【令和6年9月15日】
御嶽山噴火災害からまもなく丸10年です。それに伴い現地の今を取材してきました。今回のブログでは、村役場でインタビューをして感じたことをお伝えします。是非ご覧ください。
お疲れ様です。
自衛隊卒のセラピストの岡田 凰里(おかだ おうり)です。
ブログを読んで下さって、ありがとうございます。
9月に入りましたが、残暑はまだまだ厳しいですね。
というか、厳しすぎますね(^^;
ただ、毎日が短くなっているのを感じます。
早く秋になって欲しいものです。
さて、今月は防災月間です。
それに合わせて、今月のブログは10年前の9月27日に発災した
『平成26年御嶽山噴火災害』
をテーマにしたいと思います。
先日、中山道を旅してきたんですが、それはこの噴火災害を取材するためだったんです。
災害救助の拠点となった「王滝村役場でのインタビュー」
実際に登山して確認した「噴火から10年後の御嶽山」
噴火災害について気軽に学べる「2つの研修施設」
3回に分けてお伝えしていきます。
今回のブログでは、長野県王滝村役場の防災担当の方へのインタビューをして感じたことをお伝えします。
ブログは以下の内容です。
1 王滝村と災害の歴史
2 噴火災害とわたしの経験
3 村役場でのインタビュー
4 取材を通して感じたこと
(1) 噴火予知の難しさ
(2) 経済へのダメージ
(3) 噴火災害に関する裁判
5 まとめと次回のテーマ
それでは始めていきますね
1 王滝村と災害の歴史
まずは…。
「王滝村ってどこ?」
って感じですよね(^^;
はい。
長野県で一番大きな村になります。
場所はコチラです。
【長野県王滝村】
御嶽山の麓の歴史ある村です。
平安時代、後白河方法から「王」の字をいただくことを許された、遥か古より続く、深く濃い山麓と無数の滝がある村。
それが王滝村です。
御嶽山は山岳信仰となっており、今でもその信仰の為の登山が行われています。
ただ、御嶽山に登山をするという方でもなければ、なかなか馴染みがない村だと思います。
最近の王滝村での災害と言えば、平成26(2014)年9月27日に発災した御嶽山噴火になるかもしれません。
ただ実は、それ以前の昭和59(1984)年9月14日に発災した、
「長野県西部地震」
もあります。
震源の深さが約2キロと非常に浅かったため、非常に強い揺れが観測されました。
この地震で、御嶽山では大規模な山体崩壊が発生し、土砂崩れや土石流が発生しました。
王滝村では29人が犠牲となり、家屋の倒壊などの大きな被害が出たそうです。
わたし自身はこの地震のことは知りませんでした。
まだ幼かったので、記憶になかったわけです。
この噴火災害では、死者行方不明者あわせて63名の方が犠牲になられています。
戦後最悪の噴火災害です。
そんな大規模な災害に30年越しに見舞われた王滝村。
わたしが訪れたのは、初めてではありません。
2 噴火災害とわたしの経験
わたし自身は、王滝村に訪れたのは人生で2回目。
わたしは元自衛官。
10年前は災害派遣の任務の一環で赴きました。
当時のことを思い出すと…。
実は発災した当日は、打ち上げの宴会の日だったんです(^n^;
自衛隊には○○競技会というものがたくさんあって、その閉会式の最中に噴火災害の情報が…。
打ち上げはもちろん中止。
競技会で体力が削られている隊員もいる中、そのまま災害派遣になりました(^^;
ま、仕方ないですよね。
これが自衛隊の任務ですから。
わたしも含め、たぶん全員が
「マジかよ…」
と思いながら、派遣準備をしていたと思います(^o^;
とはいえ、準備が始まってしまえば、そこはやっぱり自衛官。
噴火の映像を目の当たりにすれば、尋常じゃない状態なのは一目瞭然です。
頭を切り替えて任務に当たったのを覚えています。
わたしは指揮所勤務でしたので、現地で任務に就くことはありませんでしたが、視察で王滝村に赴きました。
長野県には松本駐屯地がありますので、長野県自体には何度も行ったことがありましたが、木曽地域には全く行ったことがなかったので、とても遠く感じました。
新潟県の駐屯地に行くのに比べればもちろん近いんですが、高速を降りてから距離があったのも影響していると思います。
さらにこれほど山深い村に行くのは、わたし自身初めてだったので、ものすごく印象に残っています。
前回は自衛隊の車両での移動だったので、そこまで景色はみられませんでした。
今回は、JR木曽福島駅からバスを利用。
10年ぶりに訪れた木曽の景色を眺めながらの道のりは、とても懐かしい感じがしました。
王滝村に到着後、荷物を宿に預けて村役場へ向かいました。
3 村役場でのインタビュー
今回のインタビューに際して、噴火災害のことを事前に調べました。
まず初めにYouTubeで検索したんですが、御嶽山噴火災害を題材にしている物がありました。
「生きて山から帰るには【山岳遭難解説】」さんのチャンネルです。
わたし自身、リアルタイムで自衛隊のオペレーションに携わっていたわけですが、この災害のすべての状況を把握していたわけではありません。
警察や消防、自治体の活動まではわかりません。
そして、被災者の状況や避難の様子も知りませんでした。
災害の全貌を振り返るには、動画だわかりやすいかもしれません。
こちらのチャンネルは、参考資料が明記されており信頼性が高いと判断して、今回の取材の準備に利用させてもらいました。
ただ災害の資料で最も信頼性が高いのは、やはり行政が出した資料だと思います。
長野県が出している、
「御嶽山噴火災害対応記録集」
も参考にしました。
こちらの記録集は詳細に災害対応が記載されており、とても参考になりました。
「警察・消防・自衛隊が組織の垣根を越えて自衛隊のヘリに同乗し、連携しながら救助にあたったこと」
「救助活動の拠点は王滝村、被災者ご家族の対応は木曽町と役割を分けて対応したこと」
「噴火を契機とした防災対策と、火山との共生を目指して取り組んだこと」
かなりのボリュームで、読むのは大変でしたが、取材の準備としてはとても貴重な資料でした。
その他にも、防災白書など色々と資料を拝見しましたが、メインはやはり災害対応記録集になりました。
このような準備をした上で、インタビューに臨みました。
インタビューでは村役場の防災担当の方に、当時のことを振り返りながら色々な話を伺うことができました。
災害の対応を振り返るというのは、正直心地いいものではありません。
同じ災害に向き合った人間同士だからこそ、話せることなのかもしれません。
災害と向き合ってきた期間は、圧倒的に役場の担当者の方のほうが長いわけです。
そんな中で、
「自衛隊の活動で印象に残っていることはありますか?」
と尋ねたんですが、
「色んなことが印象に残っていますが…」
と前置きしてくださった上で、
「指揮所として提供した空き部屋が、撤収後にビックリするくらい綺麗になって返ってきたのが印象に残っています」
これにはさすがに、笑みがこぼれてしまいました(^n^;
確かに自衛隊では躾事項として、
「借りたものは使ったときより綺麗にして返す」
と普段から教えられています。
やるのが当たり前くらいに思っていたことが、村役場の方の印象に残っているとは思いもしませんでした。
災害の振り返りのインタビューの際で大変恐縮でしたが、思わず笑みをこぼしてしまいました。
そしてインタビューの最後に、
「この10年間、災害と向き合っていただいてありがとうございました」
とお伝えして、インタビューを終えました。
4 取材を通して感じたこと
村役場の担当の方へのインタビューや事前の資料調査、そして現地に実際に赴いて感じたことを3つお伝えしようと思います。
(1) 噴火予知の難しさ
(2) 経済へのダメージ
(3) 噴火災害に関する裁判
1つずつお伝えしていきますね。
噴火には3つの種類があります。
「水蒸気噴火」
「マグマ水蒸気噴火」
「マグマ噴火」
です。
平成26年の御嶽山噴火は「水蒸気噴火」
その予知が非常に難しい噴火だそうです。
それに比べ、マグマが関わる噴火は比較的に予知がしやすいようです。
実際に2000年の北海道の有珠山噴火ではマグマ水蒸気噴火が発生していますが、事前に住民の方は避難しており、人的な被害は出ていません。
火山噴火自体が滅多に起きるものではなく、さらに水蒸気噴火という予知が難しい噴火だった「御嶽山噴火災害」
その防災の対応は、難しいものであると言わざるを得ません。
御嶽山は3000ⅿ級の山ですが、日帰りが可能です。
王滝村から7合目(2000m)の田の原まで車で行けるので、そこから1000m登るだけで、山頂まで行くことができます。
気軽に3000mまで登れるとなれば、大勢の登山客で賑わうのも当然です。
そんな御嶽山が噴火したわけです。
当然登山客は来なくなります。
この噴火では、麓の王滝村の街には被害はありませんでした。
しかし、経済的な被害があったことは想像に難くありません。
「火山とともに生きる」
この難しさを目の当たりにしました。
噴火から3年後、噴火災害の犠牲者の遺族の方が、国と長野県を相手に裁判を起こしています。
裁判の争点は「噴火警戒レベルを引き上げなかった国の責任」
一審の長野地裁松本支部の判決は、噴火レベルの引き上げをせず、据え置いた気象庁の判断を違法としながらも、原告の請求は棄却されています。
原告は控訴し、東京高裁の判決が今年の10月21日に出ます。
わたしはこの災害の被災者ではありませんし、気象庁の関係者でもありません。
この裁判について語るのは、控えたいと思います。
ただ一つ感じたのは、自然災害において「人の命の責任」に向き合うのは、容易ではないということです。
自然の脅威自体は、人間がコントロールできる訳ではありません。
そして、完璧に予知できることでもありません。
さらに言えば、生活をする上で「常に災害が起こることを前提に行動する」ということも、とても困難なことです。
この上で、どのように災害に向き合うか。
非常に難しい問題ですが、裁判の行方を見守りたいと思います。
高裁の判決が出た際には、追記したいと思います。
現地に赴いて、その場にいた方の話を伺うことで、見えてくることがたくさんありました。
お話を聞かせて頂いてありがとうございました。
心から感謝いたします。
ありがとうございます。
5 まとめと次回のテーマ
今回のブログでは、王滝村役場でのインタビューで感じたことをお伝えしました。
やはり現地に行って、話を伺ってみないとわからないことがたくさんありました。
自然災害は理不尽です。
災害の被災者の方やご遺族の方が、その理不尽に向き合って生きていくのはとても辛いことだと思います。
そして同時に、救助に携わった方々、復旧・復興に携る方々も、とても厳しい現実と向き合わなければなりません。
もちろんそれは、その土地に住む住民の方々も同様だと思います。
これは現地に赴かないと、なかなか感じ取れないものなのかもしれません。
このブログが、その感覚を少しでもお伝えできていれば幸いです。
重ね重ねにはなりますが、インタビューに対応して頂いた王滝村役場に感謝したいと思います。
ありがとうございます。
なお、御嶽山は去年から登山の規制が緩和され、頂上の剣が峰(標高3067ⅿ)まで登れるようになっています。
わたしは3000ⅿ級の山に登ったことはなかったんですが、今回の取材で初めて登らせてもらいました。
次回のブログでは、噴火から10年後の防災対策が施された、御嶽山の今をお伝えします。
是非ご覧ください。
【参考資料】
1 長野県HP
2 YouTubeチャンネル「生きて山から帰るには【山岳遭難解説】」
3 東海テレビHP
陸上自衛隊に15年勤務。レンジャー隊員。公認心理師。産業カウンセラー。
在職時は、年200件以上の面談に対応するカウンセラーの任務を行うと共に、隊員に対して「災害派遣の心構え」を教育をしていました。
そんな自衛隊での教育や、自身の災害派遣の経験をアレンジして、現在は一般向けに「災害の心構え」をお伝えするセミナー講師。
『どんな災害も乗り越える』
その心構えを”自衛隊式”でレクチャーしています。
このブログでは、防災のこと、身心の健康、そしてちょっとだけ自衛隊の話を綴っています。
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【経歴・資格など】
公認心理師(国家資格)、産業カウンセラー、リラクゼーションセラピスト(2級)、元陸上自衛官、レンジャー隊員、上級体育指導官、予備自衛官(衛生官)
〔※「Windship」及び「Windship treatment」は登録商標です。〕
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