自衛隊卒のセラピスト

セラピスト&自衛官の経験と共に、笑顔になる話題をお届けします。

【火山を気軽に学べる施設】やまテラス&さとテラスをご紹介します!

令和6年9月25日

日本には111の活火山があります。身近にないとなかなか学ぶ機会のない火山について気軽に学べる施設と、安全に楽しく登山する方法をお伝えします。是非ご覧ください。

お疲れ様です。

 

自衛隊卒のセラピストの岡田 凰里(おかだ おうり)です。

 

ブログを読んで下さって、ありがとうございます。

 

 

9月も下旬です。

 

三連休が過ぎたら、グッと気温が下がって過ごしやすくなりましたね。

 

ようやく暑い夏が終わった気がします。

 

寒暖の差に追いつくのが、ちょっと忙しいですね(^^;

 

 

さて、今月は防災月間です。

 

それに合わせて10年前の9月27日に発災した

『平成26年御嶽山噴火災害』

 

をテーマにしています。

 

まず初めに、本日9月27日は御嶽山噴火災害からちょうど10年です。

 

犠牲になった方のご冥福をお祈りするとともに、未だ行方不明の方が発見されることを心からお祈り申し上げます。

 

そして、この災害でお怪我をなされた皆様に、お見舞い申し上げます。

 

 

今回のブログでは、この凄惨な噴火災害の教訓を学べる2つの研修施設をご紹介します。

 

御嶽山の7合目にある『やまテラス』

 

道の駅「三岳」に併設されている『さとテラス』

 

になります。

 

それとともに、安全に楽しく登山をする方法をお伝えします。

 

このブログが、火山防災の一助になれば幸いです。

 

内容は以下の通りです。

1 近年の噴火災害

2 火山と噴火を学べる研修施設

 (1) 安心安全『やまテラス』

 (2) 道の駅と『さとテラス』

 (3) 日本各地の『ジオパーク

3 災害予測の実際と限界

4 楽しい登山のための『畏れ』

5 まとめと来月のテーマ

それでは始めていきますね。

 

 

1 近年の噴火災害

気象庁のウェブサイトと防災白書を参考に、戦後に発生した火山災害を見てみると、

 

1947年(昭和22年)

浅間山噴火』

  犠牲者11名

 

1952年(昭和27年)

『ベヨネース列岩』

  犠牲者31名

 

1958年(昭和33年)

阿蘇山

  犠牲者12名

 

1977年(昭和52年)

有珠山

  犠牲者3名

 

1983年(昭和58年)

『三宅島』

  犠牲者なし

 

1986年(昭和61年)

伊豆大島

  犠牲者なし

 

1991年(平成3年)

雲仙岳

  犠牲者43名

 

2000年(平成12年)

有珠山

  犠牲者なし

 

2014年(平成26年

御嶽山

  犠牲者63名
  

2018年(平成30年)

草津白根山

  犠牲者1名

 

 

御嶽山の噴火が、戦後最悪の噴火災害になっています。

 

ちなみに、ベヨネーズ列岩とは伊豆諸島の岩礁で、噴火に巻き込まれて船が沈没し、乗組員全員が無くなったそうです。

 

これ以外にも小さいモノであれば、桜島は頻繁に噴火していますし、箱根山の警戒レベルが上がったこともありました。

 

 

こうやって並べてみると、かなりの回数噴火しています。

 

 

ただ正直な話、わたしは噴火災害があまり印象に残っていません。

 

登山をする方の記憶には残っているのかもしれませんが、そうでもなければなかなか記憶にとどめておくのは難しいのかもしれません。

 

御嶽山噴火災害については、わたし自身が自衛官時代にオペレーションに携わったので覚えていますが、そうでもなければ恐らく記憶にはあまり残っていないと思います。

 

きっと、火山の近くに住んでいなければ、なかなか噴火を学ぶ機会はないがないからだと思います。

 

というわけで、今回のブログでは取材で研修した、火山のことや噴火について学べる施設をご紹介したいと思います。

 

 

2 火山と噴火を学べる研修施設

全国各地に火山と噴火を学べる施設があります。

 

その中で、今回は御嶽山に関する施設を2つご紹介します。

 

それにプラスして、日本各地にあるジオパークについてご案内します。

 

(1) 安心安全『やまテラス』

やまテラスは、御嶽山の田の原口にあります。

 

場所はコチラです。

 

長野県立やまテラス王滝

 

登山届の提出ができますので、当日立ち寄る形で大丈夫です(^^)

 

そして、御嶽山の天候や気温が確認できますので、とっても安心です。

 

さらにヘルメットのレンタルサービスもありますので、わたしみたいに買うのがちょっと…という方はご利用ください(^^;

 

 

 

 

 

これらの受付の奥に、御嶽山噴火災害の展示があります。

 

 

 

 

 

 

 



写真には取れなかったんですが、噴火災害をまとめた映像展示もありました。

 

御嶽山の自然と、噴火災害にフォーカスした研修施設になっています。

 

田の原口から御嶽山を登る際には、是非とも登山前に訪ねてみて下さい。

 

登山道を復旧させるまで、どれだけの地元の方々が、真摯に山と向き合ってきたか。

 

それを実体験できると思います。

 

 

(2) 道の駅と『さとテラス』

次にさとテラスです。

 

さとテラスはコチラにあります。

 

木曽町立さとテラス三岳

 

さとテラスは、王滝村木曽福島駅の間にあります。

 

さとテラスはどちらかというと、御嶽山の歴史を学ぶ施設です。

 

修験道の修行場だった歴史

 

治水工事のために御岳湖を作ったこと

 

そして御嶽山噴火

 

こんなことが学べます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、QRコードを読み込んで、22時頃に見てみたんですが…。

 

ただの真っ黒な画面でした(^o^;

 

って、当たり前か(^n^;

 

 


そしてさとテラスの横には、道の駅三岳が併設されています。

 

実はこの道の駅。

 

災害派遣の帰りに、お手洗いを借りた場所だったんです!

 

 

10年前の当時は、もちろんさとテラスはありませんでした。

 

10年ぶりに訪ねて、とても懐かしい気持ちになりました。

 

店舗の中ではお弁当やおやきを売っているんですが、なんと隣の工房で作っているんです!

 

 

ここの工房で作っているものが、大人気!!

 

10時半頃に着いた際は、まだたくさんあったんですが、11時半頃に買いに行ったらほとんどなくなってました(^.^;

 

なんとか買えてよかったです。

 

お昼はさとテラスにある休憩所でいただきました。

 

 

 

写真でお分かりかと思いますが、どう考えても食べ過ぎなんですが…。

 

美味しそうだったので、どうしても買っちゃって(^^;

 

お腹パンパンになりました(^n^;

 

この後、走るんだけどなぁ…(^ⅿ^;

 

素敵な景色を見ながら、さとテラスを後にしました♪

 

 

 

(3) 日本各地の『ジオパーク

上でご紹介した2つは、御嶽山をメインにした火山の研修施設でした。

 

その他に、日本各地に『ジオパーク』というものがあります。

 

ジオパークとは、

「地質・地形から地球の過去を知り、未来を考えて、活動する場所」

 

だそうです。

 

火山だけには限らないんですが、2023年5月現在、日本には、日本ジオパーク委員会が認定した「日本ジオパーク」が46地域あるそうです。

 

ちなみに御嶽山は、ジオパークには指定されていません。

 

なお日本のジオパーク46地域の内、10地域がユネスコ世界ジオパークにも認定されているそうです。

 

自然を楽しみながら、学ぶことができるようです。

 

ご興味のある方は、日本ジオパークネットワークのウェブサイトをご覧ください。

 

ブログの最後にリンクを貼っておきます。

 

 

3 災害予測の実際と限界

災害のことに携わっていると、つくづく感じるんです。

 

それは

「災害の予測には限界があること」

 

です。

 

 

先日、能登半島で土砂災害が起こりました。

 

元日の地震から、復興に向けて一歩踏み出そうとしていた矢先の出来事です。

 

輪島生まれのわたしにとっては、身を引き裂かれる思いでした。

 

土砂災害が起きる前に、能登で「線状降水帯」が発生しました。

 

線状降水帯は、数時間にわたってほぼ同じ場所を通過または停滞することで作り出される、線状に伸びる降水帯のことです。

 

その長さは50~300km、幅20~50km程で、強い降水をともなう雨域を形成します。

 

この予測は非常に難しいものだそうです。

 

予測精度は4回に1回程度。

 

そして、線状降水帯が発生したからと言って、河川が氾濫するかどうかは誰にもわかりません。

 

土砂災害が発生するかどうかも、誰にもわかりません。

 

だた、現実として土砂災害が起き、犠牲者が出てしまいました。

 

 

今月のテーマにしている御嶽山噴火災害は、予測が難しい水蒸気噴火。

 

 

気象庁は噴火警戒レベルを上げず、噴火の犠牲者が出てしまいました。

 

 

わたしは警戒レベルを上げなかった気象庁の是非について、問う立場にはありませんし問うつもりもありません。

 

 

これについては現在裁判中で、高裁の判決が来月10月に出ますので、その判決を待ちたいと思います。

 

 

ただ一つ言えるのは、警報を乱発すると人間の警戒心が落ち、避難行動を抑制します。

 

 

これは人間の特性なので、仕方ないことだと思います。

 

 

防災のことに携わっている、わたし自身も同じです。

 

 

そして、御嶽山噴火災害の被災者の証言インタビューの中で、印象に残ったものがあります。

 

 

山小屋の方のインタビューだったんですが、

 

「噴火するとは思っていなかった」

 

「硫黄臭などは当たり前だったし、この状態に慣れてしまっていた」

 

恐らく仮に警戒レベルが上がって避難したとしても、噴火が実際に起こるまでこういうお気持ちだったんだろうと思います。

 

 

そして、誰もが噴火するなんて思っていなかったはずです。

 

 

わたし自身も同じです。

 

 

実際に御嶽山に登山してみて思うのは、証言の通り

「この環境に慣れないと、働くことはできない」

 

ということです。

 

過酷な環境なので、ある程度慣れて、鈍感にならないとやれないと思います。

 

 

ただ、鈍感になってしまうと、いざという時の動きが鈍くなります。

 

 

 

 

 

難しい問題だと思います。

 

 

 

 

 

これを防ぐためには、どうすればいいのか。

 

 

 

 

 

1つは、災害に対する学びだと思います。

 

 

前項でご紹介した、研修施設で学ぶことで、災害に対する注意力が養われると思います。

 

 

そしてわたしは、もう1つの方法があると思っています。

 

 

それは『自然を畏れること』

 

 

「畏れ」とは、圧倒的な存在に対して慎んだ気持ちや態度になることです。

 

 

その気持ちが、災害に対する備えになると感じています。

 

 

4 楽しい登山のための『畏れ』

御嶽山噴火から今年でちょうど10年。

 

つい先日まで、「マウンテンドクター」という山のお医者さんのテレビドラマが放映されていました。

 

そして、陸上自衛官の姿を漫画で描く「ライジングサンR」では、御岳山噴火災害を臭わせる「王峰山噴火災害」の災害派遣について連載中です。

 

マウンテンドクターも漫画の連載も、この時期にやったのは偶然ではないような気がします。

 

 

 

登山は楽しいものです。

 

 

 

雄大な景色

 

澄み切った空気

 

山ならではの自然

 

 

 

やみつきになる方が出るのも、当然だと思います。

 

 

そのような中で、災害や遭難のことを考えると怖くなってしまいますよね。

 

 

そこに目を向けてしまうと楽しめなくなるので、考えないという方もいらっしゃるかもしれません。

 

 

ただ、そうなってしまうといざという時の備えは、疎かになってしまいます。

 

 

もちろん災害や遭難に備えることは大切なんですが、いたずらに恐怖や不安を煽り過ぎるのも理不尽だと思います。

 

 

 

観光名所として宣伝しているわけですから(^^;

 

 

 

ですので、わたしは山に対する恐怖や不安を抱くのではなく、「畏れ」を抱くようにしています。

 

 

山というのは、人間の力では到底及ばない圧倒的な破壊力を持っていて、その脅威に抗うことはできない。

 

 

そんな圧倒的な存在に対する「畏れ」

 

 

これを持っていると、無理して登山する気持ちには絶対になりません。

 

 

わたしは今回の登山で、トレランスタイルの軽装で挑みました。

 

 

雨が降っていたり、風が強かったりした場合には登山を中止するつもりでした。

 

 

3000ⅿ級の山は、軽装で登るものではないですからね。

 

 

そこにはもちろん山に対する恐怖心はありましたが、それ以上に「畏れ」の気持ちがありました。

 

 

 

近年、山岳遭難が増加しています。

 

 

 

ニュースを拝見していると、頻繁に遭難のニュースを見かけます。

 

 

 

体力や経験に見合った装備や計画をしましょう、という注意喚起はよく耳にします。

 

 

 

ただ、自然を畏れ敬いましょうという言葉は、聞いたことがありません。

 

 

 

あくまでわたしの肌感ですが、日本人は昔から自然を畏れ敬って生活していたような気がします。

 

 

 

もちろん今ほど防災対策が発達していませんから、自然の脅威にさらされる機会も多かったでしょうから、その気持ちも当然なのかもしれません。

 

 

 

ただ、これだけ頻発し、過去の経験が役に立たないくらい激甚化している災害を目にしたとき、その対策にはどうしても限界があります。

 

 

 

もしかするとわたしたちは、本来日本人として持っていた「自然を畏れ敬う」という気持ちを、取り戻す時期に来ているのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

山岳信仰の山『御嶽山

 

 

 

 

 

 

畏れ敬い、登山できたことに感謝する。

 

 

そんな気持ちで登山をすると、安全に登山を楽しめるような気がします。

 

 

実際に頂上まで登って取材をしてみて、そんなことを感じました。

 

 

<div class="box22">
<p>5 まとめと来月のテーマ</p>
</div>

今回のブログでは、火山について気軽に学べる施設「やまテラス」と「さとテラス」をご紹介しました。

 

災害について学ぶには、とてもよい施設だと思います。

 

そして、安全で楽しく登山をする方法もお伝えしました。

 

 

まずはもちろん、装備や準備です。

 

これがないと、安全に登山はできませんから(^^;

 

それとともに、自然に対する「畏れ」を持つこと。

 

この気持ちがあれば、無理な登山にはならないはずですし、装備や準備に対する意識も変わってきます。

 

そして畏れ敬う気持ちを持っていると、登山に対する感謝の気持ちが自然にわいて、下山後にはあたたかい気持ちになると思います。

 

 

 

わたしはそうでした。

 

 

 

このブログをきっかけにして、昔ながらの日本人が持っていた、自然に対する畏れの気持ちを取り戻していただければと思います。

 

 

――――――――――

以下、来月のブログテーマのご案内です。

 

来月のテーマは

『Re:中山道を駆ける旅!』

 

です(^^;

 

 

本来であれば、8月のブログでご紹介する予定だった、中山道の旅。

 

あまりにもボリュームが大きすぎて、8月の3回でお届けするのを諦めたんです(^n^;

 

登山しなくても楽しめる『絶景の御嶽山とその山麓

 

昔ながらの街並みが色濃く残る中山道奈良井宿

 

中山道甲州街道の分岐点『温泉街の下諏訪宿

 

今話題のアニメの舞台諏訪神社4社巡り』

 

そして中山道の旅のまとめ』

 

5回に分けてお伝えします。

 

是非ご期待ください!

 

 

参考資料

1 気象庁ウェブサイト

2 内閣府ウェブサイト「防災白書」

3 ウィキペディアベヨネーズ列岩

4 YouTube御嶽山頂カメラたん」

5 日本ジオパークネットワーク

6 Yahoo!ニュース

 

 

≪前回のブログ  -  次のブログ≫

 

 

陸上自衛隊に15年勤務。レンジャー隊員。公認心理師産業カウンセラー

 

在職時は、年200件以上の面談に対応するカウンセラーの任務を行うと共に、隊員に対して「災害派遣の心構え」を教育をしていました。

 

そんな自衛隊での教育や、自身の災害派遣の経験をアレンジして、現在は一般向けに「災害の心構え」をお伝えするセミナー講師。

 

 

『どんな災害も乗り越える』

 

 

その心構えを”自衛隊式”でレクチャーしています。

 

 

このブログでは、防災のこと、身心の健康、そしてちょっとだけ自衛隊の話を綴っています。

 

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公認心理師(国家資格)、産業カウンセラー、リラクゼーションセラピスト(2級)、元陸上自衛官、レンジャー隊員、上級体育指導官、予備自衛官(衛生官)

〔※「Windship」及び「Windship treatment」は登録商標です。〕

 

前回のブログ

【平成26年御嶽山噴火災害②】御嶽山の今と防災対策について

令和6年9月21日

日帰りで登れる標高3000ⅿ級の山「御嶽山」。そんなお手軽な山で起きた噴火災害。実際に登山して確認した御嶽山の今と、噴火を機になされた防災対策についてお伝えします。是非ご覧ください。

 

お疲れ様です。

 

自衛隊卒のセラピストの岡田 凰里(おかだ おうり)です。

 

ブログを読んで下さって、ありがとうございます。

 

 

9月も中旬を過ぎました。

 

東京ではまだまだ暑い日が続いています。

 

ただ、朝晩はだいぶ暑さが落ち着きました。

 

今月2回目の3連休は雨模様で残念ですが、暑くないのは助かりますね。

 

秋はもうちょっとかもしれません。

 

 

さて、今月は防災月間です。

 

それに合わせて10年前の9月27日に発災した

『平成26年御嶽山噴火災害』

 

をテーマにしています。

 

前回のブログでは、救助の拠点となった王滝村役場でインタビューをして、感じたことをお伝えしました。

 

御嶽山の頂上まで登れるようになったのは、去年です。

 

10年間この災害と向き合ってきた村役場の皆様に、感謝を捧げたいと思います。

 

ありがとうございます。

 

そして、現地に行ったからこそ感じ取れたことをお伝えしています。

 

前回のブログも是非ご覧ください。


さて、本文に入る前に、まずはこちらの動画をご覧いただきたいんです。

 

御嶽山噴火災害派遣20日間の活動

 

いかがでしたでしょうか。

 

噴火直後の御嶽山の状況は、確認できたと思います。

 

そして前回のブログでもお伝えした通り、警察・消防・自衛隊が、組織の垣根を越えて連携して救助していたのも、ご確認いただけたと思います。

 

 

あれから10年。

 

 

今回のブログでは、実際に登山をして確認した「噴火から10年後の御嶽山」についてお伝えします。

 

ブログは以下の内容です。

1 20都道府県に亘る犠牲者

2 御嶽山登山道の今

3 噴石への防災対策

4 登山者の安全対策について

   (1) わたしの登山装備

   (2) 登山届の義務化

   (3) ヘルメットの着用について

5 まとめと次回のテーマ

 

 

1 20都道府県に亘る犠牲者

わたしは災害の現地取材をする際は、必ず慰霊碑を訪ねるようにしています。

 

今回の取材でも、もちろん訪ねました。

 

慰霊碑は村の市街地から少し離れた、松原スポーツ公園にあります。

 

松原スポーツ公園

 

被災当時は、この公園に警察・消防・自衛隊の車両を止めたり、宿営地として天幕が張られたりしていました。

 

川を渡って公園に入るんですが、当時の川は火山灰で灰色になっていたのを覚えています。

 


10年後の今は、灰色の景色はありませんでした。

 

川を渡り、公園に入ります。

 

公園の奥の方に、慰霊碑があります。

 

 

晴れていると慰霊碑の向こう側に、御嶽山が望めるんですが、この日は曇っていた見えませんでした。

 

 

 

 


犠牲者の皆様がお住まいだった都道府県を拝見すると…。

 

 

北海道、埼玉、東京、千葉、神奈川、山梨、静岡、長野、愛知、岐阜、石川、三重、京都、大阪、奈良、兵庫、岡山、広島、愛媛、大分

 

 

実に20都道府県にわたります。

 

 

御嶽山がどれだけ人気の山だったか、よくわかります。

 

 

秋の行楽日和に起きた、この噴火災害。

 

 

そう思うと、とても遣る瀬無い気持ちになります。

 

 

ご冥福を心からお祈り申し上げます。

 

 

そして、未だに5名の行方不明の方がいらっしゃいますが、遺族会は今年の捜索を断念したそうです。

 

 

10年経って、手掛かりを見つけるのが難しいためだそうです。

 

断腸の思いだとは思いますが、実際に登ってみると納得せざるを得ません。

 

現在の御嶽山には、噴火当時の面影は一切ありませんでした。

 

 

2 御嶽山登山道の今

それでは、今の御嶽山登山道の状況をご案内します。

 

まずお伝えしたいのは、災害から10年経った御嶽山ですが、安心して登山することができます。

 

わたしは普段登山はしませんが、様々な対策がなされていることが事前にわかりましたので、災害に対する不安はありませんでした。

 

ただ、3000m級の山に登るのは初めてだったので、高山病だけはちょっと不安だったんですが…(^^;

 

ちゃんと頂上まで登ることができました(^^)

 

それでは登山道をご案内しますね。

 

王滝村のバス停から田の原口まで公共バスで上がりました。

 

田の原口はこちらです。

 

田の原口

 

 

 

 

 

 

 



王滝頂上まで、一気に登りました。

 

道を譲ってくださった皆様、ありがとうございました。

 

王滝頂上

 

王滝頂上までの道のり、噴火災害の爪痕は全く感じませんでした。

 

楽しく登山できます。

 

王滝頂上山荘をあとにして、最高点の剣が峰まで向かいます。

 

ここからは、噴火当時の写真と比較しながらお伝えしたいと思います。

 

 


火山灰と雪が混じった状況なんだと思います。

 

そして、今の御嶽山の剣が峰がこちらです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


無事に剣が峰まで、登山することができました。

 

わたしの足で、王滝頂上山荘から剣が峰まで30分弱でした。

 

そして、剣が峰にも噴火災害の慰霊碑がありました。

 

 

 

ちなみにこちらが剣が峰の場所です。

 

剣が峰


いかがでしたでしょうか。

 

このブログの冒頭の動画や当時の写真と比較すると、今の登山道はその面影は全くありません。

 

これが今の登山道です。

 

険しい道ではありましたが、登山道がしっかり整備されており、迷うことなく登れました。

 

 

ちなみになんですが…。

 

 

この険しい登山道を、担架で田の原口まで被災者を運んだこともあったそうです。

 

写真をご覧いただければ、その大変さは想像に難くないと思います。

 

実際に登ってみて、この険しさを体感すると、救助に携わった警察・消防・自衛隊の皆様には、本当に頭が下がるばかりです。

 

次に噴石への対策を見ていきましょう。

 

 

3 噴石への防災対策

YouTubeで「御嶽山噴火」と検索すると、噴火直後の様子の動画がヒットします。

 

噴火当時その場にいて、とっさに撮影されたんだと思います。

 

今のわたし達にとっては、その映像は大変貴重な資料になります。

 

ただ、噴火災害に遭遇した際の対処としては、おススメできない行動です。

 

 

このような噴火に遭遇した際、一番大切なのは

 

「伏せること」

 

です。

 

そして、可能であれば岩陰に隠れて伏せることです。

 

 

 

実はこれは、陸上自衛官であれば、感覚的に理解できることです。

 

 

 

なぜなら榴弾(砲弾)への対処行動と似ているからです。

 

 

 

敵の大砲から飛んでくる砲弾は色々ありますが、その中に榴弾(りゅうだん)」という弾があります。

 

榴弾(しゅりゅうだん)は手で投げて、弾が破裂した破片でダメージを与える弾ですよね。

 

 

それを大砲でとばすバージョンが榴弾です。

 

 

この榴弾が飛来した際に、歩兵が立ちっぱなしでいると80%の人員が被害を受けます。

 

伏せていると、被害は20%未満になります。

 

そして、塹壕などに身をひそめると、被害はゼロに近くなります。

 

 

ですので、陸上自衛官は砲弾の音が聞こえたら、

 

「砲弾!」

 

と叫んで、伏せるように訓練しています。

 

もちろん実物は経験したことはありませんが、模擬式の火薬を使って訓練します。

 

わたしも実際にやっていました。

 

 

噴火の噴石に対しても、この榴弾への対処行動が準用できると考えられます。

 

 

ただ、もちろん山に塹壕なんてありません(^^;

 

そんな時には、シェルターに避難してください。

 

この噴火を機に、御嶽山にはシェルターが設置されています。

 

 

 

 

もし仮に、あのような噴火に遭遇した際には、近くにシェルターがあれば、とにかく急いで避難するようにしてください。

 

 

そして、山小屋の屋根や壁も「アラミド繊維」で補強されています。

 

 

アラミド繊維は高い強度と衝撃吸収性、耐久性をもっている高機能繊維織物で、防弾チョッキやタイヤの補強材などにも使用されているものです。

 

パッと見は、普通の山小屋に見えますが、実はこのような補強がなされているんです。

 

近くに山小屋があれば、迷わず山小屋に避難してください。

 

 

 

それと登山をして、シェルターを拝見して思ったんですが…。

 

 

 

3000mの標高付近で、このようなシェルターの設置作業を行ってくださった皆様に、感謝を捧げたいと思います。

 

資材はもちろんヘリで運んだそうなんですが…。

 

ヘリパイの方はもちろん、現場で作業をする方々がいらっしゃったからこそ、このような対策がなされているわけです。

 

お陰様で安心して登山ができました。

 

ありがとうございます。

 

 

それでは次は、登山者の安全対策についてお伝えしたいと思います。

 

 

4 登山者の安全対策について

登山者の安全対策について何ですが…。

 

なによりまず、わたしの今回の登山装備からご紹介しようと思います(^^;

 

 

 わたしの登山装備 

こちらが今回のわたしの登山装備です。

 

 

これにプラスして、

 

「借りたヘルメット」

 

「クリーム玄米ブラウン×1袋」

 

「レモン塩飴×1袋」

 

「ペットボトル水500㎖×1本」

 

になります。

 

服装はトレランスタイルです。

 

水の量は合計約1リットル。

 

下山した後には、500㎖のペットボトルの1/3程度の水が残っていました。

 

持参の水筒の水は満タンのままです。

 

総重量は恐らく3㎏程度だと思います。

 

少し細かく装備を見ていきましょう。

 

 

リュックはトレイルランニング用なので、登山リュックではありません。

 

 

登山をした日は真夏の8月でしたが、曇っていたので頂上は寒かったです!

 

剣が峰で撮影のために30分くらいいたんですが、着用しました。

 

 

ポンチョ兼ハーフテント(ツェルト)です。

 

万が一遭難した時のために、テントにもなるポンチョを購入しています。

 

黒いロープは純正のもの、白いロープはわたしが追加したものです。

 

ロープは汎用性が高いので、あって困るものではありません。

 

 

地図とコンパスは、トレランの際には低い山に行くときにでも、必ず持っていくようにしています。

 

今は国土地理院のウェブサイトから、簡単に登山地図が手に入ります。

 

A3サイズで印刷して、持っていきました。

 

あ、それと写真には入れ忘れましたが、テーピングと熊鈴も必ず持っていきます。

 

わたしはソロで行動するので、テーピングがあれば捻挫しても行動することができるからです。

 

そして、熊に遭遇してしまうことを避けるためには、熊鈴は必須です。

 

そしてサバイバルシートは・・・、

 

 

レンジャー訓練のサバイバルキットに入れていたものを、未だに使っています(^^;

 

「R岡田」

 ⇩

「レンジャー岡田」のことです(^n^;

 

いやぁ…、見るたんびに様々な思いが交錯します(^o^;

 

 

はっきり言いますが、今回の装備は3000ⅿの登山をする上では、かなり軽装です。

 

ただ、田の原口の標高は2000ⅿ。

 

登るのは1000ⅿです。

 

田の原口から剣が峰の往復コースの標準タイムは5時間半から6時間です。

 

わたしは3時間程度で往復しています。

 

 

今の体力と経験、そして御嶽山の登山道の特性を考慮して、この装備にしました。

 

事前に地図判読をして、ウェブページで登山道を調べた上で判断しています。

 

そして、荒天の際は登山をすぐにやめるつもりでした。

 

登山をするための体力、そしてスピードを出しても落石を起こさないような技術を持って登山に臨んでいます。

 

レンジャー訓練を経て、陸上自衛隊で訓練をして、体育学校で運動生理学を学んで、今もトレーニングを続けている。

 

その上での装備ですので、ご了承ください。

 

この装備で大丈夫、とお伝えしているわけではありません。

 

ご自身の体力と、登山経験に合わせて装備を選んでくださいね。

 

 

 登山届の義務化 

御嶽山を登るためには、登山届の提出が義務になっています。

 

今はオンラインで届け出をすることができます。

 

わたしは事前にオンラインで提出しました。

 

また、田の原口を利用する際は、「やまテラス」という施設がありますので、そこで提出することができます。

 

長野県のウェブサイトで、 対象山域と代表的な山岳が確認できます。

 

このブログの最後にリンクを貼りつけておきますので、登山予定の方は確認してみて下さい。

 

 

 ヘルメットの着用について

御嶽登山道を進んでいくと、王滝登山口の看板があります。

 

その看板の横に、登山の心構えの看板があります。

 

 

 



そして、この看板の横にこのような看板があります。

 

 

ヘルメットの着用は、義務ではありません。

 

あくまで「奨励」になります。

 

登山をする前に、奨励山域になっていることはわかっていたので、登山用品店にヘルメットを選びに行ったんですが…(^^;

 

結構高いんですよね(^n^;

 

だいたい1万円前後。

 

軽い加工のものだと、1万5千円クラスのものもありました。

 

持っていくか本当に迷ったんですが、運よく借りることができたのでヘルメットを被って登山をしました。

 

 

 

ただ…。

 

 

 

あくまでわたしの肌感ですが、着用している方は登山者の1割程度でした。

 

自転車のヘルメット着用の努力義務と、同じような感じだと思います。

 

わたしはトレイルランニングはしますが、基本的には登山をしません。

 

トレランは里山を駆け抜けるスポーツで、頂上を目指すものではありません。

 

高山の登山の現状は良く知らなかったので、念のためヘルメットして登りました。

 

ただ、実際にかぶっている方は、ちらほらという感じでした。

 

そして、御嶽山山岳信仰の山なので、修行の一環で登山されている方もいました。

 

その方々も、基本的には伝統的なスタイルで登山していました。

 

 

このイラストの様な感じですね。

 

一般登山者が帽子をかぶって登山しているのと、同じような感覚だと思います。

 

そんな中で、一組だけ白装束にヘルメットという方とすれ違いました。

 

 

 

これがヘルメット着用の実情です。

 

 

 

わたしは

「ヘルメットをしてください」

 

と言える立場ではありませんし、言うつもりもありません。

 

東京で自転車に乗る際、ヘルメットなんてしてませんから(^^;

 

ただ、ヘルメットを着用することで、万が一の時の生存率が上がることは間違いありません。

 

もしヘルメットの購入はちょっと…という場合には、田の原口にある「さとテラス」でレンタルのヘルメットがあります。

 

金額は令和6年8月の時点では2000円でした。

 

レンタルを利用するのも、ひとつの手だと思います。

 

着用するかどうかは、ご自身で判断して決めていただければと思います。

 

ちなみに着用奨励山域は長野県のウェブサイトに一覧がありますので、リンクを貼りつけておきますね。

 

 

5 まとめと次回のテーマ

今回のブログでは、御嶽山の今と、噴火後に施された防災対策についてお伝えしました。

 

噴火後に設置された防災シェルター

 

補強された山小屋

 

登山者の義務

 

 

そして見えない部分ではありますが、火山の監視体制も整えられ、火山に関する法律も整備されています。

 

今の御嶽山は、さまざまな対策がなされて、安全に登山できると思います。

 

登山をご検討の方は、是非是非行ってみて下さい。

 

噴火前と変わらない登山が、楽しめると思いますよ。

 

 

ただこのような対策は、噴火災害の被災者の犠牲のもと施されていること、頭の片隅でいいので留めておいていただければと思います。

 

 

最後に様々な対策を検討し、施してくださった皆様に感謝を捧げます。

 

お陰様で無事に登山することができました。

 

心から感謝いたします。

 

ありがとうございます。

 

 

次回のブログでは、気軽に火山について学べる研修施設

「やまテラス」と「さとテラス」

 

についてお伝えします。

 

是非ご覧ください。

 

参考文献

1 武器と爆薬 2007年4月 小林源文著 大日本絵画

 

参考資料

1 長野県HP

 

2 YouTube陸上自衛隊広報チャンネル」

 

3 NHKウェブサイト

 

 

≪前回のブログ  -  次のブログ≫

 

 

陸上自衛隊に15年勤務。レンジャー隊員。公認心理師産業カウンセラー

 

在職時は、年200件以上の面談に対応するカウンセラーの任務を行うと共に、隊員に対して「災害派遣の心構え」を教育をしていました。

 

そんな自衛隊での教育や、自身の災害派遣の経験をアレンジして、現在は一般向けに「災害の心構え」をお伝えするセミナー講師。

 

 

『どんな災害も乗り越える』

 

 

その心構えを”自衛隊式”でレクチャーしています。

 

 

このブログでは、防災のこと、身心の健康、そしてちょっとだけ自衛隊の話を綴っています。

 

自衛隊での経験やセラピストとして学んだことが、皆様のお役に立てば幸いです。

 

ブログの更新は毎週水曜日。

 

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経歴・資格など

公認心理師(国家資格)、産業カウンセラー、リラクゼーションセラピスト(2級)、元陸上自衛官、レンジャー隊員、上級体育指導官、予備自衛官(衛生官)

〔※「Windship」及び「Windship treatment」は登録商標です。〕

 

前回のブログ

【平成26年御嶽山噴火災害】王滝村役場のインタビューで感じたこと

令和6年9月15日

御嶽山噴火災害からまもなく丸10年です。それに伴い現地の今を取材してきました。今回のブログでは、村役場でインタビューをして感じたことをお伝えします。是非ご覧ください。

 

お疲れ様です。

 

自衛隊卒のセラピストの岡田 凰里(おかだ おうり)です。

 

ブログを読んで下さって、ありがとうございます。

 

 

9月に入りましたが、残暑はまだまだ厳しいですね。

 

というか、厳しすぎますね(^^;

 

ただ、毎日が短くなっているのを感じます。

 

早く秋になって欲しいものです。

 

 

さて、今月は防災月間です。

 

それに合わせて、今月のブログは10年前の9月27日に発災した

『平成26年御嶽山噴火災害』

 

をテーマにしたいと思います。

 

先日、中山道を旅してきたんですが、それはこの噴火災害を取材するためだったんです。

 

災害救助の拠点となった王滝村役場でのインタビュー」

 

実際に登山して確認した「噴火から10年後の御嶽山

 

噴火災害について気軽に学べる「2つの研修施設」

 

3回に分けてお伝えしていきます。

 


今回のブログでは、長野県王滝村役場の防災担当の方へのインタビューをして感じたことをお伝えします

 

ブログは以下の内容です。

1 王滝村と災害の歴史

2 噴火災害とわたしの経験

3 村役場でのインタビュー

4 取材を通して感じたこと

   (1) 噴火予知の難しさ

   (2) 経済へのダメージ

   (3) 噴火災害に関する裁判

5 まとめと次回のテーマ

それでは始めていきますね

 

 

1 王滝村と災害の歴史

まずは…。

 

 

 

王滝村ってどこ?」

 

って感じですよね(^^;

 

はい。

 

王滝村は長野県と岐阜県の県境。

 

長野県で一番大きな村になります。

 

場所はコチラです。

 

長野県王滝村

 

御嶽山の麓の歴史ある村です。

 

平安時代、後白河方法から「王」の字をいただくことを許された、遥か古より続く、深く濃い山麓と無数の滝がある村。

 

それが王滝村です。

 

御嶽山山岳信仰となっており、今でもその信仰の為の登山が行われています。

 

ただ、御嶽山に登山をするという方でもなければ、なかなか馴染みがない村だと思います。

 

その御嶽山登山の起点となるのが、王滝村です。

 

 

最近の王滝村での災害と言えば、平成26(2014)年9月27日に発災した御嶽山噴火になるかもしれません。

 

ただ実は、それ以前の昭和59(1984)年9月14日に発災した、

「長野県西部地震

 

もあります。

 

王滝村震源とする、マグニチュード6.8の地震

 

震源の深さが約2キロと非常に浅かったため、非常に強い揺れが観測されました。

 

この地震で、御嶽山では大規模な山体崩壊が発生し、土砂崩れや土石流が発生しました。

 

王滝村では29人が犠牲となり、家屋の倒壊などの大きな被害が出たそうです。

 

わたし自身はこの地震のことは知りませんでした。

 

まだ幼かったので、記憶になかったわけです。

 

 

 

この地震のちょうど30年後に発災した、御嶽山噴火災害。

 

 

 

この噴火災害では、死者行方不明者あわせて63名の方が犠牲になられています。

 

戦後最悪の噴火災害です。

 

そんな大規模な災害に30年越しに見舞われた王滝村

 

わたしが訪れたのは、初めてではありません。

 

 

2 噴火災害とわたしの経験

わたし自身は、王滝村に訪れたのは人生で2回目。

 

わたしは元自衛官

 

10年前は災害派遣の任務の一環で赴きました。

 

当時のことを思い出すと…。

 

実は発災した当日は、打ち上げの宴会の日だったんです(^n^;

 

自衛隊には○○競技会というものがたくさんあって、その閉会式の最中に噴火災害の情報が…。

 

打ち上げはもちろん中止。

 

競技会で体力が削られている隊員もいる中、そのまま災害派遣になりました(^^;

 

ま、仕方ないですよね。

 

これが自衛隊の任務ですから。

 

わたしも含め、たぶん全員が

 

「マジかよ…」

 

と思いながら、派遣準備をしていたと思います(^o^;

 

とはいえ、準備が始まってしまえば、そこはやっぱり自衛官

 

噴火の映像を目の当たりにすれば、尋常じゃない状態なのは一目瞭然です。

 

頭を切り替えて任務に当たったのを覚えています。

 

わたしは指揮所勤務でしたので、現地で任務に就くことはありませんでしたが、視察で王滝村に赴きました。

 

長野県には松本駐屯地がありますので、長野県自体には何度も行ったことがありましたが、木曽地域には全く行ったことがなかったので、とても遠く感じました。

 

新潟県の駐屯地に行くのに比べればもちろん近いんですが、高速を降りてから距離があったのも影響していると思います。

 

さらにこれほど山深い村に行くのは、わたし自身初めてだったので、ものすごく印象に残っています。

 

前回は自衛隊の車両での移動だったので、そこまで景色はみられませんでした。

 

今回は、JR木曽福島駅からバスを利用。

 

10年ぶりに訪れた木曽の景色を眺めながらの道のりは、とても懐かしい感じがしました。

 

王滝村に到着後、荷物を宿に預けて村役場へ向かいました。

 

 

3 村役場でのインタビュー

今回のインタビューに際して、噴火災害のことを事前に調べました。

 

まず初めにYouTubeで検索したんですが、御嶽山噴火災害を題材にしている物がありました。

 

「生きて山から帰るには【山岳遭難解説】」さんのチャンネルです。

 

わたし自身、リアルタイムで自衛隊のオペレーションに携わっていたわけですが、この災害のすべての状況を把握していたわけではありません。

 

警察や消防、自治体の活動まではわかりません。

 

そして、被災者の状況や避難の様子も知りませんでした。

 

災害の全貌を振り返るには、動画だわかりやすいかもしれません。

 

こちらのチャンネルは、参考資料が明記されており信頼性が高いと判断して、今回の取材の準備に利用させてもらいました。

 

ただ災害の資料で最も信頼性が高いのは、やはり行政が出した資料だと思います。

 

長野県が出している、

御嶽山噴火災害対応記録集」

 

も参考にしました。

 

こちらの記録集は詳細に災害対応が記載されており、とても参考になりました。

 

「警察・消防・自衛隊が組織の垣根を越えて自衛隊のヘリに同乗し、連携しながら救助にあたったこと」

 

「救助活動の拠点は王滝村、被災者ご家族の対応は木曽町と役割を分けて対応したこと」

 

「噴火を契機とした防災対策と、火山との共生を目指して取り組んだこと」

 

かなりのボリュームで、読むのは大変でしたが、取材の準備としてはとても貴重な資料でした。

 

その他にも、防災白書など色々と資料を拝見しましたが、メインはやはり災害対応記録集になりました。

 

 

このような準備をした上で、インタビューに臨みました。

 

 

インタビューでは村役場の防災担当の方に、当時のことを振り返りながら色々な話を伺うことができました。

 

災害の対応を振り返るというのは、正直心地いいものではありません。

 

同じ災害に向き合った人間同士だからこそ、話せることなのかもしれません。

 

とはいえ、自衛隊災害派遣は約3週間程度。

 

災害と向き合ってきた期間は、圧倒的に役場の担当者の方のほうが長いわけです。

 

そんな中で、

自衛隊の活動で印象に残っていることはありますか?」

 

と尋ねたんですが、

 

「色んなことが印象に残っていますが…」

 

と前置きしてくださった上で、

 

「指揮所として提供した空き部屋が、撤収後にビックリするくらい綺麗になって返ってきたのが印象に残っています」

 

これにはさすがに、笑みがこぼれてしまいました(^n^;

 

確かに自衛隊では躾事項として、

「借りたものは使ったときより綺麗にして返す」

 

と普段から教えられています。

 

やるのが当たり前くらいに思っていたことが、村役場の方の印象に残っているとは思いもしませんでした。

 

災害の振り返りのインタビューの際で大変恐縮でしたが、思わず笑みをこぼしてしまいました。

 

そしてインタビューの最後に、

「この10年間、災害と向き合っていただいてありがとうございました」

 

とお伝えして、インタビューを終えました。

 

 

4 取材を通して感じたこと

村役場の担当の方へのインタビューや事前の資料調査、そして現地に実際に赴いて感じたことを3つお伝えしようと思います。

 

(1) 噴火予知の難しさ

(2) 経済へのダメージ

(3) 噴火災害に関する裁判

1つずつお伝えしていきますね。

 

 

(1) 噴火予知の難しさ

噴火には3つの種類があります。

 

「水蒸気噴火」

 

「マグマ水蒸気噴火」

 

「マグマ噴火」

 

です。

 

平成26年の御嶽山噴火は「水蒸気噴火」

 

その予知が非常に難しい噴火だそうです。

 

それに比べ、マグマが関わる噴火は比較的に予知がしやすいようです。

 

実際に2000年の北海道の有珠山噴火ではマグマ水蒸気噴火が発生していますが、事前に住民の方は避難しており、人的な被害は出ていません。

 

火山噴火自体が滅多に起きるものではなく、さらに水蒸気噴火という予知が難しい噴火だった「御嶽山噴火災害」

 

その防災の対応は、難しいものであると言わざるを得ません。

 

 

(2) 経済へのダメージ

御嶽山は3000ⅿ級の山ですが、日帰りが可能です。

 

王滝村から7合目(2000m)の田の原まで車で行けるので、そこから1000m登るだけで、山頂まで行くことができます。

 

気軽に3000mまで登れるとなれば、大勢の登山客で賑わうのも当然です。

 

そんな御嶽山が噴火したわけです。

 

当然登山客は来なくなります。

 

この噴火では、麓の王滝村の街には被害はありませんでした。

 

しかし、経済的な被害があったことは想像に難くありません。

 

「火山とともに生きる」

 

この難しさを目の当たりにしました。

 

 

(3) 噴火災害に関する裁判

噴火から3年後、噴火災害の犠牲者の遺族の方が、国と長野県を相手に裁判を起こしています。

 

裁判の争点は「噴火警戒レベルを引き上げなかった国の責任」

 

一審の長野地裁松本支部の判決は、噴火レベルの引き上げをせず、据え置いた気象庁の判断を違法としながらも、原告の請求は棄却されています。

 

原告は控訴し、東京高裁の判決が今年の10月21日に出ます。

 

わたしはこの災害の被災者ではありませんし、気象庁の関係者でもありません。

 

この裁判について語るのは、控えたいと思います。

 

ただ一つ感じたのは、自然災害において「人の命の責任」に向き合うのは、容易ではないということです。

 

自然の脅威自体は、人間がコントロールできる訳ではありません。

 

そして、完璧に予知できることでもありません。

 

さらに言えば、生活をする上で「常に災害が起こることを前提に行動する」ということも、とても困難なことです。

 

この上で、どのように災害に向き合うか。

 

非常に難しい問題ですが、裁判の行方を見守りたいと思います。

 

高裁の判決が出た際には、追記したいと思います。

 

 

現地に赴いて、その場にいた方の話を伺うことで、見えてくることがたくさんありました。

 

お話を聞かせて頂いてありがとうございました。

 

心から感謝いたします。

 

ありがとうございます。

 

 

5 まとめと次回のテーマ

今回のブログでは、王滝村役場でのインタビューで感じたことをお伝えしました。

 

やはり現地に行って、話を伺ってみないとわからないことがたくさんありました。

 

 

 

自然災害は理不尽です。

 

災害の被災者の方やご遺族の方が、その理不尽に向き合って生きていくのはとても辛いことだと思います。

 

そして同時に、救助に携わった方々、復旧・復興に携る方々も、とても厳しい現実と向き合わなければなりません。

 

もちろんそれは、その土地に住む住民の方々も同様だと思います。

 

これは現地に赴かないと、なかなか感じ取れないものなのかもしれません。

 

このブログが、その感覚を少しでもお伝えできていれば幸いです。

 

重ね重ねにはなりますが、インタビューに対応して頂いた王滝村役場に感謝したいと思います。

 

ありがとうございます。

 

 

なお、御嶽山は去年から登山の規制が緩和され、頂上の剣が峰(標高3067ⅿ)まで登れるようになっています。

 

わたしは3000ⅿ級の山に登ったことはなかったんですが、今回の取材で初めて登らせてもらいました。

 

次回のブログでは、噴火から10年後の防災対策が施された、御嶽山の今をお伝えします。

 

是非ご覧ください。

 

 

参考資料

1 長野県HP

2 YouTubeチャンネル「生きて山から帰るには【山岳遭難解説】」

3 東海テレビHP

 

 

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【夏の中山道を駆ける!】10月のブログでご紹介します(^n^;

 

令和6年8月28日

8月のブログでご紹介しようと思っていた「中山道の旅」。大変恐縮ですが、10月のブログでご紹介しようと思います。お楽しみに☆

 

お疲れ様です。

 

自衛隊卒のセラピストの岡田 凰里(おかだ おうり)です。

 

ブログを読んで下さって、ありがとうございます。

 

今月のブログでご紹介しようと思っていた、「中山道を駆ける旅」

 

すみません…(^n^;

 

ちょっとボリュームが多すぎて、まとめきれませんでした<(_ _)>

 

というわけで、10月のブログでご紹介しようと思います。

 

ご期待されていた皆様、大変申し訳ありませんでした。

 

もうしばらくお待ちいただければと思います。

 

――――――――――

以下、来月のブログテーマのご案内です。

 

来月は防災月間です。

 

それに合わせてブログテーマは

『平成26年御嶽山噴火』

 

令和6年9月27日で御嶽山噴火から10年が経ちます。

 

中山道の旅の目的は、この噴火災害の取材でした。

 

救助活動の拠点となった王滝村役場でのインタビュー」

 

御嶽山登山で確認した「噴火災害の10年後の現状」

 

火山について学べる研修施設の「やまテラス&さとテラス」

 

以上のような内容をお伝えしたいと思います。

 

是非ご覧ください。

 

 

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【夏の中山道を駆ける!】旅の日程をご紹介します♬

令和6年8月7日

江戸時代に整備された五街道のうちのひとつ『中山道』。その中山道を木曽から諏訪に向けてジョギングしようと思います!今回はその旅程をご紹介します♬是非ご覧ください。

 

お疲れ様です。

 

自衛隊卒のセラピストの岡田 凰里(おかだ おうり)です。

 

ブログを読んで下さって、ありがとうございます。

 

 

8月に入りました。

 

何となくですが、7月より気温が下がったような気がします。

 

ただ、暑いものはやっぱり暑いので、引き続き熱中症には十分注意していきましょう。

 

さて、今月のブログテーマは

『夏の中山道を駆ける』

 

です。

 

皆さん、中山道をご存じですか?

 

こちらは五街道のイラストですが、京都から東京までの北側ルートが中山道です。

 

 

東海道甲州街道は結構なじみがあるんですが、中山道はなかなか通る機会がなくて…。

 

名前は知っていましたが、具体的にどこを通っているかは知りませんでした(^^;

 

このたび、長野県と岐阜県の県境にある、御嶽山(おんたけさん)を取材しに行くことになりました。

 

最寄り駅の木曽福島駅は、ちょうど中山道の宿場町のひとつ、福島宿があります。

 

これまで中山道になかなか縁がなかったので、是非中山道をジョギングして、宿場町を巡ってみたいと思って(^o^)

 

今回のブログでは、まずはこの旅の日程をご紹介できればと思います。


ジョギングするルートはコチラです。

 

王滝村から上諏訪まで

 

えー・・・(^^;

 

約81キロの距離です(^n^;


旅程はこんな感じです。

 

 

●初日

移動日。

 

東京から王滝村まで移動。

 

中央線JR特急「あずさ」で塩尻まで。

 

塩尻からJR特急「しなの」で木曽福島まで。

 

そこから路線バスで王滝村まで。

 

 

●二日目

御嶽山登山。

 

田の原口までバスで移動。

 

田の原口から、御嶽山山頂まで登山。

 

王滝村から田の原口まで

 

 

●三日目

王滝村から奈良井宿まで移動。

 

移動距離約42キロ。

 

奈良井宿で一泊

 

王滝村から奈良井宿まで

 

 

●四日目

奈良井宿から上諏訪まで移動。

 

移動距離約40キロ

 

上諏訪で一泊。

 

奈良井宿から上諏訪まで

 

 

●五日目

移動日。

 

上諏訪から東京までJR特急「あずさ」で移動。

 

 

 


こんな感じです。

 

 

 

えー…。

 

 

 

3000ⅿある御岳山を登山して、二日連続40㎞を駆ける…。

 

 

 

すみません。

 

 

 

たぶん、全工程を駆けることは無理だと思います(^n^;

 

 

 

今年の抱負でもご紹介した通り、奥駆道(おくがけみち)を完走するためにトレーニングをしているので、以前よりは体力はついていると思いますが…。

 

さすがに、この全工程を駆ける自信はありません(^^;

 

3000ⅿの山を駆けて、40キロを二日連続で駆ける…。

 

想像するだけでも、どっと疲れが…(^n^;

 

二日目の登山はトレイルランニングスタイルで行きますが、当日の天候次第では、登山はやめようと思っています。

 

 

 

わたしはトレランはしますが、登山はしません。

 

 

 

山頂を目指すのが好きなのではなくて、里山を走るのが好きなんです。

 

 

 

この登山は取材を兼ねているので、登れる天気であれば登ろう、というスタンスです。

 

さすがにトレランの装備で、荒天時に3000ⅿの山を登るのは無理です。

 

もちろん自衛隊の訓練で山には慣れていますが、荒天時に装備がなかったらとてもじゃないけど太刀打ちできません。

 

登っている途中でも、天気が変わったらすぐに折り返す予定です。

 

三日目、四日目も両日40キロ程度の行程です(^^;

 

特に三日目は結構予定がキツキツなので、無理だと思ったら電車に頼ろうと考えています。

 

四日目も同じです。

 

中山道と並行するようにJR線が走っていますので、とっても安心です(^^)

 

熱中症になりそうになっても、電車で移動できると安心感が違います。

 

 

今回の旅は

 

「怪我無く」

 

「無理せず」

 

「楽しみながら」

 

そんな風にできればと思っています。


来週のブログでは、御岳山登山の様子をお届けできればと思っています♬

 

お楽しみに☆

 

 

参考資料

ウィキペディア中山道六十九次

 

熱中症を防ぐ水の飲み方

 

 

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陸上自衛隊に15年勤務。レンジャー隊員。リラクゼーションセラピスト。公認心理師

 

在職時は、年200件以上を対応するカウンセラーの任務の傍ら、気内臓療法(チネイザン)のインストラクターを務め、様々なボディケアを約10年間学んできました。

 

現在は自衛隊を卒業して、身体も心も癒すセラピスト。

 

 

『いくら寝ても疲れが取れない』

 

 

こんな悩みをお持ちの方に、心地よい眠りと疲労回復をサポートする施術でお応えしています。

 

このブログでは、身体の健康、心の健康、防災、そしてちょっとだけ自衛隊の話を綴っています。

 

セラピストとして学んだことや自衛隊での経験が、皆様のお役に立てば幸いです。

 

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前回のブログ

【令和6年能登半島地震】被災後半年の輪島を訪ねて

令和6年7月31日

元日に起きた能登半島地震から明日で7カ月。実は被災からちょうど半年後の7月1日に、輪島に訪ねていたんです。被災前の輪島の写真と比較しながらお届けします。是非ご覧ください。

 

お疲れ様です。

 

自衛隊卒のセラピストの岡田 凰里(おかだ おうり)です。

 

ブログを読んで下さって、ありがとうございます。

 

梅雨が明け、全国各地で猛暑となっています。

 

それに伴ってか、東京では連日雷が鳴っています。

 

もはや夕方になると、どこかで雷が鳴っているような気がしてしまいます(^^;

 

って、たぶん遠くでなっているんだと思いますが…(^n^;

 

尋常じゃない雨や雷。

 

生命の危機を感じるレベルなので、遭遇した際は安全な場所で待機するのがいいかもしれません。

 

 

さて、今月のブログテーマは

『影武流合氣体術の由来を紐解く』

 

でした。

 

7/3   【影武流合氣体術の由来を紐解く】武道と武術の違いとは!?

7/10 【影武流合氣体術の由来を紐解く②】『合氣』の字が表す武道の考察

7/17 【影武流合氣体術の由来を紐解く③】『影武』の字が示す雨宮家の使命

 

の3回に分けてお伝えしました。

 

わたしのファンタジー考察ですが、影武流合氣体術の名前の由来は

 

 

500年一子相伝で続いている、影武者の流儀で、

 

現伝承者の雨宮先生が、心身統一合氣道を取り入れ、

 

家伝体術の色を残したまま、一般に公開している武術

 

 

これが、わたしの考察でした。

 

なぜこのように考察したかを詳しく解説していますので、武術好きの方は是非ご覧ください。

 

 

さて、今回のブログでは7月1日に訪ねた、被災後半年の輪島の状況についてお伝えします。

 

今回は、親戚が体育館の避難所から仮設住宅に移るということで、そのお見舞いで伺いました。

 

被災生活での環境の変化というのは、想像することが難しい程、身心の負担になります。

 

 

被災直後一週間は近傍のホテルに宿泊して、

 

その後5カ月弱体育館の避難所で寝泊まりして、

 

ようやく仮設住宅に入居して、

 

そしてこれからの不安を抱えながら生活する。

 

 

こんな時には、実際に会って話すことで、気持ちが楽になることもあったりするんです。

 

 

ところで以前のブログで、被災後1カ月の輪島の状況についてお伝えしました。

 

その時は、どうしても写真を撮る気持ちになれず、口頭でのご説明にとどめました。

 

半年経って気持ちの整理もだいぶついたので、今回は写真撮影も行いました。

 

震災が起きる前の令和5年に輪島を訪れた際の写真と、比較しながらお伝えしていこうと思います。

 

なお、今回のブログは被災地の現状、生の姿をお伝えするために、被災現場の写真を多く掲載しています。

 

被災前の写真と比較する作業というのは、わたし自身が想像以上に辛い気持ちになりました。

 

もし、被災地の写真を見ると気分が悪くなってしまうかもしれないという方は、大変恐れ入りますが、閲覧をお控えいただければと思います。

 

 

 

それでは現状をご案内していきますね。

 

 

 

輪島に到着したのは、6月30日。

 

前日夜、東京駅から出発する夜行バスに乗って、金沢まで。

 

金沢に朝の7時について、コンビニで朝食を購入して。

 

金沢駅西口から輪島行の高速バスに。

 

輪島に10時過ぎに到着しました。

 

前回赴いた際は、富山駅からレンタカーでしたので、通った道が違うので比較は難しいんですが…。

 

のと里山街道は半年経った段階でも、全面復旧はしていませんでした。

 

到着した当日は雨。

 

ポンチョを着ての撮影になりました。

 

スーツケースを宿に預けて、輪島の街並みを写真におさめに行きます。

 

 

 

 

 

それでは被災後半年の、輪島市内の様子をご案内します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

これが被災後半年の、輪島市街地の実情です。

 

撮影からさらに1か月経っているので、解体や撤去は進んでいるとは思うんですが…。

 

 

 

 

 

ショッキングな光景でした。

 

 

 

 

 

被災した現地の皆様は、この風景を毎日見ながら生活しているんです。

 

 

 

 

 

景観が及ぼす心理的な影響は、計り知れないものがあると感じました。

 

 

 

 

 

翌日が被災後半年ということで、雨の中にも関わらず、報道関係の方が街中にたくさんいらっしゃいました。

 

撮影をしたり、インタビューをしたりしていました。

 

すれ違う際に挨拶を交わすと、皆さんそれぞれ微妙にイントネーションが違ったりしていました。

 

各地から取材に来てくださったようです。

 

 

 

 

 

撮影後は、親戚の仮設住宅にお邪魔して、一緒に食事をしながらお酒を飲んで。

 

色々な話をして。

 

親戚は被災後、初めて刺身を食べたと言っていました。

 

半年の間、刺身を食べていなかったそうです。

 

普段の輪島では、そんなことは絶対にありえないことです。

 

先行きが見えないので節約していたのもあるようでしたが、そもそも食べる気が起きなかったみたいです。

 

 

 

 

 

何時間話したでしょうか。

 

 

 

 


夜も更けてきたので、仮設住宅をあとにして宿に戻りました。

 

 

 

 

 

翌日は7月1日。

 

震災から、ちょうど半年の日でした。

 

 

 

 

 

わたしの事業所は、東京商工会議所に所属しているんですが、その繋がりで輪島商工会議所に表敬訪問をしました。

 

わたしが輪島で生まれた人間だということで、忌憚のない意見交換ができました。

 

その後は街の方に話を伺ってみたり、前日行けなかった場所に行ったみたり。

 

そんなことをしていたら、あっという間に帰りのバスの時間になりました。

 

金沢に向かう途中の集落を見ましたが、家屋被害はもちろん、土砂崩れがそのままの場所もありました。

 

帰りは金沢から、新幹線で東京に戻りました。

 

 

 

 

 

被災後半年の輪島を訪ねてみて、

 

そして現地の方からお話を聞いてみて、

 

皆さんのお気持ちを一言で表現すると、

 


能登が被災したことを忘れないで欲しい」

 


これに尽きるのではないかと思います。

 

オリンピックや万博、そんな世界的なイベントが控える中、そういう気持ちになるのは当然だと感じました。

 

 

 

過疎化が進み

 

消滅可能性自治体にも名前が挙がり

 

さらにアクセスが困難な輪島

 

 

 

復興のあゆみの中では、ただ再建するだけの話では済まされない問題も多々あると思います。

 

生まれ故郷の復興を、可能な限り寄り添いながら見つめていこうと思います。

 

そして決して焦らずに、多くの方が納得する形で復興することを、願ってやみません。

 

今後も輪島の状況をお伝えしていきますので、是非ブログをご覧いただければと思います。

 

 

 

災害の現実を目の当たりにするのは、お辛かったかもしれません。

 

ご覧いただいてありがとうございました。

 

心から感謝いたします。

 

ありがとうございます。

 

 

被災一か月後のブログ

 

景観が及ぼす心理的な影響

 

 

――――――――――
以下、来月のブログテーマのご案内です。

 

来月のテーマは

『夏の中山道を駆ける』

 

です。

 

江戸時代に整備された五街道のうちの1つ「中山道

 

その街道沿いには、現代でも当時の面影を残す宿場町が残っています。

 

その宿場町を、ジョギングで巡っちゃおうと思います♬

 

是非ご覧ください☆

 

 

≪前回のブログ  -  次のブログ≫

 

 

陸上自衛隊に15年勤務。レンジャー隊員。公認心理師産業カウンセラー

 

在職時は、年200件以上の面談に対応するカウンセラーの任務を行うと共に、隊員に対して「災害派遣の心構え」を教育をしていました。

 

そんな自衛隊での教育や、自身の災害派遣の経験をアレンジして、現在は一般向けに「災害の心構え」をお伝えするセミナー講師。

 

 

『どんな災害も乗り越える』

 

 

その心構えを”自衛隊式”でレクチャーしています。

 

 

このブログでは、防災のこと、身心の健康、そしてちょっとだけ自衛隊の話を綴っています。

 

自衛隊での経験やセラピストとして学んだことが、皆様のお役に立てば幸いです。

 

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今月のブログ

7/3 

7/10

7/17

【影武流合氣体術の由来を紐解く③】『影武』の字が示す雨宮家の使命

令和6年7月17日

「影武」とかいて「ケイブ」と読む『影武流合氣体術』。その字が示している雨宮家の使命を、近年の歴史研究の結果と共に紐解いていきます。是非ご覧ください。

お疲れ様です。

 

自衛隊卒のセラピストの岡田 凰里(おかだ おうり)です。

 

ブログを読んで下さって、ありがとうございます。

 

ブログの初めに、アメリカ大統領選に出馬するトランプさんがご無事で何よりです。

 

どんな理由があるにせよ、このような手段に訴えることは許されることではありませんん。

 

 

滅多に起きない銃の事件。

 

 

だからこそ対処法を知っておかないと、いざという時動けません。

 

銃の対処法のブログのリンクを最後につけておきます。

 

一度だけで構いませんので、ご覧いただければと思います。

 

 

 

さて、今月のブログのテーマは

「影武流合氣体術の由来を紐解く」

 

です。

 

前回のブログでは『合氣』が表す武道を考察しました。

 

それは合気道の一流派、

『心身統一合氣道』

 

でした。

 

「氣」を使って相手に投げることにこだわっている、心身統一合氣道。

 

その不思議な投げ方が、影武流(けいぶりゅう)の柔法に活用されていると思われます。

 

もしご興味があれば、前回のブログもご覧ください。

 

 

さて、今回のブログでは『影武(けいぶ)』の字が示す、雨宮家の使命を考察したいと思います。

 

そもそもの話になってしまうんですが、今月扱っているテーマは影武流の名前の由来です。

 

 

なぜこんなテーマにしたのか。

 

 

きっかけは、

「あれ?雨宮先生って、武田信玄公の肖像画と似ているな…」

 

そんな風に感じたからです。

 

信玄公の肖像画と言えばこちらですよね。

 

 

目のあたりが、似ていると感じたんです(^^;

 

ちょっとデフォルメされていますが、武者姿はこんな感じですよね。

 

 

うーん、似てる(^n^;

 

そして、影武流の技術の中で、当て身が異常に発達し過ぎていること

 

さらに、雨宮先生自身が、「うちの家伝は無手の技術、つまり武器を使わない技術に長けていた」と仰っていること

 

 

この3つのことから、雨宮家は信玄公の影武者の家系であると考察したんです!

 

 

そして、影武者であることを前提に動画を見ていると、いろんな部分で考察がピタッとハマってきたので、ブログにしてみようと思った次第です(^^)

 

 

似ている人物を影武者に仕立て上げ、自分の身代わりをさせる。

 

戦国時代では、当たり前にやっていたでしょう。

 

現代であっても、某国のトップには影武者が何人もいるなんていう、都市伝説があったりなかったり(^^;

 

ただ、この肖像。

 

最近の研究では、本人ではないという説が出ているんです!

 

そんな研究の結果も含めながら、雨宮家の使命についてお伝えしていこうと思います。

 

ブログは以下の内容です。

1 信玄公の本当の姿?

2 雨宮家の使命は『影武者』

3 ”影武者”の流儀『影武流』

4 日本古来の武術を拝見して

5 まとめと来月のテーマ

それでは始めていきますね!

 

 

1 信玄公の本当の姿?

わたしはある程度の年代ですが、その年代以上の方であれば、武田信玄公の肖像画は間違いなくこちらの絵で習ったと思います。

 

 

こちらはこれまで信玄公とされてきた、成慶院に所蔵されている肖像画のイラストです。

 

ところが、ウィキペディア武田信玄公を検索すると、こちらの肖像画が表示されます。

 

 

え?

 

誰…?

 

ある程度の年代の方は、間違いなくそう感じるはずです(^^;

 

 

こちらは高野山持明院に所蔵されている、信玄公の肖像画のイラストです。

 

 

細かい研究結果の話は、専門家にお任せしたいと思います。

 

結論をお伝えすると、今では高野山持明院に所蔵されている肖像画が、武田信玄公の肖像とされています。

 

しつこいですが、こちらですね。

 

 

教科書などでも、この肖像が武田信玄公として採用されているそうです。

 

研究って、すごいですよね。

 

新たな事実が発見されると、こういうことが起きるんですね(^^;

 

 

で。

 

 

ここでちょっと待てよと思ったんです。

 

 

あの恰幅のいい肖像が、信玄公だと思わされてきたわけです。

 

 

これはもしかすると、武田信玄公は自分に全く似てない人物を、影武者に仕立て上げていた可能性があるということです。

 

もしそうだとしたら、戦国最強と謳われる信玄公は、さすがと言わざるをえません。

 

普通の考えからしたら、自分に似ている人物を自分の影武者にして、相手を迷わせる、という感じにすると思うんです。

 

当初は、信玄公の肖像と雨宮先生が似ていたので、見た目が似た者同士だから影武者にしたと考察していました。

 

ただ、この歴史研究を知って、驚愕しました。

 

全く似ていない人物を影武者にして、武田信玄の人物像を仕立て上げ、自分自身の安全を確保する…。

 

いやぁ・・・、この考察があっているとしたら、信玄公は権謀術数のとんでもない武将ということになります。

 

そりゃ、戦国最強にもなりますよね。

 

そして、この考察があっていると思わされるような内容を、雨宮先生自身が語っている動画がありました!

 

 

2 雨宮家の使命は『影武者』

雨宮先生は、色々なYouTubeチャンネルにゲスト出演しています。

 

さすがにすべての動画を見切れるわけではないので、主に先生のチャンネルや、坂口拓さんのたくちゃんねるを中心に見ていました。

 

そして、この影武流をテーマに考察してブログを書くにあたって、雨宮先生が出演している動画を幅広く拝見したんです。

 

そしたら、総合格闘家矢地祐介選手の「ヤッチくんチャンネル」で、雨宮先生が家伝について語る動画がありました。

 

「雨宮家は武田信玄公の影武者だった」

 

という考察のもとこの動画を拝見すると、この雨宮先生の話は、この考察を裏付けるような証言のように聞こえてなりません。

 

こちらの動画です。

 

武田信玄を「裏」で守護する七家の内の一家

 

騎馬術、槍術、剣術に長けていた家もあった中で、雨宮家は無手の技術(素手の技術)に長けていた

 

恰幅のいい肖像を「うちの先祖!」と仰っている

 

 

イヤイヤ…(^^;

 

 

「影武者」という言葉は使われていませんが、これはわたしの考察が、近からずも遠からずという感じがします。

 

そして、流儀の名前は「影武流」

 

 

影武流』

影武者』

 

 

って!!

 

そもそも流儀の名前に『影武者』の字が入っているじゃないですか!

 

 

3 ”影武者”の流儀『影武流』

なんと、流儀の名前に影武者だという情報が含まれている、『影武流合氣体術』

 

どんな風に使っていたのか、ちょっとパロディ漫画を作ってみました(^^;

 

ま、あくまでパロディですので、楽しんでご覧いただければと思います。

 

 

 

 

あ、ちなみにお笑い芸人AMEMIYA(アメミヤ)さんはコチラです。

 

 

話が飛びましたね(^n^;

 

続きをご覧ください。

 

 



こんな風に使っていたのかなぁ…、なんて感じます(^ⅿ^;

 

その他にもあえて丸腰で敵陣に交渉に行って、襲われても返討ちにして自分たちに服従させたり…、なんてこともしてたんじゃないかと思います。

 

さらに雨宮家以外の六家も影武者の役割をしていたとしたら、武田信玄は武芸百般に優れたとんでもない人物というイメージになります。

 

「戦国最強」とは、戦術、騎馬術、槍術、剣術、無手の術等々を影武者に担わせることで成り立つ、イメージ戦略でもあったんではないでしょうか。

 

そして、その影武者が実際にとんでもなく強い。

 

 

うーん。

 

 

さすが戦国最強。

 

 

考えることが違いますね…(^^;

 

 

って、あくまでこれはわたしのファンタジー考察ですけどね!

 

 

ただ、影武流の流儀名に、「影武者」の字が使われているのも事実です。

 

この考察をするまで、流儀の名前を見ただけでは、「影武者」の字が使われていることに、全く気が付きませんでした(^^;

 

多分、「影武」を「ケイブ」と読ませていることで、影武者に結び付きにくくなっているんだと感じます。

 

普通は「エイブ」と読みますからね。

 

わたしはしばらくの期間、”ケイブ”と読ませることに意味があると思っていました。

 

そしてケイブの音から連想されるモノを探していたんです…。

 

当然ながら、特に何か見つかるわけでもなく(^^;

 

 

これもわたしの勝手な考察ですが、家伝体術に名前をつける際に、こんなやり取りがあったのかと考察しています。

 

 

「影武者の流儀だし、影武流でいいんじゃね?」

 

「EIBU流?」

 

「なんかバイブス、いまいちじゃね?」

 

「なんか影武者のバイブス、足りなくね?」

 

「それじゃ、影武者のKを頭につけてKEIBU流でいいんじゃね?」

 

「あ、それいいんじゃね?」

 

「影武者のバイブス、強くなったんじゃね?」

 

「警部みたいで、治安を維持するみたいでかっこいいんじゃね?」

 

「そうじゃねそうじゃね?」

 

 

雨宮先生、ごめんなさい<(_ _)>

 

きっともっと真剣に考えてらっしゃると思うんですが、ファンタジー考察ということで、どうかお許しください(^n^;

 

 

4 日本古来の武術を拝見して

一子相伝で500年伝承されている、雨宮家の家伝。

 

その一端を、動画で拝見できる時代になりました。

 

まずは、このような日本古来の武術を公開して頂いて、心から感謝いたします。

 

ありがとうございます。

 

そのお陰様の力を持ちまして、このような考察ブログを書くことができました。

 

 

それでは雨宮家のご先祖の方は、なぜこのように500年も伝承することができたのか。

 

わたしは雨宮先生の

 

「根本原理を保ったまま、伝承者毎にアップデートさせている」

 

という言葉の中に、そのすべてが集約されていると感じます。

 

お祖父さまもアップデートされており、お父様もアップデートされており、雨宮先生自身もアップデートされている。

 

時代に合わせて、アップデートさせる。

 

その使命があるから、500年も続くわけです。

 

自然の摂理を見ていればわかることですが、変化しないものは廃れてしまいます。

 

そんな継承者のアップデートと修練の結晶が、影武者流合氣体術というわけです。

 

そんな雨宮先生が、一番本気の目で立ち会っていると感じるのが、こちらの動画です。

 

 

坂口拓さんのお師匠さんの、稲川先生との立ち合いです。

 

 

様々な武術を統合した現代コンバット技術、零距離戦闘術

 

 

500年間アップデートし続けている、影武流合氣体術

 

 

その立ち合いは、見ている側の息も詰まりますね…(^^;

 

っていうか、このときの稲川先生、酔っぱらっているそうなんですが…(^n^;

 

酔ってても、こんなに動けちゃうんですね(^o^;

 

 

 

これが、日本古来の武術をまとった者同士の立ち合いなんですね。

 

 

 

わたしは武術はてんでダメなんです。

 

 

 

どうもセンスがないようで(^^;

 

 

 

でも気持ちだけでも、先生たちのような覚悟でいたいです。

 

 

 

日本人が本来持っていた「武」の心構え

 

 

『自分の「戈(ほこ)」を止める』

 

 

そして

 

 

『相手の「戈(ほこ)」を止める』

 

 

そんな気持ちを忘れずに、生きていきたいと思います。

 

 

5 まとめと来月のテーマ

今月のブログでは、影武流合氣体術の名前の由来を、3回に分けて紐解きました。

 

 

500年一子相伝で続いている、信玄公の影武者の流儀で、

 

現伝承者の雨宮先生が、心身統一合氣道を取り入れ、

 

家伝体術の色を残したまま、一般に公開している武術

 

 

これが、わたしの考察でした。

 

繰り返しになりますが、この考察はわたしのファンタジー考察です(^^;

 

一応根拠は示しましたが、あくまで想像ですから(^n^;

 

話半分で捉えてもらえれば幸いです(^o^;

 

今後も雨宮先生の動画を、楽しく拝見したいと思います♬

 


――――――――――

以下、来月のブログテーマのご案内です。

 

来月のテーマは

『夏の中山道を駆ける旅』

 

です。

 

江戸時代に整備された五街道のうちの1つ中山道

 

その街道沿いには、現代でも当時の面影を残す宿場町が残っています。

 

その宿場町を、ジョギングで巡っちゃおうと思います♬

 

是非ご覧ください☆

 

 

参考資料

1 影武流合氣体術

2 雨宮宏樹 〇〇 伝承チャンネル

3 狂武蔵たくちゃんねる

4 ヤッチくんチャンネル

5 ウィキペディア武田信玄

 

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陸上自衛隊に15年勤務。レンジャー隊員。リラクゼーションセラピスト。公認心理師

 

在職時は、年200件以上を対応するカウンセラーの任務の傍ら、気内臓療法(チネイザン)のインストラクターを務め、様々なボディケアを約10年間学んできました。

 

現在は自衛隊を卒業して、身体も心も癒すセラピスト。

 

 

『いくら寝ても疲れが取れない』

 

 

こんな悩みをお持ちの方に、心地よい眠りと疲労回復をサポートする施術でお応えしています。

 

このブログでは、身体の健康、心の健康、防災、そしてちょっとだけ自衛隊の話を綴っています。

 

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