【令和4年9月7日】
4年前に発生した、北海道胆振東部地震。最大震度観測地の厚真町役場での、インタビューで感じたことをお伝えします。インタビューに対応して頂いてありがとうございました。心から感謝致します。
お疲れ様です。自衛隊卒セラピストの岡田凰里(おかだおうり)です。ブログを読んで頂いてありがとうございます。
9月に入りました。
8月に比べると、だいぶ暑さが和らいできましたね。
東京では感染者数が減少傾向にあります。
ただ、マスクを使う生活はもう少し続きそうです。
マスクコントロール、うがい、手洗いを継続して、感染症を乗り越えていきましょう。
さて、9月は防災月間です。
そこで今月は、防災についてお伝えしていこうと思います。
先月のブログで、北海道取材の際に立ち寄ったところを、ご紹介しました。
実はこの取材は、平成30年度に発生した「北海道胆振(いぶり)東部地震」の取材だったんです。
実は、昨日でちょうど4年が経過しました。
まずはこのブログをお届けするにあたって、犠牲になられた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
そして、この取材を計画していた時に、偶然にも知床の観光船KAZU1号の沈没事故が発生しました。
そこで、胆振東部と知床に赴き、防災の観点から現地取材を行うことにしました。
やっぱり現地に行って、現場を見て、実際に現地の方と話さないとわからないことが、たくさんありました。
今月のブログは、防災月間に当たって前半2週で、胆振東部地震のその後について、
「最大震度観測地『厚真町(あつまちょう)』のその後」
「景観が与える心理的な影響」
を取材をもとにお伝えします。
そして、後半2週は
「知床観光船を含む、フェリーの安全について」
「熊害(ゆうがい)について」
このような内容をお伝えしていこうと思います。
今週のブログは以下の内容です。
それでは始めていきますね。
皆さんは平成30年に北海道で発生した、胆振(いぶり)東部地震を覚えていますか?
わたしはその頃はまだ自衛官でしたので、はっきりと覚えています。
わたしが所属していた部隊からも、災害派遣に向ったからです。
わたし自身は本部勤務でしたので、現地に行くことはありませんでしたが、
「移動だけでも大変だね」
というような話をしたのを覚えています。
山での大規模な土砂崩れや、北海道全体がブラックアウトしたりと、センセーショナルなニュースが流れたので、印象に残っている方もいるかもしれません。
まずは…
『胆振ってどこ?』
と感じますよね(^^;
北海道の方でもなければ、具体的な場所がわからないと思うんです。
実際私も、今回調べるまで、具体的な地域は知りませんでした。
胆振はここになります。
関東の旧国名だと、東京近辺は武蔵の国とか、神奈川辺りは相模の国とか言ったりしますよね。
胆振は東西に長くて、最大震度を観測した厚真町はここになります。
北海道で震度7は、初めて観測されたそうです。
震源の深さ37Km
マグニチュード6.7
北海道全域で、揺れが観測されました。
発生日時は9月6日午前3時7分
真夜中に発生した地震でした。
大規模な土砂災害などにより、44名が死亡
785名が負傷
住家全壊491棟、半壊1,816棟
以上のような甚大な被害が出ました。
そして死者の大多数は、今回取材させていただいた厚真町の方です。(37/44名)
住家の全壊も半数近くは厚真町になります。(235/491棟)
最大震度を観測したというのが、数値からも読み取れます。
こんな甚大な被害が出てから、4年の年月が経ちました。
そんな厚真町のその後を、取材させていただきました。
2 厚真町役場に赴いてみて
当日はJR千歳線沼ノ端駅でレンタカーを借りて、厚真町役場まで伺いました。
移動経路はこのような感じです。
移動中はまさに「雄大」という言葉がふさわしい、北海道の自然を見ながらのドライブになりました。
途中、エゾリスですかね?…、道からどいてくれなくて…(^^;
クラクション鳴らしても、ダメ(^n^;
待っていたら、何とか移動してくれたんですが、そんな感じの、自然豊かなところでした。
道中は震災の爪痕を感じることは、ありませんでした。
もしかしたら、細かく見ればあったのかもしれません。
ただ、運転をしながら見る限りは、わかりませんでした。
厚真町の中心街に着いてみても、特にそういう感じはありませんでした。
道路や建物は、もう復旧しているな、という感じでした。
厚真町役場の担当者の方へのインタビュー前に、まずは慰霊碑にお参りしました。
令和3年9月建立とありますので、震災からちょうど3年の節目に作られたんだと思います。
慰霊碑に一礼して、町役場へ。
いざ防災担当の方へのインタビューに。
3 防災担当は『元自衛官』
インタビューをしたのは7月上旬でした。
この日の気温は、なんと午前中で30度を超えていました(^.^;
受付の庁舎は冷房がなく、話しかけた係の方は、ものすごく暑そうに仕事をされていました。
そうですよね。
前日行った、国立アイヌ民族博物館「ウポポイ」の係員の方も、フーフー言いながらお仕事されてましたもん(^n^;
北海道の方には、7月上旬に、しかも午前中で30度越えは堪えますよね。
受付後に防災担当の方が来て、ご挨拶。
別室に行って、インタビューをさせて頂きました。
インタビューの最初に伺ったのが、
「私も元自衛官です」
とのこと。
ビックリはしたんですが、定年退職された方が、自治体に「防災監」として再就職することがあるのは知っていました。
改めて陸上幕僚監部のHPで調べてみると、「地域防災マネージャー制度」というものがありました。
内閣府が防災の専門性を有する人材の能力を、証明する制度だそうです。
そういった証明をお持ちの方が、地域の防災担当になっている自治体があります。
適材適所の、最たるものですね(^o^)
そんな方が防災担当をしていると、心強いと感じます。
自衛官は、災害に慣れていますから。
わたし自身、振り返ってみても災害派遣に携わった回数は、両手では足りません。
色々とインタビューさせていただいたんですが、その中でも一番印象的だったのが、
「あんな風に山が崩れるなんて、誰も想像できなかった」
とおっしゃっていたことです。
これは、本当におっしゃる通りだと、強く感じました。
わたし自身、災害の現地を何度も見てきましたが、その想像以上の被害に、圧倒されることが何度もありました。
あの状態を予想しろというのは、無理があるんです。
そう。
つまり災害の予想には、確実に限界があります。
想像を超える災害は、必ず起きるんです。
最近では雨による水害や噴火ついては、リアルタイムの情報が入るようになっていますが…
それでもやっぱり限界はあります。
そんな予想外のことに対応するのは、筆舌に尽くしがたい労力が必要になります。
4年が過ぎた災害のこととはいえ、そんな大変さが伝わってきたインタビューでした。
インタビューに応じて頂いて、本当にありがとうございました。
感謝いたします。
4 インタビューを終えて
インタビューを終えて、自治体の災害対応について、わたしが感じたことをお伝えしようと思います。
災害復旧業務は多岐にわたりますが、もちろん被災した現地の担当者だけでできる訳ではありません。
様々な支援を得て、実施されます。
この胆振東部地震の対応のために、厚真町役場は、9月の発災からその年の12月末までの約4カ月間で、延べ人数約3万人の支援を受け入れています。
国からの支援、道内からの支援、他県からの支援、そして警察・消防・自衛隊。
それに対して、町役場の職員の総数は100名ほど。
単純計算になりますが、町役場の職員の皆様は、約4カ月のうちに、一人当たり300名の方に対応したことになります。
災害に対応し、住民の方にも対応しながら、これだけの支援を受け入れるということを、同時にやってらっしゃったということです。
これは、生半可なことではないのが、容易に想像できます。
そして被災した現実を目の当たりにしながら、それをやらなければならない。
さらに人によっては、自分自身が被害を受けながらも、業務をしなければならない。
実際に被災したことがある方や、災害直後の現場に臨んだことがある方は経験があると思うんです。
あの、得も言われぬ不安感と緊張感を…。
わたし自身、何度も体験しました。
本当に大変だったと思います。
そして災害対応の業務に、「慣れているか」という問題もあります。
自治体の方々は、普段の業務があります。
災害の対応というのは、メインの業務ではなく、基本的には訓練でしか経験がないことがほとんどでしょう。
もしかしたら、民間企業にお勤めの方よりは訓練しているかもしれません。
それでも、年に何回もできるものではありません。
もちろん災害の備えは必要なんですが、滅多に起きないことに時間と労力を割くのは、とても難しいことです。
慣れていない業務をこなすというのは、プラスアルファの疲労感を感じざるを得ません。
さらに言うと、訓練と現実は違います。
わたしは自衛官でしたので、普段の訓練の延長線上に、災害派遣の任務がありました。
そして何度も災害派遣されているので、災害に慣れています。
つまり経験に基づいた、「心構え」が常にありました。
ただ、この心構えは、事前に心理的な教育を受けない限り、訓練だけで養うことはできないんです。
そして、災害に慣れている人なんて、ほとんどいません。
きっと災害派遣されたことのある警察官、消防官、自衛官くらいでしょう。
訓練でしかやったことのない慣れない業務を、想像を超える被害を受けながら対応する。
恐らく町役場の皆様は、疲労と不安の極限で、お仕事をされていたんだろうな…
そんな風に感じました。
5 まとめと次回のテーマ
今回のブログでは、胆振東部地震の最大震度観測地「厚真町」での取材をもとに、わたしが感じたことをお伝えしました。
実はインタビューの中で、もう一つ印象に残ったことがあります。
担当者の方に、
「役場の皆さんは、感謝されましたか?」
と伺ってみたんです。
すると、
「いやいや、やるのが当たり前なので。」
とのこと。
確かに、役場の皆様は公務員。
被災してその対応をするのは、当たり前です。
税金でお給料を頂いているから、ということですよね。
わたしも元自衛官(公務員)でしたので、税金からお給料を頂いていました。
ただ災害派遣に行くと、感謝されることが多かったんです。
滅多に見ない自衛官が、「災害派遣されてきた」というのは特別なことに映るからだと思います。
確かに特別なことには、感謝の気持ちが沸きやすいものです。
これはこれで、いいと思います。
ただ、災害を本当の意味で乗り越えるためには、
『当たり前のことに、感謝できるか』
がポイントになります。
つまり、心理的な要素に左右されるんです。
災害を乗り越える上で、家や町が復旧して、普段の生活が送れるようになることが、まずは第一です。
ただ、それだけだと
「乗り越えた」
という感覚は、得られないんです。
そこには、心理的な要素が、どうしても必要になってきます。
次回のブログでは、現地取材の写真を通して、心理的な面から災害の復興についてお伝えします。
是非ご覧ください。
【今週の体重】
先週60.1㎏⇒今週57.7㎏
【体重をアップする理由】
【頑張らないダイエット③】 お手軽にも程がある!"超時短"筋トレ法
【参考資料】
1 厚真町・安平町・むかわ町平成30年北海道胆振東部地震記録誌(PDF)
2 陸上幕僚監部 人事教育部 募集・援護課HP 「陸上自衛隊 退職自衛官雇用ガイド」https://www.mod.go.jp/gsdf/retire/bousaikan.html
3 厚真町観光協会HP 「厚真町震災学習プログラム」https://atsuma-kankoukyoukai.jp/guide/
※令和6年4月11日:ブログの冒頭に「概要」を追加し、文章の校正をしました。
陸上自衛隊に15年勤務。レンジャー隊員。公認心理師。産業カウンセラー。
在職時は、年200件以上の面談に対応するカウンセラーの任務を行うと共に、隊員に対して「災害派遣の心構え」を教育をしていました。
そんな自衛隊での教育や、自身の災害派遣の経験をアレンジして、現在は一般向けに「災害の心構え」をお伝えするセミナー講師。
『どんな災害も乗り越える』
その心構えを”自衛隊式”でレクチャーしています。
このブログでは、防災のこと、身心の健康、そしてちょっとだけ自衛隊の話を綴っています。
自衛隊での経験やセラピストとして学んだことが、皆様のお役に立てば幸いです。
ブログの更新は毎週水曜日。
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公認心理師(国家資格)、産業カウンセラー、リラクゼーションセラピスト(2級)、元陸上自衛官、レンジャー隊員、上級体育指導官、予備自衛官(衛生官)
〔※「Windship」及び「Windship treatment」は登録商標です。〕
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