日本のような四季折々の変化を楽しめる自然とは、全く違った環境だと思います。

 

その厳しい自然環境で家族を養い、子孫を残して生き抜いていくには凸型文化が最適解だったんだ思います。

 

 

 

日本は江戸時代に250年以上鎖国し、開国してから明治維新を経験し、急速にこの凸型文化に対応しなければなりませんでした。

 

文明開化と称して、西洋文化をどんどん取り入れました。

 

技術的なことを取り入れるのは、そこまで難しくなかったかもしれません。

 

ただ感覚的なこと取り入れることは、非常に難しかったと思います。

 

そもそも論になってしまいますが、文化的な背景が違うので理解できないという問題が発生したはずです。

 

そしてグローバルという濁流に飲み込まれるようにして、日本は戦争に向かいました。

 

 

 

ここで先ほどの凹型文化と凸型文化の違いを、もう一度お見せしたいと思います。

 

「内向 vs 外向」

 

「忍従 vs 攻撃」

 

「和合 vs 対立」

 

「現実適合 vs 原理原則」

 

「集団維持思考 vs 目的達成思考」

 

「柔 vs 剛」

 

 


さて、どちらが勝つと思いますか?

 

 

 

こう見ると、凹型の文化を持った日本人が外に打って出たのは、自分自身が苦手なことをしてしまったと感じます。

 

迫りくる敵を追い返す力はあったとしても、打って出るのは勝手が違います。

 

苦手なことをうまくやるのは、本当に難しいことです。

 

これは誰でも同じだと思います。

 

そして苦手なことは、失敗する確率の方が高くなります。

 

これも誰でも同じだと思います。

 

 

 

そして日本は80年前の先の大戦で、凸型文化に敗れました。

 

 

3 戦後の日本人が失ったもの

太平洋戦争に敗戦した後、日本はアメリカに占領されました。

 

占領中には、これまでの日本の教育は否定され、新しい教育がなされました。

 

前回のブログでお伝えしましたが、アメリカからしたら日本は

 

「キレさせたらヤベー国」

 

に映っていたはずです(^^;

 

 

 

そんな国を、キレさせないためにどうするか。

 

 

 

彼らは凸型文化の国です。

 

『分析する』ことや『論理的思考』は得意分野です。

 

日本のことを徹底的に分析して、もう二度とキレさせないための占領政策を施したはずです。

 

凹型文化の日本のように『非分析的な感覚的思考』とは違います。

 

そして受容型の凹型文化の日本人は、その占領政策を受け入れました。

 

日本人ならではの「潔さ」だったのかもしれません。

 

潔く負けを認めれば、「武士の情け」があると思ったのかもしれません。

 

 

 

ただ、凸型文化の人間には、そうは映りません。

 

 

 

潔く受け入れるその姿は、完全に屈服したと映っていたような気がします。

 

凸型の、

 

「外向」

 

「攻撃」

 

の文化を持っていたらならば、人種差別的な思想もあいまって、完全に屈服しているのをいいことに、徹底的に”キレさせないための政策”を行ったように感じます。

 

ただ、先人たちは日本人らしさがギリギリ保てるように交渉し、なんとか国体を保ってくれたんだと思います。

 

このブログでご紹介した、白洲次郎はその内の一人です。

 

 

 

政治のニュースを拝見していると、たまにこういった言葉が聞こえてきます。

 

「日本はアメリカの言いなりになっているのではないか!」

 

と。

 

 

 

これは当たり前です。

 

なぜなら、日本はアメリカに負けたからです。

 

戦争に負けて占領されていたわけですから、例え主権を回復しようと、その影響から逃れられるはずはありません。

 

一般企業で例えれば、経営不振で買収された状態と同じことです。

 

買収された後に経営を立て直し、自律的に経営できるようになったとしても、買収元には逆らえませんからね。

 

 

 

80年前の敗戦を機に、日本人は多くのものを失いました。

 

 

 

そして、日本人らしさを否定しなければなりませんでした。

 

 

 

戦前生まれの方がご存命の内は、その影響は小さかったかもしれません。

 

 

 

ただ、戦後生まれの日本人は、みずからの国を否定するような教育を受けてきました。

 

 

 

そして先人たちがどれだけ頑張ったとしても、敗戦した事実はかわりません。

 

 

 

例え対外的に理不尽な事があったとしても、それを飲み込まねばなりませんでした。

 

 

 

そういった中でも先人たちの努力もあって、日本はエコノミックアニマルと揶揄されるほどに、経済発展を遂げました。

 

 

 

その経済発展の上に今の生活があるわけですから、本当に感謝しかありません。

 

 

 

ただ、理不尽なことが続いてしまうと、次第にそれに抗うことを諦めるようになってしまいます。

 

これを心理学では学習性無力感と言います。

 

これは檻に入れた動物に、電気刺激を断続的に与えると、最初は逃げる行動をとるものの、逃げられないことがわかると次第に逃げることをやめる、という実験で示されています。

 

そして学習性無力感は、うつ病の要因の1つだと言われています。

 

 

 

わたし個人の感覚で大変恐縮ですが、戦後の日本人が失った最も大きいものは

 

『理不尽に抗う力』

 

だと感じています。

 

 

 

学習性無力感に陥ってしまい、半ばうつ病のような状態になってしまっている。

 

 

 

それが今の日本のように感じます。

 

 

 

ただ、なんとかギリギリ、まだそのような状態になっていない方もいらっしゃいます。

 

 

 

そして先の大戦から80年経って、時代は変わりました。

 

 

 

自然を克服し、目的達成思考で生きる凸型文化の皆様のお陰で、先の大戦後も科学技術はどんどん発達しました。

 

その影響で、生活は格段に便利になり、食糧事情も改善しました。

 

自然災害の被害はもちろんあるものの、以前に比べれば自然の脅威にはさらされにくくなくなりました。

 

こういったことは、凸型文化だからこそできたことだと思います。

 

日本もそれを受け入れてきたわけです。

 

凸型の文化に感謝ですね。

 

 

 

ただこうなってくると、凸型文化の存在意義が薄れていく感じがするんです。

 

 

 

そもそも凸型文化を形成したのは、過酷な自然環境を克服し、自分と子孫を守って生き抜いていくためのものでした。

 

自然の脅威をある程度克服し、食料事情が改善した今、凸型文化を形成する必要が無くなってきているはずです。

 

 

 

それでも世界各国では、今この瞬間にも戦争が継続されています。

 

 

 

もしかすると凸型文化の皆さまは、その文化が長く続いた影響で、『凸型』にしか生きられなくなっているのではないでしょうか。

 

 

 

しつこいようですが凹型文化と凸型文化の違いを、もう一度お見せします。

 

「内向 vs 外向」

 

「忍従 vs 攻撃」

 

「和合 vs 対立」

 

「現実適合 vs 原理原則」

 

「集団維持思考 vs 目的達成思考」

 

「柔 vs 剛」

 

 

 

凸型の生き方しか知らないがために、

 

「剛的に対立し、攻撃して目的を達成する」

 

そんな生き方しかできなくて、お互いに傷つけあいながら生きているのではないでしょうか。

 

 

 

もしそうであれば、本当に哀しいことです。

 

 

 

そうしたいからしているわけではなく、それしか知らないから、やめたくてもやめられない。

 

 

 

もし本当にこんな状態だとすると「不憫」だと感じます。

 

 

 

古語で言えば「もののあはれ」を感じますよね。

 

 

 

そんな状況を見れば、何とかしてあげたいなと思うのが日本人ではないでしょうか。

 

こういった現実に対して、わたしたち日本人にできることがあると思うんです。

 

 

4 和らぎの文化を世界に伝える

わたしたち日本人は、恵まれた地理的条件、自然環境、そして言語的な特性のもとで、和らぎの凹型文化を形成してきました。

 

先進諸国の中では唯一だそうです。

 

そして凸型文化のアメリカの占領を経ても、先人の努力もあって、なんとかその凹型文化を維持しています。

 

 

 

そして先の大戦から80年を迎え、凸型文化の存在意義が薄れてきた今、日本人がその和らぎの凹型文化を世界に伝える時が来ているように感じます。

 

 

 

それが、これからの日本人の使命のように感じます。

 

 

 

ただそれを伝えるにあたって、一度否定されてしまった日本人らしさを取り戻す必要があります。

 

学習性無力感に打ちひしがれ、半ばうつ病のような状態では、凹型文化を世界に発信するパワーが沸いてきませんからね。

 

 

 

そのためには、先の大戦をしっかり見つめ直す必要があります。

 

 

 

11-12月のブログのテーマは、『戦争と平和』でした。

 

国内外の書作を通して、戦争の現実と先の大戦が日本にとってどういったものだったのかを説明しました。

 

欧州の行き過ぎた植民地支配にキレて、植民地支配の打倒には成功したものの、凹型文化の日本人に合わない対外進出が行き過ぎたせいで、戦争には負けてしまったんでしたね。

 

 

 

また、先の大戦の日本国内の過ちを振り返るのに、一番いいものがあります。

 

それは今年の10月10日に発表された、石破前首相の「戦後80年に寄せて」という、内閣総理大臣所感です。

 

これほど簡潔明瞭に、国内の過ちを振り返れるものは無いと思います。

 

石破前首相に関しては、賛否両論あるのは承知していますが、この所感は本当にわかりやすいと感じます。

 

まだお読みでない方は、ぜひ一度ご覧ください。

 

石破茂元首相「戦後80年に寄せて」(PDF)

https://www.kantei.go.jp/jp/content/20251010shokan.pdf

 

 

 

そして、凸型文化の皆さまに、和らぎの凹型文化を発信するにあたって大切なことがあります。

 

それは凸型文化の皆さまは、

 

「原理原則を大切にする」

 

ということです。

 

原理原則がわからないと、行動できないんです。

 

これは凸型文化の皆さまが、一神教の宗教を信仰し、その教義に基づいて行動しているからだと思います。

 

 

 

ただ、白洲次郎は「プリンシプルのない日本」という著作の名の通り、”日本人は原理原則がない!”と批判しています。

 

山本七平はその著書の中で、不思議な日本人の宗教観について、”日本人は「日本教」を信仰している”と表現し、一神教の人間にとっては、理解に苦しむと著しています。

 

そして芳賀先生も「日本人らしさを発信しよう」と宣言し、凹型文化の説明はしているものの、その根底にある原理原則には言及していません。

 

 

 

そこで、私見で大変恐縮ですが、日本人の凹型文化の原理原則と宗教観をお伝えしますね。

 

これは、わたしがこれまでの人生の中で色々な著作を読み、陸上自衛隊で戦闘訓練を経験し、公認心理師として様々な心理を探求した上でお伝えするものです。

 

 

 

 

 

日本人の和らぎの凹型文化の原理原則は、

 

『あたたかい気持ちになることをする』

 

です。

 

 

 

空気を読み、気遣いをして、和を以て貴しとなす凹型文化の日本人の原理原則は、「あたたかい気持ち」を保つためのものだと感じます。

 

一度、わたしたち日本人の行動を振り返ってみてください。

 

きっと、あたたかい気持ちを大切にしているからこその行動だと感じるはずです。

 

 

 

 

 

次に日本人の宗教観は、

 

『感謝の気持ちで祈ることを大切にしている』

 

です。

 

日本人はクリスマスを楽しみ(キリスト教)、大みそかには除夜の鐘を突き(仏教)、お正月には神社に初詣に行く(神道)という、凸型文化の一神教の皆さまからしたら、訳の分からない文化です(^-^;

 

これは日本人が、宗教の教義を気にしてないから成り立つことです。

 

そんなことをしていたら、初詣とクリスマスと除夜の鐘が同時に成り立つわけないですからね(^^;

 

日本人は、「祈る」という行動自体を大切にしていると感じます。

 

そしてその祈りの根底には、感謝の気持ちがあること。

 

祈ること自体が大切だからこそ、その対象が何であれ気にしないというのが日本人だと感じます。

 

怨霊と言われた平将門菅原道真を祀る神田明神天満宮をお参りするのも、祈ること自体が大切だからに他なりません。

 

「感謝の気持ちで祈って、何になるんだ?」

 

と問われれば

 

「あたたかい気持ちになりますよね」

 

と答えられますよね(^^)

 

 

 

 

 

凸型文化の皆様には、こういったことをお伝えしてから凹型文化を発信した方が、わかりやすいように感じます。

 

 

 

そして科学技術の発展に貢献し、豊かさを与えてくれた凸型文化の皆様が、自らの呪縛にとらわれているのであれば、その呪縛から解放されることを願ってやみません。

 

そのためにも、今こそ日本の和らぎの凹型文化を世界に伝えていく必要があると感じます。

 

 

5 まとめと次回のテーマ

今回のブログでは『戦争と平和』のテーマの総まとめとして、芳賀綏先生の著作を通して、これからの日本の使命についてお伝えしました。

 

 

和らぎの凹型文化を世界に伝えることでしたね。

 

 

そしてそのためには、われわれ日本人が日本人らしさを取り戻す必要があることもお伝えしました。

 

そのためには80年前の大戦が、日本人にとってどういうものだったのかを、清濁併せ吞んで受け入れる必要があると思います。

 

そのために、4回に分けてお伝えしました。

 

 

 

2025年は本日で終わりです。

 

 

 

今この瞬間に世界を見渡しても、凸型文化圏では戦争が行われています。

 

わたしだけの力では、それを止めることはもちろんできません。

 

ただ、日本人が日本人らしさを取り戻し、凹型文化を凸型文化の世界に伝えていけば、違った結果になることもあると思います。

 

 

「あたたかい気持ちになることをしよう」


「感謝の気持ちで祈ろう」

 

 

そんなことを世界にお伝えできればなと思う、今日この頃です。

 

 

 

 

 

そして最後に、ちょっとだけわたしの泣き言にお付き合いいただければと思います(^n^;

 

正直言うと、『戦争と平和』というテーマは、簡単にお伝えできることではありませんでした。

 

資料集めや構想も含めて、8カ月かかりました(^^;)

 

そして資料集めも大変だったんですが、AIツールが発達し過ぎていて、学術的な部分だとかロジカルな部分は、敵いようがないないと感じました(ToT)

 

質問すると、数冊分の文献のまとめが一瞬にして返ってくるんですもん(^^;

 

今回のブログでは、文献資料やウェブサイトの情報に基づいて、著者の心情的な部分に寄り添いながら、あくまでわたしが感じたことをお伝えしました。

 

AIは利用したものの参考までにして、文献やウェブサイトなどの裏付けのない情報は一切使用しませんでした。

 

このブログを読んで下さっている皆様に、AIの回答のまとめを読ませるようなことはしたくないですからね(^.^;

 

 

書ききれて、本当にホッとしています(^^;

 

 

今はインターネットが発達していますので、世界のことを手軽に知ることができますよね。

 

わたしは外国のことはよくわからないので、YouTubeで海外の文化を教えてもらっています。

 

特によく見ているのは、「MrFuji from Japan」さんです。

 

日本語をしゃべれる凸型文化圏の方が、日本と自国の文化を違いを楽しく教えてくれています。

 

もしご興味があれば、ご覧になってみて下さい。

 

 

それでは今年一年、あたたかい気持ちで送れたことに、感謝の祈りを捧げながらブログを終わりたいと思います。

 

皆様、良いお年をお迎えくださいませ!

 


次回のブログ更新は1月14日(水)の予定です。

 

1月のブログのテーマは、

『新年の抱負とわたしの日常』

 

の予定です。

 

お楽しみに☆

 

 

参考資料

1 Webcat Plus芳賀綏

2 ウィキペディア芳賀綏」「学徒出陣

3 首相官邸ウェブサイト

 

参考文献 

1 日本人らしさの発見 芳賀綏著 大修館書店 2013年12月

2 日本人らしさの構造 芳賀綏著 大修館書店 2004年11月

3 日本語の社会心理 芳賀綏著 人間の科学叢書 2007年11月

4 日本人とユダヤ人 イザヤ・ベンダサン著 角川書店 1991年6月第82版

5 プリンシプルのない日本 白洲次郎著 新潮社 2008年11月第20刷

6 戦争の世界史大図鑑 R・Gグラント編著 河出書房新社 2008年7月

7 あの国の本当の思惑を見抜く地政学 社會部部長著 ㈱サンマーク出版 2025年4月(第5刷発行)

8 戦争の世界史 マイケル・S・ナイバーグ著 稲野強訳 ㈱ミネルヴァ書房 2022年11月

9 植民地化の歴史 征服から独立まで マルク・フェロー著 片桐祐・佐野栄一訳 ㈱新評論 2017年3月

 

 

≪前回のブログ  -  次のブログ≫

 

 

陸上自衛隊に約15年勤務。レンジャー隊員。公認心理師産業カウンセラー

 

在職時は、年200件以上の面談に対応するカウンセラーの任務を行うと共に、隊員に対して「災害派遣の心構え」を教育をしていました。

 

そんな自衛隊での教育や、自身の災害派遣の経験をアレンジして、現在は「災害の心の準備」をお伝えするセミナー講師。

 

 

『どんな災害も乗り越える』

 

 

その心の準備を”自衛隊式”でレクチャーしています。

 

 

このブログでは、防災のこと、身心の健康、そしてちょっとだけ自衛隊の話を綴っています。

 

自衛隊での経験やセラピストとして学んだことが、皆様のお役に立てば幸いです。

 

ブログの更新は隔週水曜日。

 

月に一度、ブログテーマのアナウンスをしています。

 

アナウンスをご希望の方は、ご連絡ください。

 

連絡先はこちら
LINE公式アカウント:https://lin.ee/ky0Ngjp
Mail:sukkirioasis@gmail.com

 

読者になりたい方はこちら

 

最後までご覧いただきありがとうございました。感謝です。

 

 

WEBページ

 

公式X(エックス)

『身体の健康・心の健康・防災』のニュースをポストしています。

https://x.com/sukkirioasis

⇨フォローして、是非情報を受け取ってくださいね。

 

経歴・資格など

公認心理師(国家資格)、産業カウンセラー、リラクゼーションセラピスト(1級)、元陸上自衛官、レンジャー隊員、上級体育指導官、予備自衛官(衛生官)

〔※「Windship」及び「Windship treatment」は登録商標です。〕

 

戦争と平和ブログ 

●11/12 【戦争と平和①】軍事学者クラウセヴィッツ『戦争論』を通して

●12/3  【戦争と平和②】法学者『カール・シュミット』の著作を通して

●12/22 【戦争と平和③】クリスチャンで評論家『山本七平』の著作を通して

【戦争と平和③】クリスチャンで評論家『山本七平』の著作を通して

令和7年12月24日

ご自身が太平洋戦争で、フィリピンの戦場に従軍している山本七平。クリスチャンで評論家である山本氏の著作を通して、感じたことをお伝えします。是非ご覧ください☆

お疲れ様です。

 

自衛隊卒のセラピストの岡田 凰里(おかだ おうり)です。

 

ブログを読んで下さって、ありがとうございます。

 

 

メリークリスマス!

 

ですね(^^)

 

自分で祝うことはなくなりましたが、ケーキだけでも買ってクリスマス気分だけでも味わおうと思う今日この頃です(^^;

 

 

前回のブログでは、ドイツの法学者「カール・シュミット」の著作を通して感じたことをお伝えしました。

 

カール・シュミットの生い立ちを推察し、その主張が何のためだったのかを考察しました。

 

そして、シュミットは戦争について「倫理的にも、道徳的にも、経済的にもメリットはない」と考えていたこともお伝えしました。

 

前回のブログも是非ご覧ください。

 


さて、今回のブログでは戦場を太平洋戦争に移したいと思います。

 

今回ご紹介する山本七平は、もちろん日本人でフィリピンで従軍しています。

 

ただ、クリスチャンのご家庭に生まれるという、ちょっと一般的な日本人とは違った感覚をお持ちの方です。

 

だからこそ日本や日本人について、鋭い評論ができたのかもしれません。

 

そんな山本七平の著書を通して、戦争と平和についてお伝えします。

 

ブログは以下の内容です。

1 山本七平について

2 地上戦という悲惨な現実

3 日本ならではの「自転する組織」

4 なぜ日本は打って出たのか

5 まとめと次回のテーマ

それでは始めていきますね!

 

 

1 山本七平について

戦争と平和をテーマにするにあたって『山本七平』を取り上げることに、どのくらいの方がピンとくるのか…。

 

ちょっとわたしごときでは、実際のところどうなのかわからなくて…(^^;

 

氏の著書で一番有名なのは、恐らく「空気の研究」だと思います。

 

日本人には「空気を読む」という文化がありますが、これがどういったものなのかを説明したものです。

 

空気について説明するのはなかなか難しいことだと思いますが、”臨在感的把握”という言葉を使ってうまく解説してくれています。

 

その他には、「日本人とユダヤ人」という本も有名かもしれません。

 

日本人とユダヤ人の違いと共通点を記した本ですね。

 

イザヤ・ベンダサンというペンネームを使って書いたと言われています。

 

こういった文化的な評論を著した本もあるんですが、それとは別に戦争に関する著書もあります。

 

 

 

これはご本人が、太平洋戦争に従軍した経験を著しているものです。

 

 

 

氏は将校として、フィリピンで戦争体験をしています。

 

 

 

フィリピンの戦場は過酷という言葉では言い表せないほど、凄惨な状況だったようです。

 

これは氏の著作を拝読すればわかります。

 

もし映像で知りたいという方は、「野火」という作品をご覧ください。

 

鬼才、塚本晋也監督の2014年の作品で、フィリピンでの日本軍の状況を題材にしています。

 

わたしは当時劇場で拝見しましたが、今年も戦後80周年を記念して劇場でロードショーしてたみたいです。

 

この作品をご覧いただければ、日本から遠く離れた戦地で戦った日本兵が、どんな状況だったのかわかると思います。

 

 

 

こんな体験をすれば、当時の日本や日本軍に批判的になるのは仕方ない気がします。

 

 

 

えー、、、。

 

 

 

氏の著書は日本に対してものすごく批判的なんです(^^;

 

 

 

そしてその批判が、ものすごく的を射ている…(^n^;

 

 

 

もうなんていうか、めちゃくちゃボコボコに書いてあります。

 

「日本はなぜ敗れるのか  ー敗因21カ条」

 

なんて著書もあるくらいですから(^o^;

 

 

 

この敗因21カ条のうちの一つに、

「日本は人命を粗末にし、米国は大切にした」

 

とあります。

 

これが意味するところは、何となく分かりますよね。

 

神風特攻隊や回天などの自爆兵器の存在が、その理由だと思います。

 

そして解剖学者の養老孟司先生は、

「日本軍は”腹が減っては戦はできぬ”ではなく、平和な江戸時代の”武士は食わねど高楊枝”をやってしまった」

 

こんな風におっしゃっています。

 

太平洋戦争以前の、日中戦争ですら日本軍には飢餓の問題があったそうです。

 

皆さんも一度は、ガリガリの日本兵の写真を見たことがあると思います。

 

補給を軽視している点も、人命を粗末にしているエピソードのひとつだと感じます。

 

 

 

山本七平氏が体験したフィリピンでも、同じようなことが起こっていたようです。

 

 

 

さて、氏も経験した凄惨な地上戦。

 

地上戦は戦争の雌雄を決するのに必須なものです。

 

わたしは陸上自衛官でした。

 

当然ながら、戦闘訓練は何度もやっています。

 

そしてレンジャー訓練を修了しています。

 

氏ほど過酷ではありませんが、一時的に極限状態を体験しています。

 

こんな経験を踏まえて、地上戦の現実をお伝えしていこうと思います。

 

 

2 地上戦という悲惨な現実

現代の軍隊には、陸軍・海軍・空軍があります。

 

そして新たに、宇宙やサイバーの領域も加わっています。

 

戦争を行うにあたって、いきなり陸戦が開始されることはもちろんあります。

 

ただその前にたいていの場合はサイバー戦や電子戦、海空戦が展開されます。

 

サイバー戦や電子戦は対機械、海空戦は対艦、対航空機となります。

 

つまり相手は人間ではありません。

 

攻撃する側は、機械を攻撃して無効化する意識だったり、艦艇や航空機を打ち落とす意識で攻撃します。

 

「人をあやめる」

 

という意識から距離があります。

 

そしてこういった戦闘だけでは、戦争の雌雄を決することはできません。

 

機械がダメになったり艦艇や航空機が無くなっても、相手が降伏しなければ戦争は継続されます。

 

その国に戦争を継続する意思さえあれば、戦争が終わることはありません。

 

対機械、対艦、対航空機戦で意志を挫くことができればいいんですが、そうならないことがほとんどです。

 

 

 

それではどのように意志を挫くかというと、地上戦になります。

 

 

 

地上戦は対人戦闘になります。

 

 

 

人をあやめて、その土地を占領する。

 

 

 

これを繰り返すことで、相手の意志を挫いていきます。

 

 

ミサイルや砲迫による遠距離攻撃

 

戦車や銃器による直射攻撃

 

突撃による直接攻撃

 

 

このような方法で人をあやめていきます。

 

現代では、これにドローン攻撃も加わっています。

 

地上戦では、命のやり取りを意識せざるを得ません。

 

 

 

だからといって、現場の兵士たちが積極的に人をあやめていたわけではありません。

 

 

 

ここで、山本氏の「わたしの中の日本軍(下)」から戦場の心理を引用したいと思います。

 

 

『「戦場のように忙しい」という言葉があるが、確かに戦場ほど忙しいところはない。

 

また皮肉な話だが、戦場ほど、人間が極限まで、文字通りぶっ倒れるまで働き続け、動き続ける場所はない。

 

これは体験者にとっては、だれでもが感ずるちょっと不思議な現象で、収容所でもよく話題になった。

 

だが、私がこういう場合、一体なぜ人間は「人殺し」となると、あれほど熱中し、あれほど無我夢中で働きつづけられるのか、という意味ではないし、

 

自分だけはそういう人間ではないという前提に立って、「だから人間は罪深い」といった人道的お説教をしようというわけでもない。
 

それは安全地帯の人びとの発想であり、人びとが夢中で動きまわるのは、外形はどうであれ「殺されまい」としているにすぎないことを私は知っている。

 

殺されまいともがけば、人間であれ動物であれ、精根つきるまで、息の根がとまるまで力のありったけを振りしぼって激動する。

 

これは、進撃とか退却とか突撃とか撤退とか勝利とか敗北とかいうことと関係ないのである。』

 

 

 

自分が殺されないために相手をあやめる

 

 

 

 

 

これが地上戦の現実です。

 

 

 

 

 

こう断言するのは、

 

実際に命のやり取りの訓練を経験し、

 

レンジャー訓練で極限状態を経験し、、

 

公認心理師として戦場の心理を探求し、、、

 

こんなわたしの経験からも、氏のおっしゃることがごもっともだと感じるからです。

 

 

 

ただこうなってくると、兵士たちの頑張りよりも、戦略や戦術がものをいうことになります。

 

 

 

兵隊が強いだけでは勝てないということです。

 

 

 

それでは当時の日本に、勝つための戦略や戦術はあったのでしょうか。

 

 

3 日本ならではの「自転する組織」

現代はインターネットの普及により、たくさんの情報があふれています。

 

少し調べればすぐに情報がでてきますが、当時のシミュレーションですら

 

アメリカと戦っても勝てない」

 

ということは、事前にわかっていたそうです。

 

それでも日本は開戦しました。

 

そこに明確な戦略や戦術があったかどうか。

 

 

 

氏の著作を拝見すると、どうやら明確にはなかったように感じます。

 

 

 

「わたしの中の日本軍(上)」には次の様な記述があります。

 

 

『私の青少年時代に、日本国中の至る所で無遠慮に横行していたのはまさに「軍人より軍人的な民間人」であった。

 

彼らは軍人よりも軍人的に振舞い、軍部より軍部的な主張をし、本職軍人などは足元にも及ばぬほどの神がかり的主戦論者で、言論機関を利用して堂々と対米開戦を主張する大物から、

 

徴兵検査場でだれかれかまわず「トッツく」小物のおにいちゃんまで、社会の至る所に蟠踞(ばんきょ:しっかりと根を張って動かないこと)し、強圧的な態度であたりを睥睨(へいげい:にらみつけて威圧すること)していた。』

 

 

こういった記述から、

 

 

 

「開戦やむなし」

 

 

 

という空気が当時の日本にあり、その空気に流されるままに開戦してしまったようです。

 

 

 

開戦当時の内閣総理大臣東条英機です。

 

軍人が内閣総理大臣になっています。

 

その他の大臣にも、軍人が何人もついています。

 

 

 

軍人にとって「成果」とは、戦争で勝つことです。

 

 

 

軍の出身者が多くいる内閣では、世論が戦争をすることに意見が偏るのは当然と言えば当然だったのかもしれません。

 

 

 

さらに山本七平氏の言葉を借りれば、当時の内閣は”自転”していたんだと思います。

 

 

 

”公転”ではなく”自転”です。

 

 

 

公の目的を果たすために組織を回転させず、目の前の自らの利益のために組織を回転させる。

 

 

 

現代の日本でも「党利党略のための政治」という言葉がありますが、氏はこういったことをする組織を、"自転する組織"と呼んでいます。

 

 

 

そして、太平洋戦争時の内閣の自らの利益というのは、国民に何ら利することのない”組織の名誉”であったようです。

 

名誉と言えば聞こえはいいように感じますが、その実は軍閥の権力闘争だったり、指揮官の意地や見栄だった部分もあったようです。

 

 

 

 

 

そしてその名誉の果てに起こった出来事は…。

 

 

 

 

 

氏の著作から引用すると

 

 

『司令官は降伏を命ずれば部下には責任はないが、しかし司令官は軍法会議にかけられ、極刑は銃殺刑である。

 

日本陸軍の高級幹部は、すべてを部下に押しつけて、最後までこの責任を回避し続けた。』

 

 

このような記述があります。

 

 

 

ここで、これまでのブログでお伝えしたことを振り返ろうと思います。

 

クラウセヴィッツの回では、

 

『戦争は政治の手段の内の1つであること』

 

『戦争は勝たなければいけないこと』

 

『そして戦争は勝ったあとの政治交渉が目的であること』

 

そして、クラウセヴィッツは戦争は政治の手段の1つと唱えつつも、獲物を得ることしか考えない軍司令官や軍人たちを、呵責なく糾弾しています。

 

あくまで戦争は政治的な手段の1つなので、戦勝国に政治的理性が欠けると、戦勝の意義そのものが無くなると考えていたことをお伝えしました。

 

 

 

前回のカール・シュミットの回では、

 

『戦争には倫理的にも、道徳的にも、経済的にもメリットはない』

 

『国が存亡の危機に立たされない限りは戦争はすべきではない』

 

『敵は敵として大人の関係を築いていった方がよい』

 

このような考えを踏まえて、戦争に向かう欲望が暴走しないように、政治がコントロールすべきだという、シュミットの主張をご紹介しました。

 

 

 

クラウセヴィッツカール・シュミットも、第二次世界大戦以前に著作を発表しています。

 

 

 

太平洋戦争時の軍人による内閣は、先人の忠告はおろか、自国の識者が行ったシミュレーションを受け入れませんでした。

 

そして戦争とその後の明確な戦略や戦術なく、開戦やむなしという空気に支配されて行動する事態を引き起こしてしまったようです。

 

 

 

ここでお伝えしておきたいのは、

 

「だから昔の日本はダメだった」

 

と言いたいわけではありません。

 

 

 

当時のことは当時に生きていた方のものです。

 

その当時を必死に生きた方々を、批判する気持ちは一切ありません。

 

先人の犠牲の上で今の世を生きているわたしに、批判する資格などあるわけがありません。

 

ただ、こういった側面を知らないでいると、また同じことを繰り返してしまうのも事実です。

 

どういった観点で見るかで歴史は変わってきますが、1つの側面だけでは語れません。

 

それではなぜ日本は、そういったことを受け入れずに、対外戦争をすることになったのでしょうか。

 

 

4 なぜ日本は打って出たのか

日本が太平洋戦争に至った経緯に関しては、様々な意見があります。

 

わたしは専門家ではありませんので、学術的なことをお伝えするのは避けたいと思います。

 

 

 

そんな資格はないですからね。

 

 

 

ただ、感情的なことはお伝えしようかと思います。

 

その当時の状況を踏まえた、日本人の気持ち的な部分ですね。

 

 

 

多分なんですが…

 

 

 

『欧州の行き過ぎた植民地支配のやり方にキレたから』

 

 

 

こんな理由なんじゃないかと感じます。

 

 

 

日本に欧州の手が伸びてきたのは戦国時代です。

 

その時は豊臣秀吉がキレて、バテレン追放令などの政策や圧倒的な軍事力により押し返しました。

 

そしてその後の徳川の世の鎖国政策により、250年以上もの間は戦争をせずに平和を保つことができました。

 

 

 

ただ、この間に欧州は戦争に明け暮れており、武器や兵器の開発が進みました。

 

 

 

その後、開国を迫られて日本は鎖国をやめますが、アジアやアフリカの多くが欧州の植民地になっていました。

 

その植民地では、搾取を目的とした行き過ぎた支配が行われていました。

 

そして有色人種に対する人種差別も酷いものでした。

 

 

 

そんな状況にキレて、東南アジアにおける欧州の植民地支配を打倒するために、打って出たんだと思います。

 

 

 

これは、日本自体が植民地支配を受けることを防ぐ目的もあったはずです。

 

 

 

そのために「大東亜共栄圏」を築こうとしたんだと思います。

 

 

 

欧州にとっては日本の野望と映ったかもしれませんが、日本にとっては欧州の植民地支配の打倒です。

 

 

 

どちら側から見るかで、認識が変わるのが歴史ですから。

 

 

 

負けるといわれていても、その理不尽にキレて戦いを挑む。

 

 

 

いかにも日本人らしいやり方だと感じるのは、私だけでしょうか(^^;

 

 

 

日本語ではこういったことを大義と表現するのではないでしょうか。

 

 

 

先の大戦から80年経った今から振り返ってみると、日本は戦争には負けてしまいましたが、欧州の植民地支配の打倒には成功したといえるかもしれません。

 

 

 

現在では東南アジアはもちろん、世界には旧来の様な欧州の植民地は一つもありませんから。

 

 

 

そしてこのブログを書くにあたって色々と調べていたんですが、YouTubeに興味深い動画がありましたのでご紹介します。

 

「AIに世界史の主人公をわからせた」

 

という動画です。

 

10分弱の動画ですが、是非最後までご覧ください。

 


さすがに”正義の鉄槌”は大げさかもしれませんが、欧州の国からしたら、

 

『キレさせてはいけないヤベー国』

 

と映ったかもしれませんね(^^;

 

 

 

そして日本が欧州を追い出した後に植民地支配した地域には、とても親日的なところがあるのも事実です。

 

これは日本が、欧州の植民地支配とは一線を画したやり方をしていたからに他なりません。

 

 

 

 

 

80年前、日本は戦争に敗れました。

 

 

 

 

 

そして戦後、

 

「敗北」

 ⇩

「ダメなこと」

 ⇩

「日本は悪いことをした」

 

というような教育がなされてきました。

 

 

 

確かに悪いことをした部分は、あったんだと思います。

 

ただ、悪いことだけをしていたら、親日国なんて存在するわけはありません。

 

さらに言えば、完璧な人間なんていません。

 

何かを成し遂げる過程で、うまくいかないことは誰にでもあることです。

 

 

 

ものごとは一側面だけで語ることはできません。

 

 

 

さまざまな側面から見ることで、初めて真実が見えてきます。

 

 

 

このブログをご覧の方で、太平洋戦争に従軍したという方はいらっしゃらないと思います。

 

もちろんわたし自身、元自衛官ではありますが戦争の経験はありません。

 

偶然にも物心ついたころには、戦後の日本に生まれ育って戦争のない平和な日本で生活してきました。

 

これは日本の先人が命を懸けてに戦い抜き、戦後復興のために必死に努力した賜物です。

 

 

 

 

 

その先人たちが、なぜあれほどまでに命を懸けて戦うことができたのか。

 

 

 

 

 

その理由を、戦後80年を機に、見つめ直してもいいのかもしれません。

 

 

5 まとめと次回のテーマ

今回のブログでは、山本七平の著作を通して戦争と平和についてお伝えしました。

 

日本軍に対する批判的な視線から、

 

日本軍の敗戦の要因

 

その悲惨な地上戦

 

日本ならではの”自転する組織”

 

そんなことについてご紹介しました。

 

 

 

そして負けるといわれていても日本が開戦した理由を、私見ではありますがお伝えしました。

 

 

 

欧州に対して”キレた”んでしたね(^^;

 

 

 

戦うためにはしっかりとした理由が必要です。

 

それが”大義”というものです。

 

当時の状況は、日本人が”キレる”には十分な状況だったのかもしれません。

 

 

 

さて、日本の歴史を振り返ってみると、日本は迎え撃つ戦争には強いかもしれませんが、打って出る戦争には失敗しています。

 

古くは白村江の戦いに敗れていますし、豊臣秀吉朝鮮出兵も失敗しています。

 

そしてこれは、日本の文化的な背景が影響しているのかもしれません。

 

次回のブログでは、日本語学者の芳賀綏(はがやすし)の著作から、日本の文化的な背景と、日本人の特性を踏まえて、戦争と平和についてお伝えします。

 

次回の更新は12月31日(水)の予定です。

 

是非ご覧ください(^^)

 

 

参考資料

1 ウィキペディア山本七平」「東条英機

2 野火Website

3 YouTube養老孟司の部屋

 

参考文献 

1 文春学芸ライブラリー わたしの中の日本軍(上)(下)  山本七平著 ㈱文藝春秋 2022年10月

2 一下級将校の見た帝国陸軍 山本七平著 ㈱文藝春秋 1987年8月

3 日本はなぜ敗れるのか ー敗因21カ条 山本七平著 ㈱角川書店 2005年6月 十版発行

4 「空気」の研究 山本七平著 ㈱文藝春秋 1998年4月第9刷

5 戦争の世界史大図鑑 R・Gグラント編著 河出書房新社 2008年7月

6 あの国の本当の思惑を見抜く地政学 社會部部長著 ㈱サンマーク出版 2025年4月(第5刷発行)

7 戦争の世界史 マイケル・S・ナイバーグ著 稲野強訳 ㈱ミネルヴァ書房 2022年11月

8 植民地化の歴史 征服から独立まで マルク・フェロー著 片桐祐・佐野栄一訳 ㈱新評論 2017年3月

9 戦争における「***」の心理学 デーヴ・グロスマン著 安原和見訳 ちくま学芸文庫 2004年

10 「戦争」の心理学 人間における戦闘のメカニズム デーヴ・グロスマン/ローレン・クリステンセン共著 安原和見訳 二見書房 2008年

 

 

≪前回のブログ  -  次のブログ≫

 

 

陸上自衛隊に約15年勤務。レンジャー隊員。公認心理師産業カウンセラー

 

在職時は、年200件以上の面談に対応するカウンセラーの任務を行うと共に、隊員に対して「災害派遣の心構え」を教育をしていました。

 

そんな自衛隊での教育や、自身の災害派遣の経験をアレンジして、現在は「災害の心の準備」をお伝えするセミナー講師。

 

 

『どんな災害も乗り越える』

 

 

その心の準備を”自衛隊式”でレクチャーしています。

 

 

このブログでは、防災のこと、身心の健康、そしてちょっとだけ自衛隊の話を綴っています。

 

自衛隊での経験やセラピストとして学んだことが、皆様のお役に立てば幸いです。

 

ブログの更新は隔週水曜日。

 

月に一度、ブログテーマのアナウンスをしています。

 

アナウンスをご希望の方は、ご連絡ください。

 

連絡先はこちら
LINE公式アカウント:https://lin.ee/ky0Ngjp
Mail:sukkirioasis@gmail.com

 

読者になりたい方はこちら

 

最後までご覧いただきありがとうございました。感謝です。

 

 

WEBページ

 

公式X(エックス)

『身体の健康・心の健康・防災』のニュースをポストしています。

https://x.com/sukkirioasis

⇨フォローして、是非情報を受け取ってくださいね。

 

経歴・資格など

公認心理師(国家資格)、産業カウンセラー、リラクゼーションセラピスト(1級)、元陸上自衛官、レンジャー隊員、上級体育指導官、予備自衛官(衛生官)

〔※「Windship」及び「Windship treatment」は登録商標です。〕

 

前回のブログ 

 

【戦争と平和②】法学者『カール・シュミット』の著作を通して

令和7年12月3日

今から100年前のドイツで国立大学の教授を勤めながら、法と言論で祖国のために尽くしたカール・シュミット。その著作を通して戦争と平和についてお伝えします。是非ご覧ください☆

お疲れ様です。

 

自衛隊卒のセラピストの岡田 凰里(おかだ おうり)です。

 

ブログを読んで下さって、ありがとうございます。


12月に入りました。

 

今年も残すところあとわずかですね。

 

 

前回のブログでは、プロイセン軍事学者クラウセヴィッツの『戦争論』を通して感じたことをお伝えしました。

 

戦争は政治の手段の内の1つであること

 

戦争は勝たなければいけないこと

 

そして戦争は勝ったあとの政治交渉が目的であること

 

そんなクラウセヴィッツの主張をお伝えしました。

 

前回のブログも是非ご覧ください。

 


今回のブログでは、ドイツの法学者カール・シュミットの著作を通して感じたことをお伝えしていきます。

 

ドイツの国立大学の教授を務めたほどの、聡明な法学者のカール・シュミット

 

その著作を通して、戦争と平和についてお伝えしていきます。

 

ブログは以下の内容です。

1 「政治」という言葉の定義

2 カール・シュミットについて

3 極端な戦争「第一次世界大戦

4 『服従する欲望』に抗えるか

5 まとめと次回のテーマ

それでは始めていきますね!

 

 

1 「政治」という言葉の定義

今回のブログのテーマは戦争と平和です。

 

それを語る上では『政治』という言葉は外せません。

 

前回のブログでも、クラウセヴィッツの主張

「戦争は政治の手段の内の1つ」

 

をご紹介しましたが、戦争と平和を考える上で「政治」という言葉は切っても切れない関係です。

 

今回ご紹介するカール・シュミット

「政治的なものの概念」

「政治的神学」

 

という著作を残しています。

 

そこで、政治という言葉の定義を確認したいんですが…。

 

 

 

どうやら政治の定義は、定義しようとする人の数だけあるともいわれているようでして…(^^;

 

 

 

ウィキペディアを見てみると、政治の定義が複数並べられています。

 

広辞苑での「政治」の定義

 ⇩

人間集団における秩序の形成と解体をめぐって、人が他者に対して、また他者と共に行う営み。権力・政策・支配・自治にかかわる現象。

 

大辞泉での「政治」の定義

 ⇩

1. 主権者が、領土・人民を治めること

2. ある社会の対立や利害を調整して社会全体を統合するとともに、社会の意思決定を行い、これを実現する作用

 

 

 

うむうむ…。

 

 

 

わかるようで、わからないような…(^n^;

 

 

 

まぁ、考える人の数だけ定義が存在するわけなので(^^;

 

 

そこで、わたしが感じた政治の定義をお伝えしますね。

 

 

 

それは、

 

『人間の欲望を取り仕切ること』

 

です。

 

 

 

人間には色々な欲があります。

 

その中でも3大欲求は

 

「食欲」

 

「睡眠欲」

 

「性欲」

 

こういった欲を満たすために、色々な活動をするわけです。

 

ただ、その欲を満たすために、他人とのトラブルが発生したりします。

 

それを取り仕切ることが「政治」だと考えます。

 

もちろん現代では、3大欲求の様な原初的な欲を取り仕切っているわけではありません。

 

経済的な欲、倫理的な欲、道徳的な欲、そんな欲を満たすための活動になっていると思います。

 

 

 

「政治」

 

 

 

という言葉を

 

 

 

「人間の欲望を取り仕切ること」

 

 

 

に置き換えても、違和感なく使えると感じています。

 

このブログでは、この定義をもとにお伝えしていきますね!

 

 

2 カール・シュミットについて

カール・シュミット

 

そう言われて、ピンと来る方は大学で法学部を修了している方か、政治に興味がある方ぐらいではないでしょうか(^^;

 

わたしは色々な本を読んでいる中で偶然知りましたが、そうでもなければなかなか出会うことはないと思います。

 

 

 

カール・シュミットはドイツの法学者です。

 

 

 

1888年にドイツの地方で生まれ、大学では法学部に入学し、ベルリン大学ミュンヘン大学、シュトラスブルグ大学で法律について学んだそうです。

 

1910年に司法試験に合格し、その後は大学教授の資格を取得して1933年にはドイツの国立大学ベルリン大学の教授を務めています。

 

このベルリン大学(現在はベルリンフンボルト大学)は、世界の大学ランキングでは東大と同じレベルです。

 

 

 

めちゃくちゃすごいですよね(^o^;

 

 

 

日本で言えば、東大の教授に45歳でなっている感じです(^n^;

 

 

 

そんなカール・シュミット

 

実は、あまりいい印象を持たれないことが多いようです。

 

これは彼がナチス党に入党し、戦前の日本では「ナチスの御用理論家」と喧伝されていたことが影響していると思われます。

 

わたしは専門家ではありませんので、その評価について語るつもりはありません。

 

 

 

ただ、シュミットについて調べる中で、少し気になった記述があります。

 

 

 

ウィキペディアには、

『ラインハルト・メーリング (Reinhard Mehring) の著したシュミットの伝記によれば、シュミットは私生活において、

 

●極端な反ユダヤ主義

●自己破壊的かつ強迫的な性欲

ブルジョワ的な生活への怒り

 

によって深く苦しめられていたとされ、そして、これが彼の実際の行動に大きな影響を与えたと言われている』

 

と記されています。

 

メーリング氏の著した伝記を読むことはできませんでしたが、リンクにある参考資料は確認しました。

 

そしてメーリング氏の他の著作も拝見しました。

 

メーリング氏はシュミット研究の代表的な人物で、その著作を引用していることから、このウィキペディアの記述を事実として話を進めていきます。

 

この記述から、


●極端な反ユダヤ主義 

 ⇩

「憎悪」

 

●自己破壊的かつ強迫的な性欲

 ⇩

「ゆがんだ性衝動」

 

ブルジョワ的な生活への怒り

 ⇩

「怒り」

 

という感情をシュミットが抱えていたことが読み取れます。

 

 

 

わたしは公認心理師です。

 

 

 

心理職として、この感情を羅列を見た時に推察されるのは、

 

 

 

「シュミットは性的虐待、もしくは性暴力を受けた過去がある」

 

 

 

ということです。

 

もちろん1つだけでそう推察するのはちょっと乱暴なんですが、この3つの感情が羅列された場合には、そう推察することができます。

 

そして性的虐待や性暴力の体験はトラウマとなり、人格障害になることもあります。

 

 

 

人格障害とは簡潔にいうと、「極端な性格」ということです。

 

 

 

シュミットについて調べた時に、幼少期の情報は出身地以外ありません。

 

もしかするとシュミットは、トラウマ的な体験と状況から抜け出すために必死に勉強し、生まれ故郷を離れるために大学に入学したのかもしれません。

 

そして、90歳を超えた1983年の時に、娘さんが52歳で亡くなったそうですが、その際シュミットは、「精神に失調」をきたしたそうです。

 

 

 

「深い悲しみに暮れた」のではなく「精神に失調をきたす」

 

 

 

このことからシュミットは、もともと精神的な困難を抱えていたことが示唆されます。

 

以上をふまえるとシュミットの幼少期には、公に語れない経験があったものと推察されます。

 

 

 

あくまでわたしの推察ではありますが、

 

『幼少期に性的虐待もしくは性暴力を受け、

 

そのトラウマ的な体験で人格障害を伴い、

 

その状況から抜け出すために必死に勉強し、

 

それが認められて国立大学の教授になる』

 

シュミットは、こんな人生を歩んだのかもしれません。

 

 

 

わたしの推察で大変恐縮ですが、今回のブログではこれを元に話を進めていきたいと思います。

 

 

 

ここでまずお伝えしておきたいのは、仮に人格障害だったとしても彼の努力や成果を否定するものではないということです。

 

人格障害発達障害だったとしても、努力をして成果を残している方はいらっしゃいます。

 

そういった障害をお持ちの方を差別したり、軽蔑する意図は一切ありません。

 

 

 

ただ、この推察をもとにシュミットの著作を拝見すると、彼の極端な性格が出たものになっているような気がします。

 

 

 

彼の著作は、一般論というよりは「極端論」と言えるかもしれません。

 

そしてその極端論が受け入れられたのも、当時の「極端な状況」が背景にあったと思われます。

 

 

3 極端な戦争「第一次世界大戦

シュミットは20代の頃に、第一次世界大戦を経験しています。

 

戦場ではなく軍の行政機関の臨時司令部での勤務だったようですが、祖国ドイツの敗戦を経験しています。

 

この戦争で1200万人が死亡し、ドイツは参戦国の中でも最多の200万人の戦死者を出しています。

 

そして合計2100万人の兵士が負傷し、その多くは生涯の治療が必要になりました。

 

またその戦闘の中で、おびただしい数の戦争神経症の患者がでています。

 

こういった犠牲が出たのは、科学技術の発達により大量殺傷兵器が生み出された影響と言えます。

 

 

 

効率よく銃弾を連射できる機関銃

 

遠距離から対人攻撃が可能な迫撃砲榴弾砲

 

縦深を一度に攻撃できる毒ガス兵器

 

 

 

戦争に勝つために、効率よく人をあやめることができる兵器が大量に開発されました。

 

「戦争は政治の手段の1つ」

 

「戦争には勝たなければならない」

 

そんな言葉のもとに、その勢いはとどまることを知らなかったのかもしれません。

 

 

 

クラウセヴィッツ

「政治目的を達成するためなので、方法と目的を制限すべきである」

 

という主張は、戦場の轟音と共にかき消されたのかもしれません。

 

 

 

そしてドイツの敗戦の後に残ったのは、莫大という言葉では有り余るほど極端に多額な賠償金でした。

 

20世紀初頭に課されたその賠償金をドイツが返済できたのは、21世紀に入ってからです。

 

軍の行政機関で勤務していたシュミットにとっては、この極端に多額な賠償金は大きなショックになったと思われます。

 

 

 

法律を学んで司法試験に合格した人間として、そして自分の努力を認めてくれた祖国が、敗戦で負ってしまった極端なほど多額の賠償金をどうするか。

 

 

 

これがシュミットの、人生を懸けた大きな課題だったのではないでしょうか。

 

 

 

シュミットの著した「政治的神学」の一番初めに

 

『主権者とは、例外状態に対して決定する者である』

 

と記されています。

 

これは、極端な性格のシュミットが、極端な戦争に敗北し、極端な賠償金を何とかするための例外的な主張だったのかもしれません。

 

 

 

そしてこの極端な状況を解決するためには、

 

「例外状態(極端な状態)に対して決定できる覚悟がある者を選定し」

 

「極端に効率的に物事を進め」

 

「極端なスピードで祖国を復活させるしかない」

 

そんな風に考えたのではないかと感じます。

 

 

 

そう考えると、独裁を肯定したのもうなずけます。

 

独裁はトップダウンで命令が下りますので、議論をする時間が省けます。

 

そして著書『政治的なものの概念』では、国民に「友・敵」を区別することを説いています。

 

純化することで、ものごとは進めやすくなります。

 

 

 

つまりは、

 

 

 

『独裁体制をとって友と敵を区別しながらものごとを効率的に進めることが、安心安全な生活を取り戻すための最短経路だ』

 

 

 

このようにシュミットは考えていたと感じます。

 

 

 

そしてこういった主張のすべては、祖国を想ってのことだったのではないでしょうか。

 

 

 

ただ極端な生い立ちで、その理不尽に抗うように努力したシュミットには、欠けていた感覚があったのかもしれません。

 

 

 

普通の人間には、服従する欲望」があることを…。

 

 

4 『服従する欲望』に抗えるか

人間には欲望があります。

 

これは生きていくために、誰にでも備わっているものです。

 

3大欲求は日常生活で誰もが感じる欲望ですが、それ以外の欲望もあります。

 

そのうちの一つが、

 

服従する欲望」

 

です。

 

この欲望は、普段は感じることはないかもしれません。

 

ただ、極端な状況になった時には露骨にあらわれます。

 

シュミットのいう「例外的な状況」がその時です。

 

 

 

服従というのは、人間に安心感をもたらします。

 

 

 

圧倒的な力を持つ人物に服従することで、その者の庇護を受けることができる。

 

 

 

この安心感は、その状況が命にかかわる状況であればあるほど大きくなります。

 

 

 

そしてこの服従する欲望に抗うことは、非常に難しいことです。

 

 

 

こう言われてもなかなかイメージしにくいですよね。

 

そこでこの服従する欲望に関する心理状況を、的確に表現している漫画をご紹介します。

 

 

 

それはジョジョの奇妙な冒険」の第三部『DIOの世界』という回です。

 

 

 

邪悪な存在とわかっているDIOという登場人物が、主人公の仲間のポルナレフに向かってこのようなセリフを言います。

 

「わたしに仕えるだけで、他のすべての安心感が手に入るぞ」

 

と。

 

この時のポルナレフは、邪悪なDIOの謎の能力に翻弄されて、自分の命が危険にさらされていました。

 

そんな時に提案された、

 

「わたしに仕えろ」

 

という服従を促す言葉に、安心感を覚えます。

 

例え相手が邪悪な存在だとわかっていたとしても、自分の命が危険な極限の状態では、服従する欲望に抗うことが非常に困難なことがわかるワンシーンです。

 

もちろんポルナレフは主人公の仲間のキャラクターなので、それに抗ってDIOと闘うことを選ぶという、感動的なシーンに描かれています。

 

YouTubeに動画がありましたので、ご覧になってみて下さい。

 

3分程度で構いません。

 

 

 

アニメですので、タイミングよく仲間が助けに来てくれていますよね。

 

ただ現実はアニメの様にはいきません。

 

そしてこれは、普通はできないから感動的なシーンになっているわけです。

 

 

 

ナチス党がドイツで行った、独裁的な政治。

 

 

 

第一次世界大戦で敗北し、200万人の戦死者を生み、とてつもなく莫大な賠償金を抱え、さらにハイパーインフレが起っていた極端な状況の当時のドイツ。

 

そんな「例外的な状況」では、その独裁的な政治に服従することでしか安心感を得ることができなかったんだと思います。

 

 

 

これは人間の本能的な反応なので、その当時のドイツに生まれていれば、誰もがその服従する欲望に葛藤したはずです。

 

 

 

シュミットは国民に敵と友を判別するように説きましたが、服従する欲望の前では、その判別をすることも求めることも叶わなかったと思われます。

 

 

 

ナチス党が主張することに服従することで安心感が得られ、安心感が得られるので、より服従心が強まる。

 

さらに独裁する側も、服従が進むことで優越感が満たされます。

 

そして優越感を満たすためにますます独裁を進め、どんどん服従が進む。

 

 

 

両者の歯車はがっちりと嚙み合って加速し、誰も抗うことができない空気になってしまったんだと思います。

 

 

 

シュミットはナチス党に入党したものの、ナチスの合憲性に疑念を抱き、次第にナチス親衛隊に眼をつけられ、党内での影響力を失っていったそうです。

 

もしかすると、シュミットは本来の自分の想いとは違った形に加速する状況を、どうにかしたいと思っていたのかもしれません。

 

 

 

祖国ドイツ復活を目的としていたはずの、シュミットの政治活動。

 

 

 

それは、最後の世界大戦となるはずだった第一次世界大戦をはるかに超える被害をもたらす、第二次世界大戦へと祖国を導く結果になってしまいました。

 

それでもシュミットは先の大戦を生き抜き、隠遁生活を経たのち言論活動を再開します。

 

その活動は、2度の世界大戦に敗北した祖国ドイツを想ってのことだったのかもしれません。

 

 

 

激動の時代を生きたシュミットですが、祖国の統一を見ることなく96年の人生の幕を閉じました。

 

 

5 まとめと次回のテーマ

今回のブログでは、ドイツの法学者カール・シュミットの著作を通して感じたことをお伝えしました。

 

まずは、わたしなりに「政治」の定義しました。

 

「人間の欲を取り仕切ること」

 

でしたね。

 

そしてシュミットの著作や人生をわたしなりに読み解き、推察を交えた形でお伝えしました。

 

わたしの推察に基づいた内容になっていますので、参考程度にしていただければと思います。

 

 

 

ただ、「服従する欲望」という心理的な作用は、人間の本能に基づく共通の反応です。

 

 

 

その欲望が集団を覆うと、何も言えなくなる空気に支配されることも心に留めておいていただければと思います。

 

 

 

ところで、シュミットは戦争についてどのように考察しているかというと、クラウセヴィッツのような直接的な表現は残していないようです。

 

ただ、

 

「倫理的にも、道徳的にも、経済的にもメリットはない」

 

と考えていたようです。

 

これは、兵器の発達により人間が大量に亡くなるようになったことが、強く影響しているようです。

 

クラウセヴィッツ戦争論を著した時とは、時代が変わったんだと思います。

 

そしてシュミットは、戦争は政治の手段ではあるものの、国が存立の危機に立たされない限りは、戦争をすべきではないと考えていたようです。

 

「政治的なものの概念」では敵と友を区別するよう主張していましたが、だからといってその敵を殲滅するような主張はしていないように感じます。

 

むしろ敵は敵として、大人の関係を築いていった方がいいと考えているように感じます。

 

こういったことを考慮すると、シュミットは戦争に向かう欲望が暴走しないように、政治がコントロールすべきと考えていたのではないでしょうか。

 

そんなシュミットの想いとは裏腹に、世界は2度目の世界大戦へと足を踏み入れます。

 

独裁と服従の歯車がガッチリと噛み合い、誰もその政治に逆らえない空気になってしまった独裁政権下のドイツ。

 

 

 

そういった「空気」というものについて、研究した評論家が日本にはいます。

 

 

 

次回のブログでは、ご自身が先の大戦に従事したクリスチャンの評論家

山本七平

 

をご紹介します。

 

その著作を通して感じたことをお伝えします。

 

 

次回のブログ更新は12月17日(水)の予定です。

 

是非ご覧ください(^^)☆

 

 

参考資料

1 ウィキペディアWebsiteカール・シュミット

2 ジョジョ

 

参考文献

1 政治的なものの概念 カール・シュミット著 田中浩/原田武雄訳 未来社 1996年10月第23刷発行

2 パルチザンの理論 カール・シュミット著 新田邦夫訳 ㈱筑摩書房 1995年10月

3 政治的神学 カール・シュミット著 権左武志訳 ㈱岩波書店 2024年11月

4 陸と海 カール・シュミット著 中山元訳 日経BP社 2018年8月

5 カールシュミット 魔性の政治学 田中浩著 未来社 2004年6月初版第4刷発行

6 カールシュミット入門講義 仲正昌樹著 ㈱作品社 2013年3月

7 カールシュミット入門 ラインハルト・メーリング著 藤崎剛人訳 書肆心水 2022年2月

8 戦争の世界史大図鑑 R・Gグラント編著 河出書房新社 2008年7月

9 武器の歴史大図鑑 リチャード・ホームズ編著 ㈱創元社 2012年4月

10 あの国の本当の思惑を見抜く地政学 社會部部長著 ㈱サンマーク出版 2025年4月(第5刷発行)

11 天才戦略家クラウセヴィッツの生涯 『戦争論』をさらに深く理解するために 郷田豊著 日本工業新聞社 1982年6月

12 クラウゼヴィッツ語録 『戦争論』のエッセンス 加藤秀治郎編訳 ㈱一藝社 2017年12月

13 戦争の世界史 マイケル・S・ナイバーグ著 稲野強訳 ㈱ミネルヴァ書房 2022年11月

14 心理臨床大辞典 氏原寛ら編 ㈱培風館 2013年9月改訂第9冊発行

15 戦争における「***」の心理学 デーヴ・グロスマン著 安原和見訳 ちくま学芸文庫 2004年

16 「戦争」の心理学 人間における戦闘のメカニズム デーヴ・グロスマン/ローレン・クリステンセン共著 安原和見訳 二見書房 2008年

 

 

≪前回のブログ  -  次のブログ≫

 

 

陸上自衛隊に約15年勤務。レンジャー隊員。公認心理師産業カウンセラー

 

在職時は、年200件以上の面談に対応するカウンセラーの任務を行うと共に、隊員に対して「災害派遣の心構え」を教育をしていました。

 

そんな自衛隊での教育や、自身の災害派遣の経験をアレンジして、現在は「災害の心の準備」をお伝えするセミナー講師。

 

 

『どんな災害も乗り越える』

 

 

その心の準備を”自衛隊式”でレクチャーしています。

 

 

このブログでは、防災のこと、身心の健康、そしてちょっとだけ自衛隊の話を綴っています。

 

自衛隊での経験やセラピストとして学んだことが、皆様のお役に立てば幸いです。

 

ブログの更新は隔週水曜日。

 

月に一度、ブログテーマのアナウンスをしています。

 

アナウンスをご希望の方は、ご連絡ください。

 

連絡先はこちら
LINE公式アカウント:https://lin.ee/ky0Ngjp
Mail:sukkirioasis@gmail.com

 

読者になりたい方はこちら

 

最後までご覧いただきありがとうございました。感謝です。

 

 

WEBページ

 

公式X(エックス)

『身体の健康・心の健康・防災』のニュースをポストしています。

https://x.com/sukkirioasis

⇨フォローして、是非情報を受け取ってくださいね。

 

経歴・資格など

公認心理師(国家資格)、産業カウンセラー、リラクゼーションセラピスト(1級)、元陸上自衛官、レンジャー隊員、上級体育指導官、予備自衛官(衛生官)

〔※「Windship」及び「Windship treatment」は登録商標です。〕

 

前回のブログ 

【どんな災害も乗り越える】その心の準備を『自衛隊式』でお伝えします ※セミナーPR

令和7年11月26日

普段は企業や団体向けにお伝えしている研修を、セミナー形式で一般の方を対象に開催します。このセミナーに対するわたしの想いをお伝えします。是非ご覧ください。

➡申し込み締め切りました!ありがとうございました(令和7年12月26日)

 

お疲れ様です。

 

自衛隊卒のセラピストの岡田凰里(おかだおうり)です。

 

ブログを読んで下さってありがとうございます。

 

このブログは、わたしが主催している

 

災害の心の準備を

 ”自衛隊でお伝えする

 

そんな防災セミナーのご案内です。

 

 

 

このセミナーは、わたしが陸上自衛隊で学んだ3つのこと

 

 

自分だけの力では災害は乗り越えられない

 

 

弱さと限界を認めて仲間と支え合う

 

 

被災者の勇気と希望になる

 

 

こんなことをまとめたものになっています。

 

 

 

 

 

これまでわたしは自衛官として、災害派遣に何度も携わってきました。

 

 

 

 

 

そんな経験があるからこそ、断言できることがあります。

 

 

 

 

 

災害は、自分だけの力では乗り越えることはできません。

 

 

 

 

 

これは例え自衛官であっても同じです。

 

 

 

 

 

そんな災害を仲間と共に乗り越えるために、自衛官は「物の準備」と同時に、実は『心の準備』もして任務に備えています。

 

 

 

なぜ物の準備だけではなく「心の準備」もするのか。

 

 

 

それは災害などの緊急事態には、普段は経験しないようなショッキングな場面に遭遇して、強烈なストレスを受けるからです。

 

 

 

だからこそそれに応じた対処をして、心を守る必要があります。

 

 

 

この対処法を知らないと、強烈なショックをまともに受けることになります。

 

 

 

場合によっては、心に深い傷を負うこともあります。

 

 

 

そしてその傷は人生に重くのしかかり、後悔にとらわれた人生を送ることになりかねません。

 

 

 

ただそれは『心の準備』をしてさえいれば、防ぐことができます。

 

 

 



 

 

 

本セミナーでは元陸上自衛官公認心理師、そして実際に隊員の教育を担当していたわたしが、その方法をわかりやすくお伝えします。

 

 

 

 

 

東日本大震災で、隊員たちがお互いを支え合うために行った「任務解除ミーティング」をはじめ、

 

疲労回復の深呼吸」

 

「実際に遭遇する場面のご紹介」

 

「災害時特有のコミュニケーション」

 

などの自衛隊ならではの内容を通して「心の準備」ができます。

 

 

 

 

 

災害は滅多に起きることではありません。

 

 

 

 

 

それに対して時間とお金をかけて学ぶのに、ためらいを感じるかもしれません。

 

 

 

 

 

ただ滅多に起きないからこそ事前に備えておかない限り、いざその時に対処できないのが自然災害です。

 

 

 

 

 

そして被災してから『心の準備が足りなかった』と気がついて、後悔する様子を実際に見てきました。

 

このブログを読んで下さっている方には、そうなって欲しくないというのがわたしの願いです。

 

 

 

今年一年の締めくくりに、ぜひ「心の準備」をお済ませください。

 

『災害は必ず乗り越えられる』

 

という確信と安心が得られますよ。

 

 

 

陸上自衛官として約15年

 

産業カウンセラーとして約10年

 

そして公認心理師として約5年

 

 

 

そんな知識と経験を集約した「自衛隊式の心の準備」

 

一度備えておけば十分な内容となっています。

 

このセミナーが、あなたにとってかけがえのない時間になることをお約束します。

 

 

開催日時等

 

 

会 場

 

 

 

お申込み・お問合せ

件名に「セミナー申し込み」、本文にご参加希望者の「ご氏名(ふりがな)」を入力し、下記のメールアドレスに送信をお願いします。

 

Mail:sukkirioasis@gmail.com

(※上記メールが受信・確認できる設定をお願いします)

 

学生割引をご希望の際は、本文に「学割希望」とご記載下さい。

 

お申し込み順に、当日の詳細及び振込先口座と振込期限等をお伝えします。振り込みが確認できしだい予約確定となります。

 

なお、セミナーの対象年齢は中学2年生以上になります。

 

中学2年生未満の方が参加希望の場合、保護者の方のご参加に同伴できます。(お子様の料金は無料です)

 

 

講師略歴

陸上自衛隊に約15年勤務。レンジャー隊員。 

 

陸自で最も過酷と言われるレンジャー訓練や幾度もの災害派遣の経験から、緊急事態時(惨事)ストレス対処の重要性を認識する。

 

自衛隊では、部隊専属のカウンセラーの立ち上げから約5年間勤務。

 

年間200件以上のカウンセリングに対応すると共に、惨事ストレス対処教育を担当。関東甲信越に所在する全駐屯地を巡回し、部隊に対し教育を行う。

 

現在は自衛隊を退職し、企業や団体向けに「災害の心の準備」を”自衛隊式”でお伝えする研修講師として活動。

 

 

 

セミナーのより詳しい内容は、ウェブサイトをご覧下さい。

 

 

WEBサイト

 

 

チラシを見る

https://b29da9c3-19a5-4394-8bec-b7da6347dee5.usrfiles.com/ugd/b29da9_1206327367694408aaa74542f8e6c424.pdf

(※PDFファイルになります)

 

 

開催日時等

・日時:12月28日(日)

    13:30~16:30

・定員:先着40名様

・料金:11,000円

(学生は半額の5,500円)

・会場:練馬区立区民・産業プラザ (西武池袋線練馬駅」徒歩1分)

 

会場MAP

 

お申込み・お問合せ

件名に「セミナー申し込み」、本文にご参加希望者の「ご氏名(ふりがな)」を入力し、下記のメールアドレスに送信をお願いします。

 

Mail:sukkirioasis@gmail.com

 

学生割引をご希望の際は、本文に「学割希望」とご記載下さい。

 

お申し込み順に、当日の詳細及び振込先口座と振込期限等をお伝えします。振り込みが確認できしだい予約確定となります。

 

なお、セミナーの対象年齢は中学2年生以上になります。

 

中学2年生未満の方が参加希望の場合、保護者の方のご参加に同伴できます。(お子様の料金は無料です)

 

 

セミナーのより詳しい内容は、ウェブサイトをご覧下さい。

 

 

WEBサイト

 

 

チラシを見る

https://b29da9c3-19a5-4394-8bec-b7da6347dee5.usrfiles.com/ugd/b29da9_1206327367694408aaa74542f8e6c424.pdf

(※PDFファイルになります)

 

 

このブログについて

公認心理師(国家資格)

産業カウンセラー

リラクゼーションセラピスト(1級)

元陸上自衛官

レンジャー隊員

上級体育指導官

そして予備自衛官

 

こんな資格や経験を持つスッキリオアシス代表の岡田凰里(おかだおうり)が、防災のこと、身心の健康、そしてちょっとだけ自衛隊の話をお伝えしています。

 

自衛隊での経験やセラピストとして学んだことが、皆様のお役に立てば幸いです。

 

 

最新のブログを見る場合はコチラから

 

 

ブログの更新は隔週水曜日。

 

月に一度、ブログテーマのアナウンスをしています。

 

アナウンスをご希望の方は、ご連絡ください。

 

連絡先はこちら
LINE公式アカウント:https://lin.ee/ky0Ngjp
Mail:sukkirioasis@gmail.com

(メールの場合は件名にメルマガ希望とご記入ください)

 

読者になりたい方はこちら

 

最後までご覧いただきありがとうございました。感謝です。

 

防災に関するブログ 

 

 

WEBページ

 

公式X(エックス)

『身体の健康・心の健康・防災』のニュースをポストしています。

https://x.com/sukkirioasis

⇨フォローして、是非情報を受け取ってくださいね。

 

【戦争と平和①】軍事学者クラウセヴィッツ『戦争論』を通して

令和7年11月12日

今年は戦後80年です。先の大戦から人間の一生涯分の年月が経った今、先人の著作の力を借りながら戦争と平和についてお伝えします。日本人の皆様が今の日常を振り返るきっかけになれば幸いです。是非ご覧ください。

 

お疲れ様です。

 

自衛隊卒のセラピストの岡田凰里(おかだおうり)です。

 

ブログを読んで下さってありがとうございます。

 

 

11月に入りました。

 

私事で恐縮ですが、11月で経営するリラクゼーションスペース『スッキリオアシス』がお陰様で6周年を迎えました。

 

このブログをご覧いただいている方、お越しいただいているお客様、そしてわたしを支えて下さっているすべての皆様に心から感謝いたします。

 

ありがとうございます。

 

これからも健やかで心地よい生活を、誠心誠意サポートできればと思っています。

 

今後ともよろしくお願いいたします<(_ _)>

 

 

さて、11-12月のブログのテーマは

戦争と平和

 

です。

 

 

今年は戦後80年。

 

人間の一生涯分の年月が経ったという、区切りの年でもあると思います。

 

そんな区切りをきっかけに、戦争と平和をテーマにしてみました。

 

簡単には語れないテーマではありますが、今年一年の締めくくりとしてチャレンジしてみようと思います。

 

もちろんわたしは専門家ではありませんので、学術的なことは語れません。

 

ただ、元陸上自衛官でありレンジャー訓練を修了している「公認心理師」です。

 

そんな経験をもとに先人の著作の力を借りながら、社会心理的な側面に焦点を当てて、戦争と平和についてお伝えしていこうと思います。

 

 

まずはこのテーマを扱うにあたって、以下の3つを宣言しておこうと思います。

 

・主義主張の善悪については判断しない

・戦略・戦術については語らない

・特定の国を差別する表現はしない

 

あくまで、戦争と平和について社会心理的な観点からお伝えするものです。

 

そしてブログでは、

 

プロイセンの陸軍少将で軍事学者

「クラウセヴィッツ

 

ドイツの政治学

カール・シュミット

 

クリスチャンの評論家

山本七平

 

東工大名誉教授で日本語学者

芳賀綏(はがやすし)」

 

以上の先人の著作の力を借りながらお伝えしていきます。

 

今回のブログでは、カール・フォン・クラウセヴィッツのお力をお借りしたいと思います。

 

ブログは以下の内容です。

1 クラウセヴィッツについて

2 『戦争論』という著書

3 命のやり取りの最前線”歩兵”

4 力こそ正義?

5 まとめと次回のテーマ

それでは始めていきますね!

 

 

1 クラウセヴィッツについて

皆さん「クラウセヴィッツはご存じでしょうか?

 

クラウセヴィッツは、業界では有名な方です。

 

 

 

え?

 

 

 

どの業界かって?

 

 

 

(^^;

 

 

 

軍事や政治に関する業界です(^-^;

 

彼の記した戦争論は、業界では有名です(^ⅿ^;

 

 

東洋の孫子の兵法」

 

西洋の「クラウセヴィッツ戦争論

 

 

という感じで対比すると、わかりやすいかもしれません。

 

つまりは戦争における戦略や戦術について書かれた本ということです。

 

 

 

そんなクラウセヴィッツ

 

 

 

1780年にプロイセン(ドイツの前身)で生まれた貴族です。

 

継父が軍人だったころから、その影響を強く受けたようです。

 

貴族とはいえ家が貧しかったようで、父親が請願して12才に歩兵連隊の旗手として異例の若さで入隊しています。

 

そしてその生涯を閉じる1831年まで、軍人として活動しています。

 

その軍人としての人生の中でもクラウセヴィッツがまだ若い当時、所属していたプロイセン軍フランスのナポレオン軍との戦闘に敗北しています。

 

そして、フランス軍の捕虜になるという経験もしています。

 

 

『戦争に負ける』

 

 

これがどんなに屈辱的なものなのか、20代で経験します。

 

その後、フランス占領下でもプロイセンは様々な改革を行い、クラウセヴィッツ陸軍大学校の教官を務め、プロイセンの皇太子に軍事学の指導にあたっています。

 

皇太子の軍事学指導にあたっていたわけですから、国からの信頼も厚かったはずですが、実はクラウセヴィッツはロシアで従軍の経験があります。

 

当時のプロイセンでは親フランス派と親ロシア派がいたようですが、国としてはフランスに傾いたようです。

 

クラウセヴィッツは親ロシア派だったようで、プロイセンを離れてロシアで陸軍中佐として迎え入れられています。

 

 

 

これに関して、クラウセヴィッツは色々な想いがあったようです。

 

 

 

ただ、この行動を一言で表現すると、

 

『勝つ方についた』

 

と、わたしは感じます。

 

 

 

『戦争は勝たないといけない』

 

 

 

こんな戦争の現実を直視したからこそ、その時の状況を冷静に分析して勝つ方についたんだと感じます。

 

実際にナポレオン率いるフランス軍は、ロシアに敗れています。

 

その後クラウセヴィッツはロシアとプロイセンの連絡将校を経て、プロイセン軍に復帰し、陸軍大学校の校長になっています。

 

12才という年齢で歩兵連隊の旗手として軍に入り、敗北して捕虜を経験し、国を離れて他国の軍隊に従軍して、復帰後は母国の陸軍大学校の校長になる。

 

そんな異色な経験を持つ、クラウセヴィッツ戦争論について見ていきたいと思います。

 

 

2 『戦争論』という著書

戦争論を著したのは、カール・フォン・クラウセヴィッツです。

 

ただ、それを著書として刊行したのは、奥様のマリー・フォン・クラウセヴィッツです。

 

クラウセヴィッツ本人は、刊行する前にこの世を去っています。

 

そしてマリー夫人も、刊行後数年でこの世を去っています。

 

お二人の遺作とも呼べるかもしれません。

 

 

そんな風に夫婦二人三脚で刊行した「戦争論」という著書。

 

その中に書かれている中で、もっとも有名な言葉は、

 

「戦争とは、異なる手段をもって継続される政治に他ならない」

戦争論第1篇1章24)

 

だと思います。

 

わたし自身戦争論について、この言葉を一番始めに知りました。

 

もう少しわかりやすく言うと、

 

『戦争は政治の手段の内の1つ』

 

という意味に解されることが多いようです。

 

 

 

現代の日本人からすると、少し違和感があるかもしれません。

 

 

 

恐らく、

「戦争は政治の最終手段である」

 

と言われれば、ある程度は納得しやすくなるかもしれません。

 

ただ、戦争論が書かれた1800年代前半の欧州は群雄割拠の時代。

 

最終手段、と言っている余裕はなかったんだと感じます。

 

日本で言えば戦国時代みたいなものですね。

 

ただ、クラウセヴィッツは戦争は政治の手段の1つと唱えつつも、獲物を得ることしか考えない軍司令官や軍人たちを、呵責なく糾弾しています。

 

あくまで戦争は政治的な手段の1つなので、戦勝国に政治的理性が欠けると、戦勝の意義そのものが無くなると考えていたようです。

 

戦争論にはその他にも、

 

「戦争は、異なる手段を交えた、政治的交渉の継続である」

(第8篇6章B)

 

「戦争は独自の論理で動くものではなく、政治的関係から切り離しえない」

(第8篇6章B)

 

「戦争とは、ペンの代わりに剣をもって行う政治である」

(第8篇6章B)

 

というように、戦争とはあくまで政治的手段の一つであるという主張を繰り返すような言葉があります。

 

 

そして、

「戦争になると、政治は押しのけられるとの考えは完全な誤りだ」

(第1篇1章23)

 

「政治が戦争を生み出す以上、戦争は政治の手段であり、決して逆ではありえない」

(第8篇6章B)

 

というように、軍の暴走を戒めるような言葉もあります。

 

 

戦争論でこのような言葉が繰り返し使われるのには、

「クラウセヴィッツが歩兵連隊出身である」

 

ということが、強く影響しているようにわたしは思います。

 

 

3 命のやり取りの最前線”歩兵”

戦場では、人と人との命のやり取りが行われます。

 

その最前線が歩兵です。

 

この1800年代当時は、まだ騎兵もいました。

 

そして銃はまだ単発式でしたが、移動式の大砲が使用され、それまでに比べると一度の戦闘での死傷者数が増えてきた時期です。

 

クラウセヴィッツが従軍したのは12才で、旗手だったことから当初はある程度配慮されたとは思いますが、命のやり取りの現場を直接目にしていたことでしょう。

 

 

 

人間は同属である人間の命を奪うことを、本能的に避けようとします。

 

 

 

これは戦争であっても同じです。

 

 

 

戦闘ではその本能的な反応に逆らって、命のやり取りをしなければなりません。

 

 

 

つまり命のやり取りは、本能や理性の箍(たが)を外さないとできないんです。

 

 

 

戦闘が終わっても、その箍が外れっぱなしになってしまうこともあります。

 

そうならないために、西洋で言えば騎士道精神だったり、日本で言えば武士道精神というものがあります。

 

 

 

現代的に言えば、軍規と言えるでしょう。

 

 

 

恐らくクラウセヴィッツは、その箍が外れっぱなしになるとどうなるかを経験したんだと思います。

 

 

 

だからこそ、政治が軍の手綱をしっかり握っておくためにも

 

「戦争とは、異なる手段をもって継続される政治に他ならない」

 

という言葉を残しているんだと思います。

 

 

 

ただ、本能や理性の箍を外したことのある人間は、その気迫がそれをしたことがない人間とは大きく違います。

 

政治家が、その気迫に押し込まれてしまうこともあったことでしょう。

 

 

 

それを防ぐためにも、

 

「戦争になると、政治は押しのけられるとの考えは完全な誤りだ」

(第1篇1章23)

 

「政治が戦争を生み出す以上、戦争は政治の手段であり、決して逆ではありえない」

(第8篇6章B)

 

という言葉を残し、軍が武勲を挙げるための戦争に走らないように、戒めの言葉を残したんだと思います。

 

戦争は暴力の行使ではなく、武力を使った政治の行使であることを後世に伝えるために…。

 

 

 

ここまで戦争論に書かれている、戦争と政治の関係性について焦点を当ててきました。

 

ただ、クラウセヴィッツ戦争論では、その膨大な著述は「戦術・戦略」に当てられています。

 

なぜなら戦争は勝たないといけないからです。

 

 

4 力こそ正義?

戦争論には

 

「戦争は相手に自らの意志を強制するものだ」

(第1篇1章2)

 

という言葉があります。

 

政治的な目的があって戦争を始めた場合、勝てばその目的を相手に強制することができるわけです。

 

人の命を懸けて行うわけですから、勝たないと人の命も労力も無駄になります。

 

そして、負ければ相手に服従しなければなりません。

 

この当時の1800年代初頭のヨーロッパは、群雄割拠の戦国時代でした。

 

その前の1500年代~1700年代も、ずっと戦争をしています。

 

生き残るためには戦いを勝ち抜かなければならないし、負ければみじめな生活をしなければならなかったはずです。

 

「力こそ正義」なんて言葉があるように、暴力を行使して相手を屈服させるようなこともあったかもしれません。

 

もちろん日本の戦国時代にも、同様のことがあったはずです。

 

残酷だと感じますが、これが現実です。

 

そしてクラウセヴィッツは母国に勝ち残って欲しかったからこそ、この戦争論を残したんだと思います。

 

 

 

先の大戦からちょうど80年の今年。

 

 

 

戦争論が刊行されてからは、200年近く経ちました。

 

 

 

現在の欧州は戦時下です。

 

 

 

その結果には予断を許しません。

 

 

 

そして、日本も軍事的緊張が高まっていると言われています。

 

 

 

わたしたち日本人は戦争の現実を見つめ直し、この先の行く末を注視しなければならない時に来ているのかもしれません。

 

 

5 まとめと次回のテーマ

今回のブログでは、カール・フォン・クラウセヴィッツの『戦争論』を通して、「戦争の目的」をお伝えしました。

 

「戦争とは、異なる手段をもって継続される政治に他ならない」

 

の言葉が表すように、戦争は政治的な目的を達成するための手段の1つであるということでした。

 

また、あくまで私見でありますが、クラウセヴィッツがなぜこのような結論に達したのかもお伝えしました。

 

それは、理性や本能の箍が外れたままの状態になることを防ぐためでした。

 

そして、戦争は勝たなければいけないこともお伝えしました。

 

負けてしまうと、相手に要求を飲まされ苦い思いをしなければならないからでしたね。

 

 

ところで「戦争論」は、あくまでクラウセヴィッツの主張です。

 

もちろん一国の陸軍大学校の校長になるくらいの方が書いているので、戦争の現実を捉えている著作になっているんだと思います。

 

だからこそ、現代までその内容が語り継がれている訳です。

 

ただ、この主張が絶対的なものかと言われたら、そうとはいいきれないと感じます。

 

そこで次回のブログでは、クラウセヴィッツとは少し違った視点で戦争を見つめた政治学

カール・シュミット

 

をご紹介します。

 

その著作を通して、戦争と平和についてお伝えできればと思います。

 

 

次回のブログ更新は11月26日(水)の予定です。

 

是非ご覧ください(^^)☆

 


参考資料
ウキペディア『カール・フォン・クラウセヴィッツ

参考文献

1 戦争論(上)(中)(下) クラウセヴィッツ著 篠田英雄訳 ㈱岩波書店 2005年

2 天才戦略家クラウセヴィッツの生涯 『戦争論』をさらに深く理解するために 郷田豊著 日本工業新聞社 1982年6月

3 クラウゼヴィッツ語録 『戦争論』のエッセンス 加藤秀治郎編訳 ㈱一藝社 2017年12月

4 戦争の世界史 マイケル・S・ナイバーグ著 稲野強訳 ㈱ミネルヴァ書房 2022年11月

5 戦争の世界史大図鑑 R・Gグラント編著 河出書房新社 2008年7月

6 武器の歴史大図鑑 リチャード・ホームズ編著 ㈱創元社 2012年4月

7 自然災害で変わる歴史が変わる! 伊藤 賀一監修 ㈱国書刊行会 2023年5月

8 あの国の本当の思惑を見抜く地政学 社會部部長著 ㈱サンマーク出版 2025年4月(第5刷発行)

9 戦争における「***」の心理学 デーヴ・グロスマン著 安原和見訳 ちくま学芸文庫 2004年
10 「戦争」の心理学 人間における戦闘のメカニズム デーヴ・グロスマン/ローレン・クリステンセン共著 安原和見訳 二見書房 2008年

 

 

≪前回のブログ  -  次のブログ≫

 

 

陸上自衛隊に約15年勤務。レンジャー隊員。公認心理師産業カウンセラー

 

在職時は、年200件以上の面談に対応するカウンセラーの任務を行うと共に、隊員に対して「災害派遣の心構え」を教育をしていました。

 

そんな自衛隊での教育や、自身の災害派遣の経験をアレンジして、現在は「災害の心の準備」をお伝えするセミナー講師。

 

 

『どんな災害も乗り越える』

 

 

その心の準備を”自衛隊式”でレクチャーしています。

 

 

このブログでは、防災のこと、身心の健康、そしてちょっとだけ自衛隊の話を綴っています。

 

自衛隊での経験やセラピストとして学んだことが、皆様のお役に立てば幸いです。

 

ブログの更新は隔週水曜日。

 

月に一度、ブログテーマのアナウンスをしています。

 

アナウンスをご希望の方は、ご連絡ください。

 

連絡先はこちら
LINE公式アカウント:https://lin.ee/ky0Ngjp
Mail:sukkirioasis@gmail.com

 

読者になりたい方はこちら

 

最後までご覧いただきありがとうございました。感謝です。

 

 

WEBページ

 

公式X(エックス)

『身体の健康・心の健康・防災』のニュースをポストしています。

https://x.com/sukkirioasis

⇨フォローして、是非情報を受け取ってくださいね。

 

経歴・資格など

公認心理師(国家資格)、産業カウンセラー、リラクゼーションセラピスト(1級)、元陸上自衛官、レンジャー隊員、上級体育指導官、予備自衛官(衛生官)

〔※「Windship」及び「Windship treatment」は登録商標です。〕

 

前回のブログ 

【ハンターになりたい方必見!】『銃猟・わな猟・網猟』免許取得の道

令和7年10月29日

実は前々から興味を持っていた狩猟。つい先日、念願叶っての免許を取得しました!狩猟免許取得までの費用や勉強方法についてお伝えします。是非ご覧ください☆

お疲れ様です。

 

自衛隊卒のセラピストの岡田 凰里(おかだ おうり)です。

 

ブログを読んで下さって、ありがとうございます。

 

10月も間もなく終わりですね。

 

秋も深まって、東京でも紅葉が見られるようになりました。

 

わたしが一番好きな季節。

 

心地よく過ごせています。

 

 

前回のブログでは被災1年半後の奥能登の現状をお伝えしました。

 

被災後初めて輪島市以外の地域、珠洲市能登町にも足を伸ばして、その現状を取材しました。

 

そして、本当は内緒にしたい輪島のグルメもちょっとだけご紹介しました(^ⅿ^;

 

前回のブログもぜひご覧ください。

 

 

さて、今回のブログでは先日取得した狩猟免許についてお伝えします。

 

以前から興味のあった狩猟。

 

免許を取りたい方のために、取得までの道をブログでご案内します。

 

なお、狩猟については各都道府県知事から免許を受けます。

 

ですので、各都道府県ごとに違いがありますのでご承知ください。

 

今回ご紹介するのは、東京都の狩猟免許についてです。

 

ただ、他の地域で免許を受ける際にも参考になると思いますので、都民以外の方でも狩猟免許取得にご興味がある方は是非ご覧ください。

 

ブログは以下の内容です。

1 なぜ狩猟免許を取得したのか

2 免許取得までの費用と勉強

3 銃猟第1種と第2種

4 野生と上手に付き合うために

5 まとめと次回のテーマ

それでは始めていきますね!

 

 

1 なぜ狩猟免許を取得したのか

「狩猟免許を取りたい!」

 

そんな方は周りにいますか?

 

私の周りにはほとんどいませんでした(^^;

 

ただ、以前から猟には興味がありました。

 

わたしは昔からジビエ料理が好きだったので、機会があった際には必ず食べていました。

 

 

 

猪鍋や鹿シャブなんかを食べたことがあります。

 

 

 

そしてレンジャー訓練で、動物などのさばき方も教わって(^^)

 

 

 

普段の生活では、それを専門の方にやってもらってお肉をいただいていますが、自分でさばいて命をいただくのは、わたしには合っているなと感じたんです。

 

そんなこんなで自分でも猟をやってみたいとは思っていたんですが、なかなか気が進まなかったんです。

 

 

 

なぜなら「銃猟」しか知らなかったからです。

 

 

 

猟と聞いた時に、先入観で銃での猟しか頭になくて(^^;

 

自衛隊にいたので、銃の管理の面倒臭さは理解していたので、そこまでするのは大変だなと思っていたんです。

 

ところが今年に入ってから、猟には「わな」や「あみ」があるのを教えてもらって(^o^;

 

自分でちゃんと調べろよって話なんですが、先入観って恐ろしいですね(^n^;

 

教えてもらった方からのアドバイスで、

 

「取るんだったら、銃・わな・あみを一緒に取っちゃった方がいい」

 

と言われたので、全部一緒に取ることにしました。

 

 

2 免許取得までの費用と勉強

当たり前のことかもしれませんが、お伝えしておきます。

 

狩猟免許を取得してハンターになるには、試験を受けて合格する必要があります(^^;

 

その試験を受けるためには、都道府県に対して申請する必要があります。

 

東京都の場合は、環境局に申請することになります。

 

銃猟・わな猟・網猟を同時に申請した場合に必要なのは、

 

●試験手数料

5200円×3種類=15600円

 

●診断書

3000円

 

●住民票写し

300円

 

●現金書留(封筒及び郵便料金)

21円+962円=983円

 

●返信用封筒と切手

320円(封筒料金除く)

 

●写真(3×2.4㎝)

適宜

 

になります。

 

 

試験手数料は、受験前の段階で銃・わな・網のどれかの免許を持っていると一部免除となり、3900円で済みます。

 

ただ、3年更新なので長い目で見た時に、全部一緒に取っておいた方が更新が楽だと思います。

 

種別毎に更新しなくて済みますからね。

 

 

診断書については、内科医院で書いてもらいました。

 

精神疾患の罹患者でないこと、薬物中毒ではないことを証明するものです。

 

事前に医院に電話して、

「狩猟免許取得のために診断書を書いてもらいたい」

 

と伝えておくのがいいと思います。

 

定型が自治体のウェブサイトにありますので、印刷して持っていきました。

 

 

住民票については、居住している都道府県の知事に対して申請するので、その証明ですね。

 


現金書留については、料金を郵送するために必要です。

 

クレカ決済もできたんですが、わたしは書留にしました。

 


そして返信用の封筒は、受験票を返信してもらうためのものです。

 

特定郵便にしてもらうために320円の切手を貼りました。

 

どうやら普通郵便の110円でも対応してもらえるようですが、一応受験票ですので(^^;

 

追跡できる特定郵便が推奨されていたので、そうしました。

 

 

そして写真は、受験票に貼るための写真ですね。

 

わたしは最近撮った証明写真があったので、それを使いました。

 

6カ月以内に撮影した、無帽・正面・上三分身・無背景の縦3×横2.4㎝ものです。

 

 

 

合計すると、

 

20203円

 

です。

 

写真代を入れると、21000円位ですね。

 

 

 

結構な値段ですよね(^^;

 

 

 

そりゃ、落ちるわけにはいかないわけです(^o^;

 

 

 

という訳で、勉強方法についてです。

 

わたしの個人的な意見ですが、各都道府県の猟友会が行っている講習会を受けた方がいいと思います。

 

というより、強くおススメします(^^;

 

講習会に申し込むと、テキストや試験問題集がついてきます。

 

テキストと問題集は事前に送ってもらえますので、それである程度テキストに眼を通して、講習会を受講するのがいいと思います。

 

受験すると決めたら、早めに猟友会に申し込みましょう。

 

そうすればテキスト等が早めに手に入りますので、勉強の計画にもゆとりができます。

 

 

そして銃猟・わな猟・網猟の3種類を同時に受講すると、

 

24000円

 

になります。

 

 

狩猟に関するさまざまな知識と試験対策の両方を学べることを考えると、高いとは思いませんでした。

 

猟友会の講習を受けずに、一般の書籍だけで勉強して受験するというのはおススメしません。

 

実技試験もありますので、受講した方が安心だと思います。

 

 

 

それと、3つの講習を1日で受講というのはかなりハードスケジュールでした(^^;

 

 

 

わたしは府中市の市民会館で受けました。

 

ランチでもしようかと思っていたら、そんな余裕はなくコンビニでカップラーメンになっちゃいました(^^;

 

講習会の際はお弁当を持っていくべきでした…。

 

ただ、試験日当日はお昼の時間には余裕があったので、ランチは可能だと思います。

 

ま、ビビッて弁当持って行っちゃったんですけどね(^n^;

 

 

 

受験までにかかる費用は、試験手数料と猟友会の講習を合わせて約45000円ですね(^^;

 

 

 

絶対に落ちるわけにはいかなくなるわけです(^o^;

 

 

 

必死に勉強して、無事に合格することができました。

 

ちなみにわたしはテキストと問題集、そして講習会に習ったこと以外は勉強していません。

 

あ、少しネットで調べたりもしましたね(^^;

 

そんな感じです。

 

なお、当日は身体検査もあります。

 

それにも合格しなくてはいけないので、自治体の担当部署のウェブサイトで内容を確認してみて下さい。

 

 

3 銃猟第1種と第2種

これはあんまり気にしなくていいと思うんですが、迷う方もいらっしゃるかもしれないので、一応お伝えしておこうと思います。

 

銃猟に関しては、第1種第2種があります。

 

第1種は、装薬銃(火薬を使う銃)と空気銃を扱うための免許です。

 

第2種は、空気銃のみを扱うための免許になります。

 

 

なので第1種の免許を取得しておけば、銃猟に関しては大丈夫です。

 

 

 

ただ、講習会や試験会場には1種と2種、両方の免許を取得する方がいて…(^^;

 

 

 

わたしが何か勘違いしているのかと思って、猟友会のスタッフの方に聞いてみたんです。

 

そしたらやっぱり1種を取得すれば大丈夫と教えてくれました。

 

恐らくは資格コレクターの様な方がいて、コンプリートしたいような感じみたいです(^^;

 

試験料、講習料、そして3年毎の更新料を払ってでもコンプリートしたいということだと思いますが、ご希望の方はそういったことも可能だそうです。

 

わたしはもちろん、第1種のみでしたが…(^^;

 

 

4 野生と上手に付き合うために

今年に入ってから熊の被害のニュースをたくさん拝見します。

 

『熊害(ゆうがい)』

 

ですね。

 

「獣害」ではなく『熊害』が特筆されるのは、人が命を落とすリスクが高いからです。

 

以前の熊害のブログでもお伝えした通り、熊にとって人間は捕食対象です。

 

 

 

 

 

熊は人間を食べます。

 

 

 

 

 

これが事実であり現実です。

 

 

 

 

 

つまり絵本やアニメのように、笑顔で仲良く共生なんてことはできないんです。

 

 

 

 

 

そしてわれわれ人間の文明社会と、動物などの野生社会が共生するために必要なこと。

 

 

 

 

 

それは1つです。

 

 

 

 

 

『境界線を明確にすること』

 

 

 

 

 

その境界線を守るため仕事の内の1つがハンターです。

 

 

 

 

 

以前から熊を駆除するハンターに対して、心無い言葉を浴びせる方がいます。

 

今回、狩猟免許を取得するために猟友会の講習に参加しました。

 

猟友会のスタッフの方とコミュニケーションをとりましたが、狩猟に対してとても真摯な気持ちで向き合っていました。

 

そして熊撃ちは命懸けなので、進んでやりたいというものではありません。

 

わたしはまだまだヒヨッコで猟はしたことはありませんが、いずれは害獣駆除にも携わりたいと思っています。

 

ハンターや猟友会、そして自治体に心無い言葉を浴びせているのは、ごく一部だと思います。

 

ただそういった言葉って、とてもダメージが大きいんですよね。

 

 

 

食べ物で例えると、、、

 

 

 

身体にいいモノって、食べ続けなければならないですよね。

 

でも毒は一滴でも、ものすごくダメージがあります。

 

 

 

 

言葉でも同じです。

 

「ありがとう」はその都度伝えないと、心地よい気持ちは保てません。

 

でも、毒のある言葉は一言だったとしても、いつまでもあとに残ります。

 

 

 

その毒みたいな言葉を浴びせ続けられれば・・・。

 

 

 

身心ともにとても疲弊します。

 

 

 

これは、熊に対峙するという危険な役目を果たしてくださるハンターの皆様に対して、あまりにも理不尽なことだと思います。

 

 

 

このブログを読んで共感してくださった皆様には、野生との境界線を守っているハンターや猟友会の方に、感謝の言葉を伝えてほしいんです。

 

 

 

その毒の言葉を打ち消すぐらいに…。

 

 

 

わたしは熊害のニュースを拝見した際は、Xに「#ハンターありがとう #猟友会ありがとう」のハッシュタグをつけて、ニュースをポストするようにしています。

 

 

 

是非ともリポストをお願いします。

 

 

 

そんな感謝のハッシュタグで、Xを埋め尽くせればと思います。

 

自衛隊卒のセラピスト公式X(エックス)

自衛隊卒のセラピスト@スッキリオアシス(@sukkirioasis)さん / X

 

 

5 まとめと次回のテーマ

今回のブログでは、ハンターになりたい方のために、銃猟・わな猟・網猟の免許取得の道をご案内しました。

 

免許取得までにかかる料金

 

試験合格のための勉強方法

 

そしてハンターの役割

 

 

最後はちょっと真面目な感じになってしまいましたが、猟の楽しみというのもあります。

 

俳優の東出昌大さんなんかは、YouTubeで狩猟生活を配信してますよね。

 

あんな風に狩猟と料理を楽しみながら、森の番人を勤めるのがハンターだと思います。

 

もしご興味のある方はご覧になってみて下さい(^^)

 

現在動画の配信は休止しているとなっていますが、ショート動画は投稿されているみたいです。

 

わたしはチャンネル登録して、楽しみながら拝見しています。

 

 

野生との境界線を守ってくださっている皆様に、心から感謝いたします。

 

ありがとうございます。

 

 

――――――――――
以下、11‐12月のブログテーマのご案内です。

 

次回のテーマは

戦争と平和(仮題)』

 

です。

 

 

先の大戦から今年でちょうど80年が経ちました。

 

人ひとりの生涯と同じ期間が経った戦後。

 

そろそろ冷静な目線で振り返っていいと思うんです。

 

 

わたしは元陸自レンジャー隊員で公認心理師

 

実戦経験はありませんが、戦場の心理を深く学んでいます。

 

そんな視点から戦争と平和についてお伝えします。

 

そしてわたしごときの力だけでは、戦争と平和について語れるものではありません(^^;

 

という訳で…、

 

 

クラウセヴィッツ

 

カール・シュミット

 

山本七平

 

そして芳賀綏(はがやすし)

 

 

こんな先人の力をお借りして、ブログをお届けします。

 

ブログの更新は11月12日(水)の予定です。

 

是非ご覧ください。

 


熊害のブログ

 

東出昌大さんのチャンネル

 

参考資料

1 東京都環境局ウェブサイト

2 東京都猟友会ウェブサイト

 

 

≪前回のブログ  -  次のブログ≫

 

 

陸上自衛隊に約15年勤務。レンジャー隊員。公認心理師産業カウンセラー

 

在職時は、年200件以上の面談に対応するカウンセラーの任務を行うと共に、隊員に対して「災害派遣の心構え」を教育をしていました。

 

そんな自衛隊での教育や、自身の災害派遣の経験をアレンジして、現在は「災害の心の準備」をお伝えするセミナー講師。

 

 

『どんな災害も乗り越える』

 

 

その心の準備を”自衛隊式”でレクチャーしています。

 

 

このブログでは、防災のこと、身心の健康、そしてちょっとだけ自衛隊の話を綴っています。

 

自衛隊での経験やセラピストとして学んだことが、皆様のお役に立てば幸いです。

 

ブログの更新は隔週水曜日。

 

月に一度、ブログテーマのアナウンスをしています。

 

アナウンスをご希望の方は、ご連絡ください。

 

連絡先はこちら
LINE公式アカウント:https://lin.ee/ky0Ngjp
Mail:sukkirioasis@gmail.com

 

読者になりたい方はこちら

 

最後までご覧いただきありがとうございました。感謝です。

 

 

WEBページ

 

公式X(エックス)

『身体の健康・心の健康・防災』のニュースをポストしています。

https://x.com/sukkirioasis

⇨フォローして、是非情報を受け取ってくださいね。

 

経歴・資格など

公認心理師(国家資格)、産業カウンセラー、リラクゼーションセラピスト(1級)、元陸上自衛官、レンジャー隊員、上級体育指導官、予備自衛官(衛生官)

〔※「Windship」及び「Windship treatment」は登録商標です。〕

 

前回のブログ 

【令和6年能登半島地震⑤】被災後1年半の輪島を訪ねて

令和7年10月15日

令和6年1月1日に発生した能登半島地震から、はや1年半。メディアで能登のことはほとんど見なくなりました。車で巡った現在の奥能登をご案内します。是非ご覧ください☆

お疲れ様です。

 

自衛隊卒のセラピストの岡田 凰里(おかだ おうり)です。

 

ブログを読んで下さって、ありがとうございます。

 

 

10月に入りだいぶ気温は落ち着いてきましたね。

 

ただ、天気の悪い日は寒いくらいです(^^;

 

昼夜の寒暖の差がかなりありますので、体調管理には注意して過ごさないといけませんね。

 

 

9ー10月のブログのテーマは

『平成27年関東・東北豪雨災害』

 

です。

 

前回のブログでは『決壊した鬼怒川の10年後の今』をお伝えしました。

 

自衛隊の復旧活動

 

復興した河川敷

 

災害と開発の関係性

 

鬼怒川沿い約30キロの現地取材で感じたことを、写真と共にお伝えしました。

 

前回のブログも是非ご覧ください。

 

 

 

さて、今回のブログは10年前の災害ではなく、昨年の元日に発生した能登半島地震についてお伝えします。

 

これまでも被災した能登は輪島の状況をお伝えしていますが、その5回目になります。

 

今までは陸路で輪島に行っていましたが、今回は空路。

 

そしてレンタカーを借りて、輪島だけではなく珠洲能登町にも足を伸ばしてみました。

 

被災後1年半の奥能登の今を、写真とともにお伝えします。

 

ブログは以下の内容です。

1 今回の取材の交通手段

2 被災後1年半の輪島と奥能登

   (1)    輪島市中心街の現状

   (2)    奥能登豪雨の土砂災害の跡

   (3)    半島の最先端「珠洲」の今

3 内緒にしたいグルメと宿

   (1)    割烹「新駒」

   (2)    民宿「輪島」

   (3)    道の駅は曜日限定で営業中

4 魂の演奏『御神乗太鼓』

5 まとめと次回のテーマ

それでは始めていきますね♬

 

 

1 今回の取材の交通手段

今回は輪島までは空路で行きました。

 

これまで輪島の被災状況をお伝えするための取材では、すべて陸路でした。

 

東京から新幹線を使ったり、

 

大阪から特急を使ったり、

 

夜行の高速バスを使ったり、

 

現地の交通事情だったり、日程だったりを考慮して陸路にしていました。

 

 

 

というのは、実は言い訳で(^^;

 

 

 

高いところが苦手なので、今まで空路を選ばなかったんです(^n^;

 

 

いやいや!

 

自衛官が何をいっとんねん!!

 

そんなツッコミがきそうですが、、、(^^;

 

 

いやそりゃ、任務の時はやってましたよ!

 

ヘリも乗ってましたし、リペリングもやってましたから!

 

でも、極力高いところには行きたくないんです(^n^;

 

去年3000ⅿ超の「木曽御嶽山」に取材で登りましたが、一刻も早く下山したかったですからね…(^o^;

 

今回は1泊2日の日程で取材を計画したんですが、タイパとコスパを考えるとどうしても空路にならざるを得なくて…(_ _;

 

 

 

そんな訳で、今回は空路です(^ⅿ^;

 

 

 

往路は電車で羽田空港まで。

 

のと里山空港に到着後は、そこからレンタカーで輪島まで行きました。

 

羽田を昼過ぎに出て、のと里山空港に16時頃到着。

 

少し写真撮影して、居酒屋へ。

 

翌日はレンタカーで奥能登をぐるっと周って、夕方の便で羽田に帰るというスケジュールでした。

 

航空機はANAの往復スーパーバリュー21Lで、19,800円で往復できました。

 

金沢までの早割の新幹線代とほとんど変わりません。

 

のと里山空港からはレンタカーでしたが、24時間で11,550円。

 

ガソリン代は奥能登をぐるっと一周で、1900円ほどでした。

 

能登での機動力を考えると、レンタカーの方が断然いいです。

 

そして空の旅はとても快適でした(^^)

 

富士山も見えましたし♬

 

 

帰りは羽田からリムジンバスにしたんですが…

 

週末金曜日だったせいか、羽田からのリムジンバスは渋滞が…(^^;

 

渋滞で車内にいるって結構疲れるので、次回からは電車で帰ろうと思いました(^.^;

 

 

それでは被災1年半後の輪島の様子をお伝えしますね。

 

 

2 被災後1年半の輪島と奥能登

自分の生まれ故郷が輪島だと、それ以外の場所はなかなか行かないものです。

 

わたしが能登半島をぐるっと周るのは15年ぶり。

 

お墓のある能登町は何度か言っていたものの、珠洲は本当に久しぶりでした。

 

写真とともに、今回の取材で周った奥能登をご紹介します。

 

 

(1) 輪島市中心街の現状

まずは輪島の中心街の状況です。

 

毎度のことではありますが、朝のジョギングがてら撮影しました(^^;

 

それと前日の夕方にも撮影したので、日の当たり方がちょっと違ったりしていますが、どうかご容赦ください。

 

それではジョギングスタートです(^^♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

令和6年の6月、令和7年の1月に行った際には解体の機械音が至る所から聞こえていました。

 

令和7年の8月の時点では、街はある程度落ち着いた雰囲気になっていました。

 

そして落ち着きととともに、静けさが漂っていました。

 

本当に片付いたと思います。

 

片は付いたと思います。

 

 

 

ただ…。

 

 

 

閑散としているんです。

 

 

 

そんな風景に切ない気持ちになることを禁じえません。

 

 

(2) 奥能登豪雨の土砂災害の跡

次に震災と同じ年の9月に発生した、豪雨による土砂災害のその後をお伝えします。

 

震災と同じ年に起きた土砂災害。

 

もちろん輪島だけではなく、奥能登珠洲能登町も被害を受けました。

 

特に輪島市の久手川町を流れる塚田川、町野町での氾濫は頻繁にメディアに取り上げられていました。

 

 

わたしは偶然にも、土砂災害に被災する前の久手川町の塚田川周辺の写真を撮っていました。

 

その写真とともに、一年経った塚田川の周囲の状況をお伝えします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9ー10月のテーマは『平成27年関東・東北豪雨災害』です。

 

豪雨災害の破壊力は、このブログをご覧下さっている方はご理解いただいていると思います。

 

そしてその場の降雨の状況ではなく、上流の降雨の状況が強く影響するのも承知いただいてると思います。

 

さらにそういった経験や知識がないと、避難行動に移りにくいということを今回のテーマを通してお伝えしました。

 

 

 

線状降水帯は、今やどこで起きてもおかしくありません。

 

 

 

10年前の豪雨災害、そして奥能登の豪雨災害を線状降水帯への対策のきっかけにしてもらえれば幸いです。

 

 

(3) 半島の最先端「珠洲」の今

まずは珠洲市の場所をご紹介しますね。

 

こちらになります。

 

 

輪島から珠洲まで、どうやって行こうか迷いました。

 

海岸沿いの道を使って、半島をぐるっと一周したかったんですが、グーグルマップではバツがついていたんです。

 

そして輪島市内で聞いた話だと、地元の方しか通行できないと教えてもらいました。

 

ただ、現地へ行ってみたら通行止めが一時解放中になっていて、半島の先まで行くことができました。

 

隆起した海岸線を横に眺めながら、土砂崩れの上にアスファルトを引いて道を通しているようなところもありました。

 

道の駅『のろし』でトイレを済ませて。

 

 

その場で工事されていた方とちょっと話したんですが、道の駅は金・土・日は営業しているそうです。

 

もしかすると道の駅が営業する曜日だけは、一時的に道を開放しているのかもしれません。

 

 

去年の段階で

「輪島より珠洲の方がヒドイ」

 

と輪島在住の方から聞いていました。

 

実際に行ってみて、その意味が解りました。

 

輪島は朝市の火事で、建物が焼失しました。

 

しかし、珠洲地震の揺れで多くの建物が倒壊したみたいです。

 

見渡す限り広がっている草叢が、それを物語っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、時間がなくて能登町にはあまり滞在できませんでしたが、宇出津港にはまだ瓦礫が積み重なっていました。

 


地震のものか、豪雨災害のものかは判別がつきませんが、災害ゴミというのはなかなか片付かないものです。

 

 

以上が現在の奥能登の現状です。

 

以前に比べれば、復旧はかなり進んだと言えると思います。

 

ただ、復興はというと何とも言えません。

 

一歩ずつしか進めませんので、これからということでしょう。

 

そんな中で、営業しているお店もあるんです。

 

 

3 内緒にしたいグルメと宿

皆さんは奥能登を観光したことはありますか?

 

恐らくは、無い方が多いんじゃないでしょうか。

 

金沢駅から輪島市内までは100キロ以上ありますので、確かにちょっと行きにくいと思います。

 

 

 

だからこそ、奥能登の食のレベルの高さをご存じないと思います(^^;

 

 

 

能登の普通の食事は、普通じゃありません。

 

 

 

美味しいというより、感動の味です。

 

 

 

それが日常の味なんです(^o^;

 

 

 

スーパーで、普通に感動的な味の魚が売ってます。

 

 

 

ま、もちろんわたしの地元贔屓も入っていると思いますが…。

 

 

 

本当は内緒にしたいんです(^^;

 

 

 

なぜならとっておきだからです(^ⅿ^;

 

 

 

ただ、今回はお店のご厚意でブログでご紹介する許可を得ました(^^)

 

 

 

少しではありますが、ご紹介しますね!

 

 

(1) 割烹「新駒」

わたしは輪島のお店で飲み歩いたことはありませんでした。

 

親戚の家に泊まって、食事をいただいていたので(^^;

 

今はそうはいかないので、外での食事になりました。

 

ご馳走になったのは新駒さんです。

 

 

 

言葉より写真を見てもらった方がわかりやすいと思いますので、どうぞご覧ください(^^)

 

 

 

 

 


一つ一つを噛みしめながら、ビールを美味しくいただきました(^^)

 

わたしのとっておきの輪島グルメをばらしちゃいました…、ね(^^;

 

営業している店は少ないせいか、店内は満席でした。

 

行かれる際は、早めがいいかもしれません。

 

 

(2) 民宿「わじま」

今回お世話になった宿は、民宿わじまさんです。

 

 

 

玄関に飾られている表示の通り、透き通るような床でした。

 

 


って、写真撮り忘れちゃってすみません。

 

純和風の部屋で、お風呂は自由に入れました。

 

令和7年8月現在、食事の提供はされていませんでしたが、ゆっくりくつろげる素敵な宿です。

 



輪島の宿は営業していますが、検索サイトなどではほとんど出てきません。

 

わたしはグーグルマップで宿を検索して、直接電話して予約しました。

 

ちょっと手間かもしれませんが、アナログなやり方も悪いものではありません。

 

輪島に宿泊をご検討の際は、直接電話してみて下さい(^^)

 

 

(3) 道の駅は曜日限定で営業中

今回の取材で立ち寄った道の駅は

 

「道の駅”輪島ふらっと訪夢”」

 

「道の駅”千枚田ポケットパーク”」

 

「道の駅”狼煙”」

 

です。

 

 

輪島ふらっと訪夢は建物にほとんど被害がなかったのと、高速バスの発着点になっているので、被災後からも毎日営業しているようです。

 

ただ、”千枚田ポケットパーク”や”狼煙”は金土日のみの営業で、時短営業です。

 

もちろんお手洗いや自動販売機は使えますので、ご利用はいただけます。

 

 

もし、

「道の駅で何かを買いたい」

 

という方は営業日を確認してから行ってくださいね(^^)

 

わたしは今回、輪島ぷらっと訪夢でお土産を買って、千枚田ポケットパークではソフトクリームをいただきました(^o^)

 

狼煙は営業時間外だったので、お手洗いだけ借りました。

 

ちなみにコンビニも時短営業をしています(^^;

 

店舗によって営業時間が違うみたいなので、お店の掲示を確認するようにしてくださいね。

 

 

 

ナハハ・・・(^^;

 

わたしのとっておきの場所を紹介しちゃいましたね(^n^;

 

もちろん地元贔屓はあると思いますが、行ってみればご納得いただけると思います。

 

そして、本当にわたしの個人的なとっておきですが、一番好きな太鼓の演奏をご紹介します。

 

 

4 魂の演奏『御神乗太鼓』

以前のブログでもご紹介したことがある「御神乗太鼓」

 

輪島市名舟町が発祥の地で、石川県指定の無形民俗文化財に指定されています。

 

この太鼓は他の太鼓の演奏とは明らかに違います。

 

襲来する外敵を押し返すための演奏なんです!

 

その外敵とは、あの戦国最強とも言われる上杉謙信軍です!!

 

その由来をウェブサイトから引用しますね。

 

『現在の珠洲市三崎町に上陸した上杉勢は、各地を平定し天正5年、破竹の勢いで名舟村へ押し寄せてきた』

 

『武器らしいものがない村人達は、鍬や鎌まで持ち出して上杉勢を迎撃する準備を進めたが、あまりにも無力であることは明白であった』

 

『しかし郷土防衛の一念に燃え立った村人達は、村の知恵者といわれる古老の指図に従い、樹の皮で仮面を作り、海藻を頭髪とし、太鼓を打ち鳴らしながら寝静まる上杉勢に夜襲をかけた』

 

『上杉勢は思いもよらぬ陣太鼓と奇怪きわまる怪物の夜襲に驚愕し、戦わずして退散したと伝えられている』

 

あの上杉軍を押し返した太鼓の演奏がこちらです。

 


そして、わたしの隣にいた方が動画を取っていましたが、YouTubeにアップしてくれていました。

 

 

この演奏は7月31日、8月1日に毎年行われている名舟大祭の奉納です。

 

わたしは名舟での演奏を見るのは初めてでした。

 

 

 

 

 

 

 

泣きました。

 

 

 

 

 

 

 

今の奥能登の現状を見てまわった後に、この演奏を聞いたんです。

 

涙なしには見られませんでした。

 

 

 

 

もしご興味を持ってくださった方は、『青い生態』さんの動画をご覧ください。

 

被災後、隆起した場所に作った道を通って名舟まで行く道と、御陣所太鼓のフル演奏をご覧になれます。

 

青い生態『名舟大祭』

 

 

5 まとめと次回のテーマ

今回のブログでは被災1年半後の奥能登の現状をお伝えしました。

 

今回は被災後初めて輪島市以外の地域、珠洲市能登町にも足を伸ばしてみました。

 

そして、本当は内緒にしたい輪島のグルメもちょっとだけご紹介しました(^。^;

 

 

実は先日8月1日に、令和6年能登半島地震対策検証委員会から検証報告書が発表されています。

 

発災後概ね3カ月間に、県が行った初動対処や業務について検証するものです。

 

行政の皆様は、この検証報告をもってこの震災の振り返りをすることでしょう。

 

それが能登の復興について、新たな一歩になるはずです。

 

 

そして、ぜひ北陸に足を運んでみて下さい。

 

北陸のグルメは格別です!

 

さらに奥能登には、内緒にしたかったとっておきのグルメがたくさんあります(^ⅿ^)

 

能登のグルメにご興味を持ってくださった方は、ReHacQの動画をご覧ください。

 

偶然ですが、わたしよりちょっと前の時期に、能登に取材に来てくださったそうです。

 

ひろゆきさんや石丸伸二さんが、能登の今を紹介してくれています。

 

ReHacQの能登紹介の動画

 

今後も、能登の復興を見つめていきたいと思います。

 

 

次回のブログ更新は10月29日(水)の予定です。

 

実はわたし、先日試験を受けて「狩猟免許」を取得したんです!

 

その免許取得の方法をお伝えします。

 

是非ご覧ください(^^)☆

 

 

参考資料

御陣所太鼓保存会ウェブサイト

 

 

≪前回のブログ  -  次のブログ≫

 

 

陸上自衛隊に約15年勤務。レンジャー隊員。公認心理師産業カウンセラー

 

在職時は、年200件以上の面談に対応するカウンセラーの任務を行うと共に、隊員に対して「災害派遣の心構え」を教育をしていました。

 

そんな自衛隊での教育や、自身の災害派遣の経験をアレンジして、現在は「災害の心の準備」をお伝えするセミナー講師。

 

 

『どんな災害も乗り越える』

 

 

その心の準備を”自衛隊式”でレクチャーしています。

 

 

このブログでは、防災のこと、身心の健康、そしてちょっとだけ自衛隊の話を綴っています。

 

自衛隊での経験やセラピストとして学んだことが、皆様のお役に立てば幸いです。

 

ブログの更新は隔週水曜日。

 

月に一度、ブログテーマのアナウンスをしています。

 

アナウンスをご希望の方は、ご連絡ください。

 

連絡先はこちら
LINE公式アカウント:https://lin.ee/ky0Ngjp
Mail:sukkirioasis@gmail.com

 

読者になりたい方はこちら

 

最後までご覧いただきありがとうございました。感謝です。

 

 

WEBページ

 

公式X(エックス)

『身体の健康・心の健康・防災』のニュースをポストしています。

https://x.com/sukkirioasis

⇨フォローして、是非情報を受け取ってくださいね。

 

経歴・資格など

公認心理師(国家資格)、産業カウンセラー、リラクゼーションセラピスト(1級)、元陸上自衛官、レンジャー隊員、上級体育指導官、予備自衛官(衛生官)

〔※「Windship」及び「Windship treatment」は登録商標です。〕

 

前回のブログ