自衛隊卒のセラピスト

セラピスト&自衛官の経験と共に、笑顔になる話題をお届けします。

【震災から28年後の街を巡る】神戸の街の今と語り継がれる歴史

令和5年3月8日

被災後、一歩一歩進んでいく復興活動。その道のりはたやすいものではありません。ただ人には、「災害も乗り越えていく力」があります。28年後の被災地の今をお伝えします。是非ご覧ください。

お疲れ様です。自衛隊卒セラピストの岡田凰里(おかだおうり)です。ブログを読んで頂いてありがとうございます。

 

 

3月は毎年花粉に悩まされるわたしですが、今年の花粉はすごいですね(T.T)

 

例年は鼻がツラいだけなんですが、今年は目にも来ました…。

 

ま、時間が解決してくれるので、のんびり季節が変わるのを待とうと思います(^^;

 

 

いよいよ来週から、マスク着用は個人の判断になりますね。

 

わたしは毎年この季節は、マスクが手放せませんが…(^n^;

 

これまでずっと感染対策でマスクを着けていたので、外すのも勇気がいるかもしれません。

 

うがい、手洗いを継続しつつ、不安が和らいできたらマスクを外すという感じになるかと思います。

 

 

前回のブログでは、「人と防災未来センター(人防)」についてお伝えしました。

 

人防は阪神淡路大震災を、語り継ぐための施設です。

 

そして防災について、総合的に学べる施設でもありました。

 

凄惨な被害を映像などで学べる施設ですので、災害を学びたい方にはおススメなんですが、少し注意点がありました。

 

大規模災害に被災に被災した経験のある方には、あまりおススメはしません。

 

思い出したくないことを、思い出してしまうかなと。

 

もう少し具体的に理由を知りたい方は、前回のブログをご覧ください。

 

 

さて、今回は震災から28年後の神戸の街並みをお届けするんですが、ご覧いただく前にお伝えしておきたいことが1つあります。

 

 

今回のブログでは、今の神戸の街の状態と、被災後の神戸の街を比べるために、震災直後の写真を掲示しています。

 

 

もし、そのような写真をご覧になりたくない場合には、大変恐縮ではありますが、このブログの閲覧をお控えください。

 

 

今回のブログは以下の内容でお届けします。

1 震災半年後の淡路島に赴いて

2 語り継がれる被災の歴史

3 震災直後と今の街並み

4 28年後の街を巡ってみて

5 まとめと次回のテーマ

それでは始めていきますね♪

 

 

1 震災半年後の淡路島に赴いて

わたくしごとで大変恐縮ですが、わたしの実家の墓は淡路島にあります。

 

わたしの「岡田」という名字は、関西由来なんですよね。

 

そして阪神淡路大震災があるまで、墓が淡路島にあるのを知りませんでした(^.^;

 

関西にはもう誰も親戚がいませんので、遠いということもあり行っていなかったんだと思います。

 

阪神淡路大震災では、神戸はもちろん淡路島でも震度7が観測されて、被災しました。

 

そこで震災から半年ほど経った夏休みに、親と墓の様子を見に、淡路島に行くことになったんです。

 

当時はまだ明石海峡大橋はありませんので、できたばかりの関西空港へ到着後、フェリーで淡路島に。

 

民宿で一泊して、翌日お寺に伺いました。

 

28年前の遠い記憶なのですが、墓石は倒れ、寺は完全に傾いていました。

 

それ以上お寺が傾かないように、棒で支えていたのを覚えています。

 

実はこのブログを書くにあたって、わたし自身が被災半年後の淡路島に行ったことがあるのを思い出しました。

 

 

そういえば、そうだった…と(^^;

 

 

実際に傾いたお寺を見たものの、実際にわたし自身が被災したわけではなかったので、現実感が沸かないという感じでした。

 

きっと若かったせいも、あったと思います。

 

ただ災害というのは、やっぱり自分が実際に経験しないと、どうしても現実感が沸かないものなんです。

 

ですので災害に備えるためには、先人の経験を学ぶしかありません。

 

そのためにもその貴重な経験を、語り継いでいく必要があります。

 

 

2 語り継がれる被災の歴史

先月のブログでお伝えしましたが、1月の取材で兵庫県の西宮~神戸の街をジョギングしました。

 

ジョギングで街並みを見ながら、地元ならではの神社を巡ったんです。

 

巡った神社には、震災からの復興を記念した石碑が建てられていました。

 

こういった石碑で、凄惨な災害があったことが語り継がれています。

 

 

 

神社の境内に、このような石碑があれば、歴史を語り継ぐことができます。

 

 

そして取材の旅で宿泊した、阪神電車西宮駅前の商店街には、発災の時間で止まった時計のモニュメントがありました。

 

 

このようにして、あの凄惨な震災を語り継いでいます。

 

もしかしたらこのような石碑やモニュメントがあることで、嫌なことを思い出してしまう部分もあるかもしれません。

 

それでも、このように語り継ぐことで、

「たとえ被災したとしても、人間には災害を乗り越える力がある」

 

そんな力強いメッセージと教訓を、見た人に授けてくれます。

 

 

3 今の街並みと震災直後

それでは今の街並みと、震災直後の街並みをご覧いただこうと思います。

 

全く同じ場所とまではいきませんが、同じ地区の写真を掲載しています。

 

まずは、先週ご紹介した"人と防災未来センター"がある、海岸通りの様子です。

 

現在の様子はこちら

 

震災後の様子

 

次に保久良神社から下って、神戸市東灘区の岡本駅付近です。

 

現在の様子

 

東灘区の震災後の様子

 

 

 

 


以前のブログでお伝えしましたが、建築基準法震度6強~7まで耐えうるように設計するように法改正されたのが、1981年6月。

 

発災時は1995年ですので、旧耐震基準で建てられた建物が、まだたくさんあったと思います。

 

旧耐震基準では震度5強程度の揺れに耐えうるように、という基準です。

 

 

阪神淡路大震災の最大震度は7

 

 

倒壊する家屋が多かったのも、やむを得なかったんだと思います。

 

そしてわたしの後輩の奥様が、実際に被災されているんですが

「新築の家が倒壊して、その前で呆然と立ち尽くす友人の姿が忘れられない…」

 

そんなお話も伺いました。

 

場所によっては、新基準で建てた建物でさえも、その揺れに耐えきれないほどの地震だったということです。

 

 

 

写真をご覧いただいて、いかがでしたか?

 

写真だけ見ても、辛いお気持ちになった方もいらっしゃるかもしれません。

 

実際に被災された方のショックは、想像することすら難しいです。

 

ただこれほどの被害があっても、今の神戸の街は復興しています。

 

 

そうです。

 

 

人間には災害を乗り越える力が、必ずあるんです。

 

 

それを今の神戸の街が、証明してくれています。

 

 

4 28年後の街を巡ってみて

今回の取材で、西宮から神戸の街をジョギングしました。

 

駅周辺や繁華街もジョグしたんですが、地元の方がお住まいの住宅街もジョギングしてみました。

 

現在の神戸近傍の街並みを見て、わたしの見た範囲では災害の爪痕は一切ありませんでした。

 

 

震災は28年前。

 

 

今の若い方が、現在の街並みを見た時に、

「28年前に神戸で大震災があった」

 

と言われても、にわかに信じ難いかもしれません。

 

それほど今の街並みは、何事もなかったように時間が流れていました。

 

わたしは昔から神戸に旅行に行くことがよくありましたが、震災後から10年経った神戸でも、震災の爪痕は見つけられなかったように記憶しています。

 

 

「災害は忘れた頃にやってくる」

 

 

なんて言葉がありますが、今の神戸の街を見てしまうと、語り継がなければ、間違いなくその記憶は風化することでしょう。

 

だからこそ石碑や、モニュメント、そして研修施設が必要なんだと思います。

 

 

「災害の備えと復興の意志を語り継ぐ」

 

 

神戸と西宮の素敵な街をジョギングしながら、その大切さをつくづく感じました。

 

 

5 まとめと次回のテーマ

今回のブログでは神戸近傍の今の街並みと、語り継がれている震災の記憶をお伝えしました。

 

そして、震災後の神戸の街の写真も、ご覧いただきました。

 

ショッキングな写真だったかもしれません。

 

ただ災害の現実と

人間には災害を乗り越える力が必ずある

 

このことをお伝えするために、ご紹介しました。

 

 

このブログが、災害の学びと準備の一助になれば幸いです。

 

 

ここで1つ、お伝えしておきたいことがあります。

 

災害の学びを深めたり、防災準備をする上で、実体験を聞くのはとてもためになります。

 

わたし自身、災害の「心構え」のセミナーをしていますので、仕事柄、災害の実体験のお話を伺う機会があります。

 

 

ただ災害の体験は、人それぞれ想いが違います。

 

 

話したいという方もいれば、そうでない方もいらっしゃいます。

 

 

ですので、もし災害の体験談を伺う機会があった際は、話してくれる方のお気持ちを尊重するようにしてくださいね。

 

自分の好奇心だけで、伺うような類のものではないことを、心に留めておいていただければと思います。

 

 

 

次回のブログでは、毒ガスによるCBRNE災害「地下鉄サリン事件」についてお伝えします。

 

是非ご覧ください。

 

 

参考資料

1 阪神・淡路大震災「1.17の記録」

2 国土交通省HP

3 LIFULL HOME`S HP

 

今週の体重

先週59.6㎏⇒今週59.0㎏

 

体重をアップする理由
【頑張らないダイエット③】 お手軽にも程がある!"超時短"筋トレ法

 

※令和6年3月8日:ブログの冒頭に「概要」を追加し、内容を校正しました。

 

 

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陸上自衛隊に15年勤務。レンジャー隊員。公認心理師産業カウンセラー

 

在職時は、年200件以上の面談に対応するカウンセラーの任務を行うと共に、隊員に対して災害派遣の心構え」を教育をしていました。

 

そんな自衛隊での教育や、自身の災害派遣の経験をアレンジして、現在は一般向けに「災害の心構え」をお伝えするセミナー講師。

 

 

『どんな災害も乗り越える』

 

その心構えを”自衛隊式”でレクチャーしています。

 

 

このブログでは、防災のこと、身心の健康、そしてちょっとだけ自衛隊の話を綴っています。

 

自衛隊での経験やセラピストとして学んだことが、皆様のお役に立てば幸いです。

 

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最後までご覧いただきありがとうございました。感謝です。

 

引き続き感染対策をして、安心安全の社会を作っていきましょう。

 

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経歴・資格など
ラクゼーションセラピスト、公認心理師(国家資格)、産業カウンセラー、元陸上自衛官、レンジャー隊員、上級体育指導官、予備自衛官(衛生官)