お疲れ様です。
自衛隊卒のセラピストの岡田 凰里(おかだ おうり)です。
ブログを読んで下さって、ありがとうございます。
メリークリスマス!
ですね(^^)
皆さん、クリスマスケーキは召し上がりましたか?
わたしはケーキを自分で買って食べるのは、この時期くらいになりましたね(^^;
普段はまず買わないので、たまに食べるとやっぱり美味しいです(^o^)
来年が待ち遠しい…って、ちょっと気が早すぎますね(^ⅿ^;
さて、今月のブログでは「長寿化と老害」をテーマにしています。
12/4 【長寿化と老害】『それでもあなたは長生きしたいですか?』を読んで
12/12 【長寿化と老害②】『安楽死が合法の国で起こっていること』を読んで
12/18 【長寿化と老害③】老害と禅譲が込められた小説『迷走地図』を読んで
の3回に分けてお伝えしています。
なかなか難しい問題ですが、長寿化の課題について向き合ってきました。
さて、現在の年号は令和。
人生100年時代と言って差し支えないと思います。
今週のブログではこの時代の生き抜き方を、宮本常一先生が監修した『日本残酷物語』から読み解いていこうと思います。
ブログは以下の内容です。
1 『日本残酷物語』とは
2 ”残酷”は身近だった
3 豊かだからこそできる選択
4 人生100時代の生き方
(1) 罪悪感を負わない
(2) 理不尽な責任に抗う
(3) あたりまえに感謝する
5 まとめと来月のテーマ
それでは始めていきますね。
1 『日本残酷物語』とは
日本残酷物語は、民俗学者の宮本常一先生が筆頭の監修者となって編集された著作です。
初版は1959年、昭和で言うと34年です。
日本各地の残酷な風習や苦しい生活が、克明に描かれています。
刊行の言葉に、
「流砂のごとく日本の最底辺にうずもれた人々の物語」
と、謳われています。
わたしが手にしたのは、1995年に出版されたもので全5巻。
1巻 貧しき人の群れ
2巻 忘れられた土地
3巻 鎖国の悲劇
4巻 補償なき社会
5巻 近代の暗黒
となっています。
副題を拝見するだけで、なんだか深い溜め息が出ますよね(^^;
”残酷物語”の名の通り、その内容は日本の歴史の中の貧しくて苦しい生活が描かれているので、なかなか読み進めることができなくて(^.^;
まだ1巻しか読めていないんですが、少しずつ読破しようと思っています。
え?
ちゃっちゃと読めばいいって?
(^o^;
いやいやだって、1節読むたびに深~い溜め息がでてきちゃうんですもん(^n^;
そんな内容なんです(^^;
この本に出合ったきっかけは、別の本を読んでいる時に宮本先生の名前とこの本の書名が出てきたことです。
それまでは宮本常一先生のことは、存じませんでした(^^;
ウィキペディアで宮本先生を検索してみると、、、
生涯にわたり日本各地をフィールドワークし続け、その数は1200軒以上の民家に宿泊したと言われているそうです。
民俗学の研究者としては漂泊民や被差別民、性などの問題を重視したため、柳田國男の学閥からは無視・冷遇されたとあります。
ちなみに柳田國男先生は、日本民俗学の創始者と言われる方です。
柳田先生は知っていました(^^;
遠野物語には河童や迷い家(マヨイガ)、オシラサマなどの伝承が収められています。
実はこの遠野物語の影響されて、遠野まで観光に行ったこともあります(^^;
ちょっと話が逸れちゃいましたね。
日本残酷物語に戻りましょう。
この本には現代の日本からは想像することが難しい、残酷な現実が収められています。
その現実をご紹介していこうと思います。
2 ”残酷”が身近だった時代
日本残酷物語では、様々な残酷が取り上げられています。
ただ、今月のブログのテーマは「長寿化と老害」
長寿に関係するものを取り上げたいと思います。
第一巻の「老人と子ども」の節には、老人の遺棄について記されています。
遺棄する理由は、口減らし。
つまり経済的な理由です。
各地の地名にも残っているので、「姥捨て(うばすて)」という言葉は、聞いたことがあると思います。
11世紀(平安時代)頃に記された「大和物語」には、長野県の姥捨山の話があるそうです。
すでにその頃には、老人を遺棄する風習があったんですね。
また「遠野物語」には、デンデラ野という老人遺棄にまつわる話があります。
その昔、老人が60才になるとデンデラ野に捨てられたそうです。
そしてある地方の説話では、
「ただ食うだけで働きのない老人を森に捨てたが、いくら里が近くても、はい出して里に帰ってくるものはいなかった」
と、伝えられているそうです。
さらに身寄りのない老人は、土地によっては最後まで生き抜くことが難しく、自ら命を絶つ道を、選ばざるを得なかった方もいたようです。
その他にも、西国三十三カ所や四国遍路の巡礼中に、行き倒れにになる老人もいたそうです。
明治時代には、ある土地で何百人もの旅人の行き倒れがあったと言われているそうです。
そうした死者があると、正式には役所に届け出て検死をしなければならないので、その手間を省くために村の方は死者があると、死体を山まで捨てに行ったという話も残っているそうです。
えー、、、。
なかなか読み進められないのを、ご理解いただけたでしょうか(^^;
こういった残酷な話が、たくさん詰まってるんです(^n^;
現代を生きる我々からしたら、本当に残酷だと感じますよね。
100年くらい前までは、このような残酷が身近だったんです。
口減らしのため、つまり経済的理由で老人を山野に遺棄していたり、老人自身が自らの命を絶つための行動をとっていたわけです。
これをふまえると、安楽死や尊厳死、医師幇助自殺は病院等で最後の時を迎えられるので、残酷ではない方法と言えるかもしれません。
病院や老人ホームが「現代の姥捨山だ」なんて揶揄されることがあったり、独居老人の孤独死が社会問題になっていたりもします。
そんな話を聞くと切ない気持ちになりますが、それでも歴史を振り返れば”残酷”ではなくなっていると感じます。
「残酷な現実をなくしたい」
そんな取り組みを続けた結果だと思います。
ただ、ちょっと思ったりもするんです。
残酷でないことが、あたりまえになっていないかと。
3 豊かだからこそできる選択
まだ第1巻しか読めていない『日本残酷物語』
ただその1巻だけでも、略奪、飢饉、風土病など、たくさんの残酷な物語が記されています。
生活のすぐそばに、”残酷”があったのがうかがえます。
そして簡単に日本の歴史を振り返ってみても、先の大戦からはまだ100年も経っていません。
江戸時代は鎖国して平和だったとも言われますが、何度も飢饉が起きました。
そしてそれ以前は、戦国時代。
戦乱の時代がありました。
今と比べれば、残酷が身近にあったと思います。
『残酷があたりまえ』
だったわけです。
そして現代を見てみると、大変なことや理不尽なことはもちろんたくさんあるとは思います。
ただ、”残酷”と感じることは、昔に比べると少なくなったと言っても差し支えないでしょう。
残酷と感じる選択をしなくてもいい時代になった、ともいえるかもしれません。
残酷なことをしたい人なんて、いませんからね。
今月のブログでは、長寿化の課題についてお伝えしました。
富家孝(ふけたかし)さん著、『それでもあなたは長生きしたいですか?~終末期医療の真実を語ろう~』では、寝たきりなどで長生きすることの残酷さを。
児玉真美さんの著書『安楽死が合法の国で起こっていること』では、安楽死が合法化されることで起きかねない残酷な現象を。
一見、両極端の考えを主張している著書かもしれませんが、「残酷な現実をなくしたい」という気持ちは一緒だと感じます。
ただこのような取り組みは、科学技術が発達し、経済的に豊かになったからこそとれる選択です。
昔は口減らしのため、つまり経済的な理由で残酷な選択をしていたわけですから。
残酷でないことがあたりまえになったのは、豊かな時代になったごく最近のことだといえます。
そして、この豊かさを続けていくには、”老害”による社会の新陳代謝の停滞を避け、次の世代へつなげていく”禅譲”が必要であること。
それを松本清張先生の小説『迷走地図』から読み解きました。
様々な課題はあるものの長寿化は今後も進み、その平均寿命は令和52年には、男性85.89年、女性91.94年となり、女性は90年を超えると見込まれています。
令和は人生100年時代。
その時代を健やかに心地よく生きるためのすべを、わたしなりの観点からお伝えできればと思います。
4 人生100時代の生き方
わたしのような若輩者が、「生き方」などという大それたことお伝えするのは、とても恐縮なことです。
ただ、わたしは人とはちょっと変わった経験をしています。
それは元陸上自衛官でレンジャー訓練を修了していること。
命のやり取りを想定しなければならなかったこと。
それは自分自身の命が尽きることも、想定しなければならなかったこと。
そして心理の国家資格「公認心理師」として、人間の心理を探求していること。
命のやり取りの際の心理を探求した経験のある人間なんて、あんまりいないと思うんです(^^;
そんな変わり者の考え方なので、ほどほどに耳を傾けていただければ幸いです。
それでは人生100年時代を健やかに心地よく生きるすべを、3つお伝えします。
(1) 罪悪感を負わない
(2) 理不尽な責任に抗う
(3) あたりまえに感謝する
1つづつ説明していきますね。
人間にとって罪悪感というのは、非常に恐ろしいものです。
命の途切れるときが近づくにつれて、罪悪感というのはどんどん大きくなります。
罪悪感が大きくなればなるほど、死への恐怖は大きくなります。
ですので、罪悪感がわくようなことはしないことが大切です。
ま、あたりまえのことかもしれませんね(^^;
小さい頃から「悪いことはしてはいけません」と言われたことが何度もあると思います。
これは誰かを傷つけないために大切なことなんですが、自分が罪悪感を負わないようにして、最後の時に安らかに眠るためにも大切なことです。
もちろん人間は完璧ではありませんから、時には罪悪感を負うようなことをしてしまうかもしれません。
その時は素直に謝ることです。
ただ、年を重ねると”素直に謝る”ってことが、難しくなってきたりしますよね(^o^;
自分より目下の方に対しては、特にそうだと思います。
そして、時間が経てば経つほど謝りにくくなるものです。
相手のためにも、自分のためにも、そして最後の時に安らかに眠るためにも、早めに素直に謝りましょう。
ちなみに、今この瞬間がもっとも早いので、誰かに何かを謝りたければ、、、
今がチャンスでーす!
(by サンシャイン池崎)
って、ふざけちゃってすみません(^^;
気を取り直して(^^;
それと、ちょっと気をつけてもらいたいことがあるんです。
世の中には色んな方がいて、全く悪くないことに対して、自分の価値観を押し付けて、ありもしない罪をなすりつけてくる人間がいます。
そんな罪悪感は、全く負う必要はありません。
そのような人間とは、しっかり距離を取ってもらえればと思います。
長く生きれば生きるほど、責任を負わなければいけない場面は増えると思います。
生きていれば、何かしらの責任を負うのはあたりまえのことですから。
誰しもその責任の範疇で、行動しているはずです。
これは生きている限り年齢関係なく、誰でも同じだと思います。
またその責任の重さは、若年者は軽く年配者ほど重い。
職場だと役職の低い方ほど軽く、高い方ほど重い。
そして、経済活動においてはその責任が重ければ重いほど、経済的な対価が得られる。
これは自然の摂理と言えるでしょう。
ただこの摂理に反して、自分の責任を自分より立場の弱いものに押しつけようとしてくる人間がいます。
つまり、理不尽な責任を負わせようとするわけです。
この理不尽な責任には、必ず抗うようにしてください。
その責任を、押し返すようにしてください。
『それはわたしの責任の範疇ではありません』
と。
さらに言うと、
「あなたには期待している」
「あなたならできるはずだから」
「こんなこともできないの?」
こんな言葉には注意が必要です。
一見、檄をとばしているように感じるかもしれませんが、その向こうには理不尽な責任の押付けが待っているかもしれません。
「あなたは期待を裏切った、だからあなたの責任だ」
「できるはずができなかった、だからあなたの責任だ」
「こんなこともできなかった、だからあなたの責任だ」
人間は完璧ではありませんから、一生懸命頑張ってもできない時もあります。
さらに自分のできる以上のことを任されたら、そこにはやっぱり限界があります。
できないものはできないと、はっきり伝えることも理不尽な責任に抗う方法の1つです。
そしてできなかった時の責任を、自分一人だけで負う必要はありません。
一人で負わなければいけない責任なんて、そうそうないですから。
理不尽な責任を背負わされてしまうと、心地よく生活することが非常に難しくなります。
いずれ身心に支障をきたし、病床に伏せてしまうこともありえます。
こうなってしまうと、人生の最後を迎えるときに後悔することになります。
なぜあの時に抗わなかったのか、と。
できればこんなことは、避けてもらいたいんです。
そしてもう1つ。
人間は弱い生き物だったりします。
自分で負わなければいけない責任から、逃げたくなる時もあると思います。
ただ逃げたあとには、必ず誰かがその理不尽な責任を負うことになります。
自分自身の内側にある、弱い気持ちにも抗うことも忘れないでください。
健やかで心地よい人生を送るためには、感謝は必要不可欠なものです。
感謝をすると笑顔になりますし、された方も笑顔になります。
人生の最後の時にも感謝の気持ちを持てていれば、安らかな気持ちで眠ることができます。
ただ、生きている時間が長くなればなるほど、日常の色々なことがあたりまえになっていきます。
そしてあたりまえになってしまうと、感謝することが難しくなってしまうんですよね。
なぜならあたりまえだからです(^^;
そんなあたりまえは、先人たちの残酷な経験をもとに、暮らしを良くしようと懸命に努力した結果です。
そして今現在もその暮らしを支えてくれている方がたくさんいますし、わたしたち一人一人がその役目を負っています。
そう考えると、すれ違う方みんなに感謝です。
ま、それはちょっと大袈裟すぎますかね(^^;
特別なことに感謝はしやすいと思いますが、あたりまえで些細な事にも感謝をするようにする。
こうすると人生に笑顔と幸せが増え、最後の時を安らかに迎えることができると思います。
以上が人生100年時代を、健やかに心地よく生きるための3つの方法です。
わたしが心理職として探求してきたことは、変わっていると思います。
命のやり取りの心理
戦場帰還兵のPTSDの心理
災害などの緊急事態時の心理
そんな普通じゃない心理を取り扱ってきました。
それらを今月のテーマに落とし込んだとき、この3つが特に大切だと感じました。
変わり者の考え方ですが、人生100年時代を生きる参考になれば幸いです。
5 まとめと来月のテーマ
今回のブログでは、宮本常一先生が監修した『日本残酷物語』から人生100年時代の生き方を読み解いていきました。
かなり最近まで、残酷な選択をとることがあたりまえだったこと。
そして、そういった選択肢をとらなくてすむようになったのは、科学技術の発達などで豊かな時代になったからであること。
そしてその豊かで長い人生を、健やかで心地よく生きるためにはどうすればいいのか。
ちょっと変わった視点ではありますが、わたしなりの視点でお伝えしました。
今月のテーマの『長寿化と老害』
若輩者のわたしにはちょっと荷が重いテーマだったので、最後まで書ききれるか不安でした。
2024年の総まとめとして、なんとか書ききれてホッとしています(^^;
年の終わりに、改めてこれからの人生のあり方について考えさせられました。
人生の後半戦に入ったばかりの、弱くてまだまだ未熟なわたしです。
これからも笑顔と感謝を絶やさずに、生きていければと思います。
今年も一年お疲れさまでした。
それでは良いお年を。
――――――――――
以下、来月のブログのテーマをご案内します。
来月のブログのテーマは
『2025年を迎えて』
です。
2025年はわたしにとって、色々なことが始まる年になりそうです。
そんな始まりの年を迎える気持ちなどを、お伝えできればと思っています。
わたくしごとで大変恐縮ですが、是非ご覧ください。
【参考文献】
【参考資料】
陸上自衛隊に15年勤務。レンジャー隊員。公認心理師。産業カウンセラー。
在職時は、年200件以上の面談に対応するカウンセラーの任務を行うと共に、隊員に対して「災害派遣の心構え」を教育をしていました。
そんな自衛隊での教育や、自身の災害派遣の経験をアレンジして、現在は一般向けに「災害の心構え」をお伝えするセミナー講師。
『どんな災害も乗り越える』
その心構えを”自衛隊式”でレクチャーしています。
このブログでは、防災のこと、身心の健康、そしてちょっとだけ自衛隊の話を綴っています。
自衛隊での経験やセラピストとして学んだことが、皆様のお役に立てば幸いです。
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