自衛隊卒のセラピスト

セラピスト&自衛官の経験と共に、笑顔になる話題をお届けします。

【平成25年伊豆大島土砂災害②】10年後の被災地と再生した自然

令和5年9月20日

土砂災害から10年経った伊豆大島。その復興は容易なものではありません。先日の現地取材で撮影した写真と、被災当時の写真を比較しながら、再生した今の伊豆大島をご案内します。是非ご覧ください。

お疲れ様です。自衛隊卒のセラピストの岡田 凰里(おかだ おうり)です。ブログを読んで頂いてありがとうございます。

 

9月も下旬に入りました。

 

まだまだ暑い日が続いていますね(^^;

 

いつまで続くことやら…(^o^;

 

ただ、朝と夕方は秋の気配を感じるようになってきました。

 

この暑さの峠は、なんとか越した感じがしますね。

 

これからは寒暖の差が激しくなってくると思いますので、体調管理には注意していきましょう。

 

 

前回のブログでは、町役場へのインタビュー、そしてそれについて私が感じたことをお伝えしました。

 

日本で起きるすべての種類の災害に備えている、大島町役場

 

被災後10年の道のり

 

そして、心構えが大切であること

 

そんなことをお伝えしました。

 

前回のブログも是非ご覧ください。

 

 

今回のブログでは、土砂崩れを起こした現場の今をお伝えします。

 

主に被害の大きかった大金沢地区の現状と、再生した自然についてお伝えしていきます。

 

ブログは以下の内容です。

1 慰霊碑へお参り

2 10年後の被災地の今

3 再生した自然を望んで

4 災害を乗り越えるために

5 まとめと来月以降のテーマ

それでは始めていきますね。

 

 

1 慰霊碑へお参り

実は町役場へのインタビューに行く前日に、災害で犠牲になられた方々の慰霊碑のお参りに伺ったんです。

 

とても景色の良い場所にありました。

 

慰霊碑は、大島メモリアル公園内にあります。



 

大島メモリアル公園は、土砂災害の跡地に作られた公園です。

 

全く同じ場所ではないとは思いますが、下の写真のような被害があった場所を整地して作られました。

(※参考資料1より引用 写真提供:気象庁

 

(※参考資料1より引用 写真提供:気象庁

 

 

今では、災害当時の面影は全くありません。



階段を登って、慰霊碑へ向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

景色がとてもいいので、大島に訪れた際は是非足を運んでみて下さい。

 

 

2 10年後の被災地の今

大島メモリアル公園から見える山には、10年前の土砂災害の爪痕を見て取ることができます。

 

 

公園から少し離れた野増地区からも、その爪痕がうかがえます。

 

 

遠目からですが、茶色い山肌は確認できません。

 

この土砂崩れの跡を、近くで見てみることにしました。

 

御神火スカイラインをサイクリングしながら、10年後の土砂崩れの跡の今をお届けします。

 

【御神火スカイライン

 

前回のブログでお伝えしましたが、土砂崩れが起きたところには、再生事業で人の手が入っています。

 

ですので、自然だけの力で回復したわけではありません。

 

下から見えた部分の、ピンポイントの場所とはいかないと思いますが、それを踏まえた上でご覧ください。

 

 

いざ、山へ向け登っていきます。

 

緑の濃淡はあるものの、自然は回復しているのを感じることができます。

 



 

 

 

(※参考資料1より引用 写真提供:気象庁

 

 

 

ちょっと景色は麓に戻りますが、この砂防の先は大金沢流水路に続いています。

 

 

 

さてさて、また御神火スカイラインに戻ります。

 

ここも10年前の爪痕と思われます。

 

取材目線で見れば跡は見えてきますが、そうでなければ普通の草むらです。

 

そして土砂崩れのスタート地点と思われる場所から、海を臨むことができました。

 

この地点から遥か下の方に、被害の大きかった元町地区を望むことができます。

 

 

さらに登っていくと、最近できた土砂崩れの跡がありました。

 

 

山で土砂崩れが起きるのは仕方ないことですが、やっぱりその破壊力はすさまじいものがあります。

 

御神火スカイラインを登り切って、三原山山頂口からの景色はとっても素敵でした。

お食事をいただいた、「歌乃茶屋さん」からの眺めも最高でした♪

御神火スカイライン伊豆大島のおススメの観光スポットです。

 

 

3 再生した自然を望んで

今回10年後の被災地を望んでみて、わたし個人の感想は、

「あの災害から復興したんだな」

 

と感じました。

 

わたしの様に、被災直後の現場を直接見た経験のある人間は、大島の風景を遠目に見れば、

「あれはあの時崩れた跡だ」

 

と認識できます。

 

これは、取材目線で見ているからだと思います。

 

ただ、そういう経験がなければ、今の大島の風景を見ても

「これがあたりまえの風景」

 

そう感じると思います。

 

さらに近くで見てみると、緑で覆われていて、10年前に土砂災害があったとは思えない風景が広がっていました。

 

そして実はこの取材の後、コロナ前に伊豆大島に観光に行ったという方と話す機会があったんです。

 

その方は、災害の爪痕は感じなかったとおっしゃっていました。

 

コロナ前というと、4年ほど前でしょうか。

 

その時点ですでに観光目線であれば、災害の爪痕を感じない程まで復興していたんだと思います。

 

そしてこの復興した「あたりまえの風景」は、地元の方はもちろん、自治体の方が根気強く地道に復興を続けた証だと思います。

 

お陰様で安全安心の、楽しい取材ができました。

 

心から感謝致します。

 

ありがとうございます。

 

 

4 災害を乗り越えるために

災害は理不尽です。

 

 

本当に理不尽です。

 

 

今回の取材で、当時土砂が崩れた大元と思われる部分から、街の景色を見てみました。

 

その標高は、400ⅿを越えています。

 

 

つまり、東京タワーやあべのハルカスを優に超える高さから、土砂と流木が流れてきたわけです。

 

 

そんなところから土砂が流れてきたら、ひとたまりもないことは想像に難くありません。

 

 

その土砂災害が起きた時間は、真夜中の午前2時~午前3時頃。

 

 

丑三つ時の真っ暗闇の中、土砂崩れが起きたということです。

 

 

そしてこの土砂崩れは、台風という移動しながら風雨をもたらす自然現象により発生しました。

 

 

そしてその台風がもたらした雨量は、1時間に125㎜を記録。

 

 

その月の1か月の平均降水量は329mm

 

 

つまりたった1時間で、月の降水量の1/3を超える雨が降ったわけです。

 

 

そんな量の雨が降ると、誰が予想できたでしょうか。

 

 

そして標高400mを超えた地点から、海にまで至る土砂崩れ発生すると、誰が予想できたでしょうか。

 

 

発生した後であれば、いくらでも分析できます。

 

 

「こういうメカニズムで発生した」

 

 

そんなことは発生した後であれば、いくらでも論じることができるんです。

 

 

 

 

 

わたしが何をお伝えしたいのか。

 

 

 

 

 

それは、

「自然災害の発生を事前にすべて予測するのは、不可能である」

 

ということです。

 

 

このマインドセットを持って、災害に備えて欲しいんです。

 

 

そのための準備と、心構えをしておいていただきたいんです。

 

 

もちろん防災のために、何重もの対策が行われています。

 

 

ただその対策だけでは、被害を100%防ぐことはできないんです。

 

 

防災を語る上で、「自助・共助・公助」という言葉があります。

 

 

この言葉が示す通り、まずは「自助」なんです。

 

 

 

 

 

今月は防災月間。

 

 

 

 

 

もし災害の準備と心構えが後回しになってしまってるな…と感じる方は、この機会に一度向き合っておきましょう。

 

 

災害のことに向き合うのは、億劫に感じるかもしれません。

 

 

それは誰もが同じだと思います。

 

 

ただ、一度しっかり準備と心構えをしておけば、安心して日常を過ごすことができますよ。

 

 

ブログの最後に災害備蓄のブログを張り付けておきますので、是非ご覧になってみて下さい。

 

 

5 まとめと来月以降のテーマ

今回のブログでは、被災地の10年後の今をお伝えしました。

 

10年経った伊豆大島の自然は、再生していること。

 

防災対策が施され、安心して観光ができること。

 

災害は理不尽で、すべてを予測するこは不可能であること。

 

そんなことをお伝えしました。

 

 

災害というのは、滅多に起きることではありません。

 

滅多に起きないことに備えるのは、本当に大変なことです。

 

ただ備えがないと、その被害は甚大になります。

 

その備えの一歩として、まずは「自助」

 

自分自身の備えをしましょう。

 

そして自分で備えをしてみると、何事もなく過ぎていく日常や、自分の知らない所で施されている防災対策のありがたさを、きっと感じることができると思います。

 

 

このブログが、そんなことを感じる一助になれば幸いです。

 

 

伊豆大島の取材の旅は、防災について得るものが多かった上に、本当に楽しかったんです。

 

是非皆さんも伊豆大島に行って、楽しい時間をお過ごしいただければと思います。

 

 

取材させていただいてありがとうございました。

 

心から感謝致します。

 

ありがとうござます。

 

 

以下、来月以降のブログについてご連絡です。

 

大変恐縮ではございますが、10月と11月はブログの更新をお休みします。

 

この2カ月は、これまでのブログのまとめ記事をお届けしますので、ご了承ください。

 

そして12月は一年の締めくくりとして

「火器と爆薬から命を守る」

 

をテーマにお届けします。

 

是非ご覧ください。

 

 

参考資料
1 平成25年伊豆大島土砂災害記録誌(PDF) 平成29年3月 東京都伊豆大島町防災対策室編著 
2 気象庁HP

 

※令和6年2月28日:ブログの冒頭に「概要」を追加し、内容を校正しました。

 

 

≪前回のブログ  -  次のブログ≫

 

 

陸上自衛隊に15年勤務。レンジャー隊員。公認心理師産業カウンセラー

 

在職時は、年200件以上の面談に対応するカウンセラーの任務を行うと共に、隊員に対して災害派遣の心構え」を教育をしていました。

 

そんな自衛隊での教育や、自身の災害派遣の経験をアレンジして、現在は一般向けに「災害の心構え」をお伝えするセミナー講師。

 

 

『どんな災害も乗り越える』

 

その心構えを”自衛隊式”でレクチャーしています。

 

 

このブログでは、防災のこと、身心の健康、そしてちょっとだけ自衛隊の話を綴っています。

 

自衛隊での経験やセラピストとして学んだことが、皆様のお役に立てば幸いです。

ブログの更新は毎週水曜日。

 

月に一度、ブログテーマのアナウンスをしています。

 

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最後までご覧いただきありがとうございました。感謝です。

 

前回のブログ

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【平成25年伊豆大島土砂災害】町役場のインタビューで感じたこと

令和5年9月13日

平成25年(2013年)に起きた、伊豆大島土砂災害。実はわたしは、当時の被災地を現場視察で訪ねていたんです。当時の記憶を振り返りながら、町役場のインタビューで感じたことをお伝えします。是非ご覧ください。

お疲れ様です。自衛隊卒のセラピストの岡田 凰里(おかだ おうり)です。ブログを読んで頂いてありがとうございます。

 

9月も中旬に入りましたが、未だに暑い日が続いていますね。

 

夏が終わったな…とは、まだ思えませんよね(^^;

 

まだまだ熱中症には、油断禁物の様です(==;

 

熱中症の予防には水分の取り方、特に飲み込み方が重要です。

 

飲み込み方を間違えると、予防はおろか水中毒になって余計に体調が悪化します。

 

このブログの最後にブログを張り付けておきますので、是非ご覧ください。

 


さて、今月9月は防災月間です。

 

それに合わせて今月は、
『平成25年伊豆大島土砂災害』

 

をテーマにしています。

 

 

前回のブログでは昨年取材に行った、北海道胆振東部地震のブログ

「景観がもたらす心理的な影響」

 

をご覧いただきました。

 

地震から4年後の厚真町の状況

 

景観がもたらす心理的な影響

 

そして、本当の復興とは。

 

 

伊豆大島の土砂災害の取材をご紹介するにあたって、前置きをさせて頂きました。

 

お待たせいたしました。

 

今週のブログでは、インタビューに応じてくれた大島町役場の担当の方の話をご紹介しながら、10年前の土砂災害を振り返ります。


内容は以下の通りとなっています。

1 伊豆大島土砂災害とは

2 この災害でのわたしの体験

3 町役場でのインタビュー

4 インタビューで感じたこと

5 まとめと次回のテーマ

それでは始めていきますね。

 

 

1 伊豆大島土砂災害とは

平成25年伊豆大島土砂災害は、台風26号の大雨に伴い、2013年10月16日午前2時から3時にかけて発生した土砂災害です。

 

伊豆大島の元町地区上流の、大金沢を中心とした渓流において発生した、流木を伴った土石流が発生しました。

 

元町地区上流の大金沢地区

 

大島の元町では1時間に125㎜の猛烈な雨が降り、24時間降水量では824㎜を記録し、大島での観測史上1位の値を更新しました。

 

ちなみに、大島の10月1か月の平年降水量は329㎜。

 

一カ月に降る雨の、実に2.5倍の量の雨が一日に降ったことになります。

 

この尋常ではない降雨量による土石流の威力はすさまじく、次の様な被害が出ています。

 

死者    36名
行方不明者 3名

 

建物の全壊 137棟
大規模半壊 28棟
半壊    49棟
一部損壊  186棟

 

被災世帯数 179世帯
被災人数  324名

 

このような甚大な被害が出ました。

 

そして行方不明の3名は、未だに発見されていません。

 

このほかにもライフラインの被害、公共施設の被害、農林業への被害にも甚大な被害が出ました。

 

また、土石流が発生したのが、深夜の2時から3時にかけての真夜中だったため、状況の把握が非常に困難なものになりました。

 

災害発生後は、大島町役場の職員はもちろんのこと、地元消防団、警視庁、東京消防庁海上保安庁自衛隊による救助活動が行われています。

 

地元消防団の団員

 

警視庁の警察官

 

東京消防庁隊員

 

海上保安庁のダイバー

 

陸上自衛官

(※写真は参考資料1より引用 写真提供:気象庁東京消防庁・大島社会福祉協議会海上保安庁

 

 

災害発生の翌日から、11月8日までの23日間で、延べ約34,000人の人員が活動にあたっています。

 

なお自衛隊においては、統合任務部隊(JTF)が編制され、陸・海・空の自衛隊が統合的に運用されました。

 

実際にわたしの所属していた部隊の車両は、海上自衛隊のLCAC(エルキャック)という揚陸艇で大島に上陸しています。

 

 



そしてわたし自身は被災現地で活動することはありませんでしたが、偶然にも現地に赴くことになりました。

 

 

2 この災害でのわたしの体験

実はこの災害は、非常に印象に残っています。

 

なぜなら、とてもキツかったからです。

 

なぜキツかったかというと、ちょうど仕事が過密な時期に発生した災害だったからです。

 

 

その仕事とは国家的行事である自衛隊観閲式、そして引き続きの日米共同指揮所演習…。

 

 

災害派遣があるからと言って、すべての行事や訓練が延期や中止になるわけではありません。

 

延期・中止にできない場合もあるんです。

 

あの時は年末まで、寝る時間以外はずっと仕事をしているという日が続きました。

 

 

仕事をしていれば、誰しもこんな時はありますよね。

 

 

災害派遣伊豆大島だけに部隊が展開していたわけではなく、本土側にも部隊が展開していました。

 

本土に展開していた部隊、そして被災現地に展開している部隊の現地確認の一環で、被災地に足を踏み入れることになりました。

 

 

 

土砂災害の現場を見て感じたこと。

 

 

 

それは、

『このとんでもない規模の土砂崩れを、誰が予想できただろうか』

 

この一言に尽きます。

 

 

元町地区の土砂災害の現場に際して、わたしはしばらくの間、立ち尽くしたのを今でも覚えています。

 

山腹から襲った土砂

 

土砂の圧倒的破壊力

(※写真は参考資料1より引用 写真提供:気象庁

 

圧倒的な破壊力の土砂は、海岸まで至りました。

 

なすすべなく破壊された家屋には、唖然とするしかありませんでした。

 

わたしが居合わせた現場で、偶然犠牲者が発見され、敬礼で葬送しました。

 

 

そして被災していない地域では、いつもの時間が流れているように感じました。

 

 

このような状況を短時間に体験して、なんだか心の整理がうまくつかなかったのを覚えています。

 


帰路の際には、島民の方に自衛隊ありがとう」と書かれたプラカードを持って、手を振っていただきました。

 

 

災害派遣には携わることは何度もありましたが、このようなテレビの映像で流れるような場面を経験をするのは初めてでした。

 

 

「こちらこそ、ありがとうございます」

 

 

そんな風に思いながら手を振り返し、島を後にしました。

 

 

わたしの中でこの災害が印象に残っているのは、"キツかった”からだけでなく、1日の内に色々な体験をしたせいもあるのかもしれません。

 

 

当時はあまり考える余裕はありませんでしたが、気持ちの整理がつかず、心が追い付いていなかったような気がします。

 

 

あれから10年経った伊豆大島

 


現在の伊豆大島をこの目で見たいと思い、取材で再訪しました。

 


そして大島町役場の担当者の方が、インタビューに応じてくれました。

 

 

3 町役場でのインタビュー

大島町は、日本で起こり得るすべての災害に、対応しなければならないんです』

 

インタビューの最初に、防災担当の方から教わったことです。

 

日本で起こり得る災害とは、

 


地震

 

津波

 

風水害

 

土砂災害

 

火山災害

 


事前に伊豆大島について調べはしたんですが、改めて言われないと気が付くことができませんでした。

 

このすべての災害を想定しなければならない自治体は、なかなかないですよね。

 

 

大島は活火山の島です。

 

 

国内111座の活火山の内、約1割の12の活火山が伊豆諸島に属しています。

 

そして伊豆大島火山は、実際に1986年に噴火しています。

 

さらに天候でフェリーが離着岸する港が変わるなど、自然の力を身近に感じる土地です。

 

 

そんな中で災害に立ち向かっているのが、大島町役場の防災担当の方々です。

 

 

先月のブログでもお伝えしましたが、インタビュー前日に自転車で島を一周しました。

 

サイクリングを楽しむという目的もあったんですが、災害の爪痕が残っていないかを見て回る目的もあったんです。

 

わたしの見た限りでは、土砂崩れ後の茶色い土が見える山肌は確認できませんでした。

 

「土砂崩れが起きた部分の緑は、もう回復したんですね」

 

そうお伝えすると、

 

「いえ、実はあの土砂災害のままの山肌もあるんです」

 

「そうなんですか。10年経って自然の力では回復できていないんですか?」

 

「はい。緑が回復しているところは、人の手が入っているところです」

 

「都の事業で、島特有の成長の早い植物の種子を、ヘリで空中散布した地域もあります」

 

 

・・・。

 

 

わたしは10年あれば、自然の力である程度の緑は回復すると思っていました。

 

 

しかし、現実は違いました。

 

 

自然だけの力では、10年ほどの年月では緑を回復することが難しい。

 

 

緑を早く回復させるためには、人間の力が必要である。

 

 

そんなことを教えていただきました。

 


去年取材した北海道胆振東部地震では被災した、厚真(あつま)、安平(あびら)、むかわの3つの町で、土砂崩れなどで広範囲の森林が消失しています。

 

そして先日の9月6日で5年経ちましたが、植林などで再生したのは6%弱にとどまるとのことが、道のまとめで明らかになっています。

 

森林の再生というのは、とても長い道のりのようです。

 

それでも実際に大島に赴いて、観光客目線で見て茶色い山肌が見えないのは、地元の方や都の職員、そして町役場の方が地道に災害に向き合ってきた証だと思います。

 

そしてインタビューの中で、最も強くおっしゃっていたのが、

 

「災害に際して、”心構え”が非常に大切です」

 

「心構えをしておくことを、皆さんに伝えて欲しい」

 

自然との距離が近く、日本で起こり得るすべての災害に対応しなければならない町役場の方のこの言葉は、とても重く感じました。

 

この町役場の担当者の方の想いを、わたしなりに読み解いてみました。

 

 

4 インタビューで感じたこと

町役場でのインタビューは、月曜日に伺いました。

 

わたしが島に着いたのは土曜日の朝で、その間に飲食店などで地元の方と話す機会がありました。

 

そこで感じたのは、島民の方は自然に対する感覚が、本土の人間とは少し違うことです。

 

自然が身近で、自然への畏怖の念が強い。

 

会話の端々から、そんな印象を受けました。

 

確かに目の前に活火山と海があって、雨風で船の発着港が変わる環境です。

 

そうなるのも当たり前と言えば、当たり前です。

 

 

そういう環境で生活されている方が、

心構えが大切である

 

そうおっしゃっているわけです。

 

 

 

「災害に備えて、心構えをする」

 

 

 

そんなことを積極的にやりたい人は、いないと思うんです。

 

できれば、災害になんて遭遇したくないわけですから。

 

こうなると心構えをしておくことから、どうしても目を背けたくなってしまいますよね。

 

 

これは誰もが一緒だと思います。

 

 

「ただその心構えがないと、いざという時の行動に大きな影響を与えてしまう」

 

これは元自衛官のわたし自身、経験していることです。

 

そして、町役場の方もそれを経験しているからこそ、”心構え”という言葉が出てきたんだと思います。

 

 

 

心構えがないと、行動ができないんです

 

 

 

避難を呼びかけた際、避難する方もいればしない方もいます。

 

避難するって、大変なことですからね。

 

それでは避難する方としない方の違いは何か…。

 

 

恐らくそこに、”心構えの差”があるんだと思います。

 

 

科学技術の発展で、雨風の予測の精度は上がっています。

 

それでも、完璧に予測できるわけではありません。

 

 

つまり、自然災害を正確に予測することは、現代科学では不可能なんです

 

 

だからといって、予測技術や災害の対策の歩みは、止まっているわけではありません。

 

 

着実に、一歩一歩進んでいると思います。

 

 

ただ、そこには限界があることを忘れないでください。

 

 

人間の予測を超える災害は、必ず起きます。

 

 

そして、いざという時に生死を分けるのは、”心構えの有無”ということが間々あります。

 

 

今月は防災月間です。

 

 

是非この機会に、被災した時の”心構え”があるかどうかを、胸の内に尋ねていただければと思います。

 

 

5 まとめと次回のテーマ

今回のブログでは、大島町役場でのインタビューと、その内容を通して災害に対する”心構え”についてお伝えしました。

 

 

心構えがないと行動できないこと。

 

災害の予測には限界があること。

 

心構えの有無が生死を分ける場合があること。

 

 

そんなことをお伝えしました。


今回のブログを読んで、心構えをしてみよう!と感じた方は、まずはお住まいの自治体の「防災の手引き」をご覧ください。

 

地域の特性に合わせた、準備や避難の要領が記載されています。

 

現代は情報化社会で、ネットで検索すれば、色々な情報がヒットします。

 

もちろんそちらを参考にしてもいいんですが、初めの一歩は自治体のものです。

 

わたし自身も、住んでいる自治体のものを参考に、災害準備をしています。

 

是非一度、目を通していただければと思います。

 


次回のブログでは、被災10年後の現地の様子を、写真と共にお伝えします。

 

是非ご覧ください。

 

参考資料
1 平成25年伊豆大島土砂災害記録誌(PDF) 平成29年3月 東京都伊豆大島町防災対策室編著 
2 気象庁HP

 

参考文献
1 伊豆諸島の自然と災害 鈴木毅彦・市古太郎編著 古今書院 2023年3月

 

※令和6年2月28日:ブログの冒頭に「概要」を追加し、内容を校正しました。

 

 

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陸上自衛隊に15年勤務。レンジャー隊員。公認心理師産業カウンセラー

 

在職時は、年200件以上の面談に対応するカウンセラーの任務を行うと共に、隊員に対して災害派遣の心構え」を教育をしていました。

 

そんな自衛隊での教育や、自身の災害派遣の経験をアレンジして、現在は一般向けに「災害の心構え」をお伝えするセミナー講師。

 

 

『どんな災害も乗り越える』

 

その心構えを”自衛隊式”でレクチャーしています。

 

 

このブログでは、防災のこと、身心の健康、そしてちょっとだけ自衛隊の話を綴っています。

 

自衛隊での経験やセラピストとして学んだことが、皆様のお役に立てば幸いです。

 

ブログの更新は毎週水曜日。

 

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最後までご覧いただきありがとうございました。感謝です。

 

前回のブログ

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〔※「Windship」及び「Windship treatment」は登録商標です。〕

【土砂災害の傷跡を顧みる】景観が及ぼす心理的な影響と復興の道のり

令和5年9月6日

今月のテーマは10年前に発生した「伊豆大島土砂災害」ですが、災害の現場を目の当たりにした際の心理的な影響を、承知しておいてもらいたいんです。北海道の災害を例にお伝えします。是非ご覧ください。

お疲れ様です。自衛隊卒セラピストの岡田凰里(おかだおうり)です。ブログを読んで頂いてありがとうございます。


気が付けば9月に入りました。

 

日中はまだまだ猛暑ですが、朝晩はようやく夏が終わる気配を感じるようになってきました。

 

ただ、熱中症への警戒は、まだ解けそうにありません。

 

熱中症を予防する水分の取り方のブログを、最後に張り付けておきます。

 

まだご覧になっていない方は、是非ご覧になってくださいね!

 

 

さて、今月は防災月間です。

 

それに合わせて、今月のブログのテーマは、

『平成25年伊豆大島土砂災害』

 

です。

 

 

先月のブログでは、「伊豆大島に取材に行ってきた」とお伝えしましたが、観光スポットやグルメの取材に行ったわけではありません。


実は平成25年に起きた伊豆大島土砂災害の、10年後の被災現場を取材しに行ったんです。

 

 


この災害が発生したのは、わたしが現役の自衛官の時。


被災当時の伊豆大島にも、実際に行きました。

 


あれから10年。

 


10年一区切りと言いますが、現地の今を確認すべく、取材に伺うことにしました。

 

町役場でのインタビューや10年後の今の状況、そしてそれに対してわたしの感じたこと。

 

そんなことを今月のブログで綴っていこうと思います。

 

 

 

ただそれを綴る前に、どうしてもご覧いただきたいブログがあるんです。

 

 

 

昨年取材した、北海道胆振東部地震のブログ、

「景観が及ぼす心理的な影響」

 

です。

 

 

土砂災害の被害は、どのように復興していくのか。

 

そして土砂災害とは、心理的にどのような影響があるのか。

 

伊豆大島の土砂災害についてお伝えする前に、皆さんに承知しておいて欲しいんです。

 

そこで今週のブログは、去年のブログに修正加筆した内容をお届けします。

 

今回の内容は以下の通りです。

1 なぜ4年後に取材を?

2 今も残る土砂崩れの爪痕

3 心理的な影響とその対策

4 〇〇が日本一の『厚真町

5 まとめと次回のテーマ

それでは始めていきますね。

 

 

1 なぜ4年後に取材を?

このブログでは平成30年(2018年)9月に起きた、北海道胆振東部地震を取り上げています。

 

その取材には、令和3年(2022年)7月に訪れました。

 

 

「なぜ災害の4年後に、取材をしたんですか?」

 

「今さら取材して、どうするんですか?」

 

 

そんな風に感じた方もいるかもしれません。

 

確かに、その通りです。

 

被災地の支援のためには、タイムリーに被害状況を伝え、支援の必要性を訴えなければなりません。

 

 

ただわたしは、報道関係者やジャーナリストではありません。

 

 

心理の国家資格を持つ公認心理師であり、自衛隊式で「災害の心構え」をお伝えしている、セミナー講師です。

 

 

災害の心理的な問題に対処するために、そして災害に対する心の準備の方法をお伝えする一環として、取材活動を行っています。

 

 

心理的な問題は、とてもデリケートです。

 

 

時間を置かなければ、振り返ることがでないことが、多々あります。

 

 

リアルタイムで、取り扱うことができるものばかりではありません。

 

 

そんなわけで、4年後という時期を選びました。

 

 

この取材をする上で、事前準備として

厚真町の復旧・復興とまちづくりに関するアンケート(PDF)」

 

の結果を拝見しました。

 

地震から2年後の令和2年8月に実施されたアンケートです。

 

このアンケートを拝見すると、1つの顕著な傾向が見られます。

 

それは、

山林などの自然景観

についての結果です。


このアンケートでは、被害からの復旧・復興状況を、

・田畑などの農地

山林などの自然景観

・まちなみ・住宅地の景観

・地域の経済

・まち全体の活気

・人と人とのつながり

・自身の暮らし向き

 

以上7項目について、質問しています。

 

回復状況に関する質問には

「回復している」

「概ね回復している」

「あまり回復していない」

「回復していない」

「悪くなっている」

 

の5段階で調査しています。


この質問に対して、6割の方が『山林などの自然景観』について、

「あまり回復していない」

「回復していない」

「悪くなっている」

 

と答えています。

 

地域別に見ると、北部地区では65%の方が、厚真地区では70%の方がそのように回答しています。

 

厚真町は南北に長いので、土砂災害の大きかった北部地区や厚真地区では、この傾向が強いようです。

 

 

同様に、今後の見通しへの不安では、先述の7項目に対して

「良くなると思う/不安はない」

「あまり不安はない」

「やや不安に思う」

「不安に思う」

「わからない」

 

の5段階で調査していますが、

 

5割以上の方が、『山林などの自然景観の再生』について

「やや不安に思う」

「不安に思う」

「わからない」

 

と答えています。

 

そして地域別でもやはり北部地域では70%弱、厚真地区では60%を超える方が、そのように回答しています。

 

記憶に残っている方もいらっしゃるかもしれませんが、この地震では想像を絶する大規模な土砂崩れが起きました。

 

そこでアンケート結果をを踏まえて、この土砂災害が、その後どのようになっているのか、現地を取材してみました。

 

 

2 今も残る土砂崩れの爪痕

正直な話、現地の取材をして愕然としました。

 

まだこんな状況なんだ…、と。

 

もちろん土砂は取り除かれ、道路も復旧しているので、生活を送る上では問題ありません。

 

ただ、景観としてはどうかというと…。

 

確かに復旧したとは、言い難いと感じました。

 

アンケート結果にも、うなずけます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恐らく人が活動する所を優先して、治山工事がされているんだと思います。

 

写真に撮り切れなかったのですが、丘陵地帯では四方八方に震災の爪痕がありました。

 

あれだけの大規模な土砂崩れを工事していくのは、本当に大変なことなのだと、身をもって感じました。


そして、現地の取材をしていて印象的だったのが、

「治山工事済の場所は緑があること」

 

です。

 

人間と自然の両方の力を合わせて、景観が回復していくことを、目の当たりにすることができました。

 

自然だけの力で、緑を回復するのは、とても難しいようです。

 

 

それではこのようなに、災害後手つかずになっている景観は、心理的にどのような影響があるのでしょうか。

 

 

3 心理的な影響とその対策

景観が及ぼす心理的な影響をひと言で言うと

 

地震で被害があったことを、思い出さざるを得ない」

 

これに尽きます。

 

丘陵地帯、どこへ行っても未だに茶色い山肌が見える。

 

この状況では、どうやったって地震のことを、思い出さざるを得ません。

 

当時のことを思い出してしまう方も、いらっしゃるでしょう。

 

そんなことを思い出したい人はいないはずです。

 

このような中で、普段の日常を送るのは、とても辛いことだと感じました。

 

もしかしたら

「そんなの割り切って、やっていくしかないじゃないか」

 

そう思う方もいらっしゃるかもしれません。

 

確かにそれは、一理あります。

 

 

ただ、目に入ってくる風景を、消すことはできません。

 

 

治山が済んだところならまだしも、災害後の手つかずの景観が必ず目に入ってくる。

 

 

さらに言うと、茶色の山肌って、とっても目立つんです。

 

 

気にするなという方が、無理があります。

 


仮にこれを気にしないで生活をするとすれば、

「感情を殺す」

 

これしかないと思います。

 

ただ、感情を殺しながら、普段の生活を送るのは、とても苦しいことです。

 

 

 

それでは、どうすればいいか。

 

 

 

現段階でわたしがご提案できるのは、

感謝をすること

 

です。

 

爪痕が残る、手つかずの景観を見た時に、

 

・記憶の中にある、当たり前だった風景

・災害に耐え、無事でいてくれる景観

・治山工事が済み、回復していく緑

 

これらの一見すると、「当たり前のようなこと」に対して、感謝をする。

 

不安を抱くのではなく、感謝を抱くようにする。

 

こんな方法がいいと思います。

 

 

 

災害で甚大な被害があった際には、人間はどうしても否定的な感情を抱いてしまいます。

 

その中でも「不安」は、最も強い感情の内の1つになります

 

これは人間であれば、誰もが抱く感情です。

 

それを消すことは不可能です。

 

ただその不安に囚われてしまうと、普段の生活を心地よく送ることはできません。

 

もしかしたら

 

 

前向きに生きていかなきゃ

 

ポジティブに考えないと

 

頑張らなきゃダメでしょ

 

 

そう感じる方が、いらっしゃるかもしれません。

 

もちろん、そのような気持ちも大切だと思います。

 

ただ自然災害の圧倒的な破壊力を前にしたとき、

 

「前向き」

「ポジティブ」

「頑張る」

 

という気持ちを持ち続けるには、限界があるんです。

 

 

復興には長い時間がかかります。

 

 

ゴールがどこにあるのか、誰にもわかりません。

 

 

このような状況のときに、『ずっと前向きで、ポジティブに頑張る』なんてことはできないんです。

 

 

 

 

 

そこでこのような状況のときには、

 

感謝のマインドセット

 

をおススメしています。

 

 

 

 

感謝をすると、自然と笑みがこぼれます。

 

 

「ありがとう」と言うと、肩の力が抜けます。

 

 

そして感謝のコミュニケーションは、お互いが心地よい気持ちになれます。

 

 

これが感謝のマインドセットです。

 

 

 

こんな風に、当たり前のことにも感謝をして、「ありがとう」と言葉に出して、感謝のコミュニケーションをして、心地よい気持ちで生活を送ることが、災害を乗り越えるポイントになります。

 

 

 

 

このブログでは、胆振東部地震の取材を通してお伝えしていますが、もちろん他の災害に際しても、同じことが言えます。

 

 

これは幾多もの災害現場を経験し、災害に関する文献を読み、そして今回の取材を通して、わたしがお伝えできることです。

 

 

災害は、誰の身にも起こりうることです。

 

 

今回ご紹介した感謝のマインドセットが、災害を乗り越える際の一助になれば幸いです。

 

 

 

 

 

 

なんだか、少ししんみりした感じになってしまったかもしれません。

 

このままブログを終えると、なにか厚真町の方々が、未だに災害に打ちひしがれているような感じになってしまいますね。

 

 

いえいえ、とんでもない。

 

 

取材に際に立ち寄ったところでは、皆さん笑顔でわたしを迎えてくれました。

 

そんな自然豊かで、笑顔の溢れる厚真町で立ち寄ったところを、ご紹介したいと思います。

 

 

4 〇〇が日本一の『厚真町

厚真町役場での取材は、午前中に終わりました。

 

そこで昼食は、厚真町の中心街でいただくことにしました。

 

今回ごちそうになったのは、食空間ゆるりさんです

 

北海道はラム肉が有名ですが、豚も美味しいの、うっかり忘れていました(^^;

 

 

 

そして昼食後に丘陵地帯の写真撮影に向かったんですが、至る所で「ハスカップ摘み」のノボリが。

 

 

そう。

 

 

実は厚真町は、ハスカップの作付け面積が日本一なんです!

 

 

って、ハスカップって何?って感じですかね(^n^;

 

そうですよね。

 

北海道だけでしか栽培していないので、知らないという方もいらっしゃるかもしれません。

 

ブルーベリーみたいな感じですが、別物です。

 

なんと、このハスカップ、2週間ほどしか収穫時期がないらしく、わたしが行ったときには、ちょうど収穫時期だったようです。

 

このブログを書くために調べたら、あとで知りました(ToT)

 

知ってれば絶対やってました!

 

ハスカップ、大好きなんです(^v^)

 

ああ…。次にハスカップの時期に北海道へ行けるのはいつだろう…(TnT)

 

ノボリの写真だけでも、取っておけばよかった~。

 

 

そして、レンタカー返却の帰り道に寄ったのが、浜厚真です。

 

海岸に着いた時は、雨が降っていましたが、浜に車を乗り入れている方がいました。

 

え?いいの?と感じたんですが、お話を伺ったところ、車乗入れOKで、しかもバーベキューもOKだそうです。

 

まあ、確かにこれだけ広ければ、車を乗り入れようが、バーベキューをしようが、大丈夫ですよね(^.^;

 

さすが雄大な大地を有する北海道ですね♪

 

ちなみに浜厚真海浜公園は、サーファーの聖地と言われているようです。

 

初心者から上級者まで楽しめるとのこと。

 

北海道ではメジャーなサーフィンスポットだそうです。

 

 

北海道の波を楽しめて

 

北海道の雄大な自然も楽しめて

 

北海道ならではのグルメも楽しめる

 


それが厚真町です。

 

ご興味が沸いた方は、是非観光協会のホームページをご覧ください。

 

ブログの最後にリンクを張り付けておきますね。

 

食空間ゆるり
食べログで見る
※お店の許可を得て掲載しています。

 

厚真町で食事をする

食べログで調べる

ホットペッパーで調べる

 

 

5 まとめと次回のテーマ

今回のブログでは、景観が与える心理的な影響と、その対策についてお伝えしました。

 

災害後の手つかずの場所が日常生活の中にあると、当時のことを思い出さざるを得ません。

 

「感情を殺して気にしない」

 

という方法もあるんですが、それは決して心地いいものではありません。

 

そんな時には、当たり前のように感じることにも、「ありがとう」と、感謝の気持ちを抱く、

 

感謝のマインドセット

 

がおススメです。

 

普段の生活の中でも、取り入れていただければ幸いです。

 

思わず笑みがこぼれますよ。

 

 

 


災害を乗り越えるというのは、生半可なことではありません。

 

 

当時のことを思い出して、

「つらい」

「くるしい」

「かなしい」

 

こんな気持ちになることが、あると思います。

 

人間ですから、これは仕方ないことです。

 

ただそんな時には、特別な支援に対する感謝と共に、

 

「当たり前のことに、感謝する」

 

こんな風にしていくと、本当の意味で災害を乗り越えていけると、わたしは考えます。

 

 

そして本日、令和5年9月6日で地震から丸5年です。

 

 

読売新聞のウェブニュースで、こんな記事を見かけました。


 

記事の内容は、次の通りです。

 

「道によると、被災した3町の森林の被災面積は計4293ヘクタールで、このほか崩落した土砂や樹木の堆積地が605ヘクタールある」

 

「このうち約3割の1350ヘクタールについて、倒木を整理し、植林や緑化で復旧を目指すが、残りは傾斜が急で作業が難しいため、自然回復に委ねる

 

「道は2022年度からの5年間を計画の集中対策期間と位置づけている。今年3月末時点で作業を終えたのは279ヘクタールで、被災面積全体の5・7%にとどまっている」

 

自然回復は数十年の期間を要し、26年度末時点でも再生面積は18%程度とみている」

 

「森林が崩落した傾斜地は土砂災害の危険性が高く、国は厚真川支流の4か所に砂防ダムを今年度末までに完成させる予定だ」

 

 

わたしが去年取材した限り、人の往来があるところから優先的に復旧作業が行われているように感じました。

 

取材から一年経ちましたが、恐らく人が往来できる範囲でも、未だに生々しい災害の跡が残っている箇所があると思います。

 

そして人の往来がない部分に関しては、数十年単位で向き合っていかなければならないそうです。

 

 

 

これが土砂災害の復興の現実です。

 

 

 

そして我々が直接目にすることはない被災現場にも、粘り強く向き合っていくのが、行政の担当者や、土木事業者の皆様です。

 

 

 

わたし達の知らない所で、淡々と被災現場に向き合っている皆様に、心から感謝致します。

 

 

 

ありがとうございます。

 

 

 

次回のブログでは、土砂災害から10年経った、伊豆大島の町役場の防災担当の方へのインタビューについてお伝えします。

 

是非ご覧ください。

 

 

参考資料
1 厚真町・安平町・むかわ町平成30年北海道胆振東部地震記録誌(PDF) 
2 北海道厚真町HP「厚真町の復旧・復興とまちづくりに関するアンケート(PDF)
3 厚真町観光協会HP 「厚真町震災学習プログラム
4 北海道胆振東部地震5年、森林再生6%どまり…土砂災害や漁場への影響懸念 : 読売新聞

 

※令和6年2月28日:ブログの冒頭に「概要」を追加し、内容を校正しました。

 

 

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陸上自衛隊に15年勤務。レンジャー隊員。公認心理師産業カウンセラー

 

在職時は、年200件以上の面談に対応するカウンセラーの任務を行うと共に、隊員に対して災害派遣の心構え」を教育をしていました。

 

そんな自衛隊での教育や、自身の災害派遣の経験をアレンジして、現在は一般向けに「災害の心構え」をお伝えするセミナー講師。

 

 

『どんな災害も乗り越える』

 

その心構えを”自衛隊式”でレクチャーしています。

 

 

このブログでは、防災のこと、身心の健康、そしてちょっとだけ自衛隊の話を綴っています。

 

自衛隊での経験やセラピストとして学んだことが、皆様のお役に立てば幸いです。

ブログの更新は毎週水曜日。

 

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最後までご覧いただきありがとうございました。感謝です。

 

平成30年北海道胆振東部地震

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【毒ガスのCBRNE災害】オウム真理教による地下鉄サリン事件

令和5年3月15日

28年前に起きた地下鉄サリン事件。猛毒のサリンによる毒ガステロでした。そんな毒ガスに立ち向かった方々の懸命な活動と、現在の事件現場についてお伝えします。是非ご覧ください。

お疲れ様です。自衛隊卒セラピストの岡田凰里(おかだおうり)です。ブログを読んで頂いてありがとうございます。

 

 

3月も中旬になりました。

 

だいぶ暖かくなってきましたね。

 

ところで今年の花粉は本当につらいですね(*n*;)

 

ここ10年間で一番の飛散量らしいんですが、目に来るのがこんなにつらいとは…(ToT)

 

毎年鼻だけだったので、なんとか耐えていましたが、今後は目の対策もちょっと考えたいと思います。

 

 

新型コロナ感染症対策については、3月13日からマスク着用は個人の判断になりましたね。

 

わたしは花粉症なのでマスクは手放せませんが、自分も周りも不安にならない感じで着用していけるといいですね。

 

 

前回のブログでは、神戸の街の今の様子をお伝えしました。

 

28年経った今の神戸の街で、震災の爪痕を感じることはありませんでした。

 

そんな中でも、石碑やモニュメント、研修施設で、災害の歴史を語り継いでいました。

 

そして歴史を学ぶと

「人間には、災害を乗り越える力が必ずある」

 

そんな力強いメッセージを、受け取ることができます。

 

どんな災害が起きても、その力を信じて乗り越えていければと思います。

 

 

さて、今回のブログはオウム真理教による地下鉄サリン事件についてお伝えします。

 

阪神淡路大震災は、1995年の1月に発災しました。

 

そして地下鉄サリン事件が発生したのは、1995年の3月です。

 

同じ年の同じ時期に、凄惨な災害が起きました。

 

災害というと「自然災害」のイメージが強いかもしれませんが、毒ガスなどでの被害を、CBRNE災害といいます。

 

CBRNE災害については、去年の12月のブログで解説しています。

 

ブログの最後にリンクをつけておきますので、詳しく知りたい方はそちらをご覧ください。

 

今週のブログでは世界的に見ても前例のない、都市部での化学兵器テロである、地下鉄サリン事件についてお伝えします。

 

 

今回ブログは以下の内容になっています。

1 地下鉄サリン事件とは

2 毒ガス「サリン」の脅威

3 霞が関駅の今

4 サリンに立ち向かった方々

5 まとめと次回のテーマ

それでは始めていきますね♪

 

 

地下鉄サリン事件は、1995年(平成7年)3月20日(月)の午前8時頃に起きた事件です。

 

東京都心の地下鉄の3路線5本の電車に、猛毒のガスサリンが撒かれ、通勤客や駅員の方など13名が死亡、5,800名以上の重軽傷者を出しました。


この事件を主導したのが「オウム真理教」で、教祖は麻原彰晃こと松本智津夫です。

 

ヨガ・サークル「オウム神仙の会」を母体としており、当初はヨガサークルとして勧誘活動をしていたそうです。

 

当時のわたしは学生でしたが、学校の卒業式から自宅に帰った後、テレビが大騒ぎになっていたことを覚えています。

 

そしてちょうど春休みだったので、テレビでオウム真理教の特集や、教団の広報担当者がテレビに出演してしていたのを見ていました。

 

教団内での修行の様子や、教祖の麻原が選挙に出馬した時の選挙活動がワイドショーで繰り返し報道されていました。

 

 

恥ずかしながらこの事件について調べるまで、地下鉄日比谷線、千代田線、丸ノ内線の3路線、そして5本の電車にサリンが撒かれていたことを知りませんでした。

 

東京の官公庁の中枢である霞ヶ関駅で、被害があった影響でしょうか。

 

霞ヶ関駅で事件があったというイメージが強く、他の電車のことはうかがい知ることができませんでした。

 

営団地下鉄東京メトロの前身)の職員が犠牲になったのが、霞が関駅だったのも影響していたのかもしれません。

 

 

当時30代前後の青年男女を中心に、約1万人前後の狂信的な信者がいると言われていた、オウム真理教

 

平成元年に東京都から、宗教法人として認可されていました。

 

しかし宗教法人として認可されていながら、様々な犯罪行為の疑いが欠けられていました。

 

入信した子供たちを救済するために弁護活動をしていた、坂本弁護士一家3人の拉致殺害事件

 

品川区の公証役場事務局長の拉致事件

 

さらに細菌・毒ガス・武器の研究や調達をして武装集団化し、山梨県上九一色村の教団施設で、サリンの製造を開始したとの疑いがあったそうです。

 

そしてこれらの一連の事件解決を図るために、捜査当局が上九一色村の教団施設の立ち入り調査を予定していました。

 

ただその捜査情報を察知した教団は、その捜査をかく乱する意図で、地下鉄に猛毒サリンを撒くという凶悪な事件を引き起こしました。

 

 

2 毒ガス「サリン」の脅威

わたしは元陸上自衛官

 

実は陸上自衛官であれば、地下鉄サリン事件のことを知らなくても、「サリン」という毒ガスのことは必ず知っています。

 

『対特殊武器戦』で毒ガス攻撃のことを習うからです。

 

対特殊武器というのは、

・核 (Nuclear)
・生物 (Biological)
・化学 (Chemical)

 

による武器を指します。

 

「NBC攻撃」に対処する、なんて感じで習いました。

 

ただ、現在はNBCとは言わず、「CBRNE(シーバーン)」と呼んでいます。

 

今回のブログの題にもある「CBRNE(シーバーン)」は

・化学 (Chemical)
・生物 (Biological)
放射性物質 (Radiological)
・核 (Nuclear)
・爆発物 (Explosive)

 

5つです。

 

自衛隊でもCBRNE攻撃と言っていますが、わたしが習った時代はNBC攻撃と言っていました。

 

その中の化学兵器として、毒ガスがあります。

 

毒ガスはたくさんの種類があるそうですが、サリンは神経剤と呼ばれる毒ガスです。

 

タブン、ソマン、サリンは神経剤の毒ガスとしてワンセットで覚えています。

 

もちろんその対処法も習います。

 

 

サリンの恐ろしいところは、その致死性の高さです。

 

たった目薬一滴分のサリンが、皮膚に付着した場合でも死に至る可能性があるほどの毒性があります。

 

そして死に至らなかった場合でも、その後遺症は続きます。

 

神経に作用する毒や病気の特徴なのでしょうか。

 

ガスを吸って汚染されてしまうと、見た目に変化があります。

 

以前のブログでお伝えしたハンセン病も、神経に作用する病気でしたが、進行すると罹患者の見た目が変わるという特徴がありました。

 

もしご興味のある方は、「地下鉄サリン事件 後遺症 写真」で検索してみて下さい。

 

サリンの後遺症に苦しんでいる、被害者の写真が出てきます。

 

ブログの最後に、コピーボタンをつけておきますね。

 

 

このように恐ろしい毒性から、1992年に国連第47総会において「化学兵器の開発、生産、貯蔵及び使用の禁止並びに廃棄に関する条約」(化学兵器禁止条約)が採択されています。

 

日本も1993年1月に同条約に署名、1995年4月に国会承認され、1995年9月に批准、1997年に公布・発行されています。

 

 

今回のこのブログを綴るにあたって、被害のあった駅の1つの東京メトロ千代田線の霞ヶ関駅に行ってみました。

 

 

3 霞が関駅の今

地下鉄サリン事件は28年前。

 

当たり前のことかもしれませんが、事件の爪痕は全くありませんでした。

 

何事もなかったように時間が流れていました。

 

霞ヶ関駅は、被害のあった千代田線、日比谷線丸ノ内線が交差する駅です。

 

実は霞ヶ関駅を取材したのには、理由があります。

 

それはこの事件で犠牲になられた営団地下鉄の職員の方の、顕彰板があるからです。

 

 

2人の職員の方の懸命な処理のお陰で、霞ヶ関駅ではこの2人以外には死者は出ませんでした。

 

2名の殉職者を出した東京メトロでは、毎年霞ヶ関駅にて追悼式を行っているそうです。

 

本当に理不尽な事件だと思います。

 

犠牲になられた方、後遺症に苦しんでいる方、そしてご遺族の方のお気持ちは、察しても察しきることはできません。

 

 

心からお悔やみ申し上げます。

 

 

そして忘れてはいけないのは、この地下鉄サリン事件に立ち向かった方々の存在です。

 

 

4 サリンに立ち向かった方々

人為的に合成しない限り発生しない、猛毒サリン

 

 

この理不尽で、決して許されない犯罪行為に対して、立ち向かった方々がいます。

 

 

霞が関駅の職員の方のように、サリンの入った袋を直接処理した方

 

 

異変の原因に気づいて、サリンの袋を電車の外にけりだした乗客の方

 

 

病院への搬送に協力した、民間企業の方

 

 

そして事件発生の通報を受けた、東京消防庁の消防隊員

 

 

消防隊員は1364名の方々が命懸けの救助を行い、135名の方が、サリンによって受傷しています。

 

 

さらに、災害派遣命令を受けて、除染活動を行った陸上自衛隊自衛官

 

 

第32普通科連隊と化学科部隊の除染活動は、事件発生の翌日の21日には終了しています。

 

 

そして実は陸上自衛隊では、警察からの依頼で、事件前日の3月19日に警察の機動隊員に対して、サリンを中心とした神経剤の教育をしていたそうです。

 

 

捜査が進む中で、オウム真理教に対する疑念を深めた警察は、強制捜査を念頭に、陸上自衛隊から教育を受けていたんです。

 

 

残念ながら事件の発生を未然に防ぐことはできませんでしたが、その後警察官が上九一色村の教団施設に強制捜査に入っています。

 

 

 

このように理不尽で悲惨な事件に立ち向かった方々のお陰で、オウム真理教に関する様々な事件は、収束していくことになります。

 

 

 

ただ事件が収束しても、被害者やご遺族の悲しみや苦しみは消えることはありません。

 

 

 

CBRNE災害の厄介なところは、物理的な復興と心理的な回復が乖離することです。

 

 

 

それはもちろん、この事件に立ち向かった公安関係の職務の方も同じです。

 

 

 

公安関係の方々も、同じ人間です。

 

 

 

このような理不尽で悲惨な事件に立ち向かった際には、さすがに心理的な悪影響があるんです。

 

 

 

危険を承知で立ち向かった方々に対し、感謝を捧げたいと思います。

 

 

 

ありがとうございます。

 

 

5 まとめと次回のテーマ

今回のブログでは、オウム真理教が引き起こしたCBRNE災害、地下鉄サリン事件についてお伝えしました。

 

このような理不尽で悲惨な事件が、二度と起こらないよう祈るとともに、このブログが安心安全な社会を築く一助になれれば幸いです。

 

なお、公安調査庁のHPでは、令和5年3月10日にオウム真理教に関するページを更新しています。

 

ご興味のある方はご覧ください。

 

事件当時の様子の写真、そして被害者の手記がご覧になれます。

 

ブログの最後にリンクを貼っておきます。

 

 

まもなく事件発生から数えて、28回目の3月20日を迎えます。

 

当日には事件の犠牲者、被害者、ご遺族に哀悼の意を捧げていただければと思います。

 

そしてこの事件に立ち向かった方々の存在を、心の片隅で構いませんので、留めておいてください。

 

社会の安全を守ってくれている、公安関係のお仕事をされている皆様に、心から感謝いたします。

 

ありがとうございます。

 

 

 

次回のブログでは、1年間続けている体重計測のまとめについてお伝えします。

 

是非ご覧ください。

 

 

地下鉄サリン事件 後遺症 写真」をコピー

 

CBRNE災害についてのブログ

 

参考文献
1 地下鉄サリン事件戦記 福山隆著 光人社 2009年5月
2 暗くなった朝3.20地下鉄サリン事件 中澤昭著 近代消防社 2005年3月
3 ここにいること 地下鉄サリン事件の遺族として 高橋シズヱ著 岩波書店 2008年3月
4 それでも生きていく 地下鉄サリン事件被害者手記集 地下鉄サリン事件被害者の会著 サンマーク出版 1998年3月

 

参考資料
1 公安調査庁HP「オウム真理教
2 警察庁HP「未曽有のテロ~オウム真理教事件の爪痕
3 JーSTAGE HP「化学兵器の毒作用と治療
4 ウィキペディアHP「地下鉄サリン事件
5 OpenAI HP「ChatGPT
6 経済産業省HP「化学兵器禁止条約の概要

 

今週の体重

先週59.0㎏⇒今週60.6㎏

 

体重をアップする理由
【頑張らないダイエット③】 お手軽にも程がある!"超時短"筋トレ法

 

※令和6年3月8日:ブログの冒頭に「概要」を追加し、内容を校正しました。

 

 

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【震災から28年後の街を巡る】神戸の街の今と語り継がれる歴史

令和5年3月8日

被災後、一歩一歩進んでいく復興活動。その道のりはたやすいものではありません。ただ人には、「災害も乗り越えていく力」があります。28年後の被災地の今をお伝えします。是非ご覧ください。

お疲れ様です。自衛隊卒セラピストの岡田凰里(おかだおうり)です。ブログを読んで頂いてありがとうございます。

 

 

3月は毎年花粉に悩まされるわたしですが、今年の花粉はすごいですね(T.T)

 

例年は鼻がツラいだけなんですが、今年は目にも来ました…。

 

ま、時間が解決してくれるので、のんびり季節が変わるのを待とうと思います(^^;

 

 

いよいよ来週から、マスク着用は個人の判断になりますね。

 

わたしは毎年この季節は、マスクが手放せませんが…(^n^;

 

これまでずっと感染対策でマスクを着けていたので、外すのも勇気がいるかもしれません。

 

うがい、手洗いを継続しつつ、不安が和らいできたらマスクを外すという感じになるかと思います。

 

 

前回のブログでは、「人と防災未来センター(人防)」についてお伝えしました。

 

人防は阪神淡路大震災を、語り継ぐための施設です。

 

そして防災について、総合的に学べる施設でもありました。

 

凄惨な被害を映像などで学べる施設ですので、災害を学びたい方にはおススメなんですが、少し注意点がありました。

 

大規模災害に被災に被災した経験のある方には、あまりおススメはしません。

 

思い出したくないことを、思い出してしまうかなと。

 

もう少し具体的に理由を知りたい方は、前回のブログをご覧ください。

 

 

さて、今回は震災から28年後の神戸の街並みをお届けするんですが、ご覧いただく前にお伝えしておきたいことが1つあります。

 

 

今回のブログでは、今の神戸の街の状態と、被災後の神戸の街を比べるために、震災直後の写真を掲示しています。

 

 

もし、そのような写真をご覧になりたくない場合には、大変恐縮ではありますが、このブログの閲覧をお控えください。

 

 

今回のブログは以下の内容でお届けします。

1 震災半年後の淡路島に赴いて

2 語り継がれる被災の歴史

3 震災直後と今の街並み

4 28年後の街を巡ってみて

5 まとめと次回のテーマ

それでは始めていきますね♪

 

 

1 震災半年後の淡路島に赴いて

わたくしごとで大変恐縮ですが、わたしの実家の墓は淡路島にあります。

 

わたしの「岡田」という名字は、関西由来なんですよね。

 

そして阪神淡路大震災があるまで、墓が淡路島にあるのを知りませんでした(^.^;

 

関西にはもう誰も親戚がいませんので、遠いということもあり行っていなかったんだと思います。

 

阪神淡路大震災では、神戸はもちろん淡路島でも震度7が観測されて、被災しました。

 

そこで震災から半年ほど経った夏休みに、親と墓の様子を見に、淡路島に行くことになったんです。

 

当時はまだ明石海峡大橋はありませんので、できたばかりの関西空港へ到着後、フェリーで淡路島に。

 

民宿で一泊して、翌日お寺に伺いました。

 

28年前の遠い記憶なのですが、墓石は倒れ、寺は完全に傾いていました。

 

それ以上お寺が傾かないように、棒で支えていたのを覚えています。

 

実はこのブログを書くにあたって、わたし自身が被災半年後の淡路島に行ったことがあるのを思い出しました。

 

 

そういえば、そうだった…と(^^;

 

 

実際に傾いたお寺を見たものの、実際にわたし自身が被災したわけではなかったので、現実感が沸かないという感じでした。

 

きっと若かったせいも、あったと思います。

 

ただ災害というのは、やっぱり自分が実際に経験しないと、どうしても現実感が沸かないものなんです。

 

ですので災害に備えるためには、先人の経験を学ぶしかありません。

 

そのためにもその貴重な経験を、語り継いでいく必要があります。

 

 

2 語り継がれる被災の歴史

先月のブログでお伝えしましたが、1月の取材で兵庫県の西宮~神戸の街をジョギングしました。

 

ジョギングで街並みを見ながら、地元ならではの神社を巡ったんです。

 

巡った神社には、震災からの復興を記念した石碑が建てられていました。

 

こういった石碑で、凄惨な災害があったことが語り継がれています。

 

 

 

神社の境内に、このような石碑があれば、歴史を語り継ぐことができます。

 

 

そして取材の旅で宿泊した、阪神電車西宮駅前の商店街には、発災の時間で止まった時計のモニュメントがありました。

 

 

このようにして、あの凄惨な震災を語り継いでいます。

 

もしかしたらこのような石碑やモニュメントがあることで、嫌なことを思い出してしまう部分もあるかもしれません。

 

それでも、このように語り継ぐことで、

「たとえ被災したとしても、人間には災害を乗り越える力がある」

 

そんな力強いメッセージと教訓を、見た人に授けてくれます。

 

 

3 今の街並みと震災直後

それでは今の街並みと、震災直後の街並みをご覧いただこうと思います。

 

全く同じ場所とまではいきませんが、同じ地区の写真を掲載しています。

 

まずは、先週ご紹介した"人と防災未来センター"がある、海岸通りの様子です。

 

現在の様子はこちら

 

震災後の様子

 

次に保久良神社から下って、神戸市東灘区の岡本駅付近です。

 

現在の様子

 

東灘区の震災後の様子

 

 

 

 


以前のブログでお伝えしましたが、建築基準法震度6強~7まで耐えうるように設計するように法改正されたのが、1981年6月。

 

発災時は1995年ですので、旧耐震基準で建てられた建物が、まだたくさんあったと思います。

 

旧耐震基準では震度5強程度の揺れに耐えうるように、という基準です。

 

 

阪神淡路大震災の最大震度は7

 

 

倒壊する家屋が多かったのも、やむを得なかったんだと思います。

 

そしてわたしの後輩の奥様が、実際に被災されているんですが

「新築の家が倒壊して、その前で呆然と立ち尽くす友人の姿が忘れられない…」

 

そんなお話も伺いました。

 

場所によっては、新基準で建てた建物でさえも、その揺れに耐えきれないほどの地震だったということです。

 

 

 

写真をご覧いただいて、いかがでしたか?

 

写真だけ見ても、辛いお気持ちになった方もいらっしゃるかもしれません。

 

実際に被災された方のショックは、想像することすら難しいです。

 

ただこれほどの被害があっても、今の神戸の街は復興しています。

 

 

そうです。

 

 

人間には災害を乗り越える力が、必ずあるんです。

 

 

それを今の神戸の街が、証明してくれています。

 

 

4 28年後の街を巡ってみて

今回の取材で、西宮から神戸の街をジョギングしました。

 

駅周辺や繁華街もジョグしたんですが、地元の方がお住まいの住宅街もジョギングしてみました。

 

現在の神戸近傍の街並みを見て、わたしの見た範囲では災害の爪痕は一切ありませんでした。

 

 

震災は28年前。

 

 

今の若い方が、現在の街並みを見た時に、

「28年前に神戸で大震災があった」

 

と言われても、にわかに信じ難いかもしれません。

 

それほど今の街並みは、何事もなかったように時間が流れていました。

 

わたしは昔から神戸に旅行に行くことがよくありましたが、震災後から10年経った神戸でも、震災の爪痕は見つけられなかったように記憶しています。

 

 

「災害は忘れた頃にやってくる」

 

 

なんて言葉がありますが、今の神戸の街を見てしまうと、語り継がなければ、間違いなくその記憶は風化することでしょう。

 

だからこそ石碑や、モニュメント、そして研修施設が必要なんだと思います。

 

 

「災害の備えと復興の意志を語り継ぐ」

 

 

神戸と西宮の素敵な街をジョギングしながら、その大切さをつくづく感じました。

 

 

5 まとめと次回のテーマ

今回のブログでは神戸近傍の今の街並みと、語り継がれている震災の記憶をお伝えしました。

 

そして、震災後の神戸の街の写真も、ご覧いただきました。

 

ショッキングな写真だったかもしれません。

 

ただ災害の現実と

人間には災害を乗り越える力が必ずある

 

このことをお伝えするために、ご紹介しました。

 

 

このブログが、災害の学びと準備の一助になれば幸いです。

 

 

ここで1つ、お伝えしておきたいことがあります。

 

災害の学びを深めたり、防災準備をする上で、実体験を聞くのはとてもためになります。

 

わたし自身、災害の「心構え」のセミナーをしていますので、仕事柄、災害の実体験のお話を伺う機会があります。

 

 

ただ災害の体験は、人それぞれ想いが違います。

 

 

話したいという方もいれば、そうでない方もいらっしゃいます。

 

 

ですので、もし災害の体験談を伺う機会があった際は、話してくれる方のお気持ちを尊重するようにしてくださいね。

 

自分の好奇心だけで、伺うような類のものではないことを、心に留めておいていただければと思います。

 

 

 

次回のブログでは、毒ガスによるCBRNE災害「地下鉄サリン事件」についてお伝えします。

 

是非ご覧ください。

 

 

参考資料

1 阪神・淡路大震災「1.17の記録」

2 国土交通省HP

3 LIFULL HOME`S HP

 

今週の体重

先週59.6㎏⇒今週59.0㎏

 

体重をアップする理由
【頑張らないダイエット③】 お手軽にも程がある!"超時短"筋トレ法

 

※令和6年3月8日:ブログの冒頭に「概要」を追加し、内容を校正しました。

 

 

≪前回のブログ  -  次のブログ≫

 

 

陸上自衛隊に15年勤務。レンジャー隊員。公認心理師産業カウンセラー

 

在職時は、年200件以上の面談に対応するカウンセラーの任務を行うと共に、隊員に対して災害派遣の心構え」を教育をしていました。

 

そんな自衛隊での教育や、自身の災害派遣の経験をアレンジして、現在は一般向けに「災害の心構え」をお伝えするセミナー講師。

 

 

『どんな災害も乗り越える』

 

その心構えを”自衛隊式”でレクチャーしています。

 

 

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【4半世紀前の凄惨な災害】人と防災未来センターを研修してきました

令和5年3月1日

28年前に起きた『阪神淡路大震災』。その教訓を後世に残すために設立された、「人と防災未来センター」を研修してきました。防災対策の転換点となった災害を、研修施設と共に解説します。是非ご覧ください。

お疲れ様です。自衛隊卒セラピストの岡田凰里(おかだおうり)です。ブログを読んで頂いてありがとうございます。

 

3月に入りました。

 

花粉症の皆様には、辛い時期になりましたね(^^;

 

わたしも漏れなく花粉症です。

 

ただ鼻だけなので、まぁなんとか。

 

目にも来る方は、ホント辛いですよね(ToT;

 

わたしはしばらくマスクが手放せません。

 

新型コロナウイルス感染症については、3月13日からマスク着用は、屋内外を問わず個人の判断に委ねるという方針が決定されています。

 

ただ、場合によってはマスク着用が推奨される場面もあるそうです。

 

もうしばらくは、うがい、手洗い、マスクは継続して、感染予防をしていきましょう。

 

 

さて、今月のブログのテーマは

『4半世紀前の凄惨な災害』

 

です。

 

28年前の平成7年に起きた災害をテーマにお伝えします。

 

その災害とは、

 

 

阪神淡路大震災

 

地下鉄サリン事件

 

 

同じ年の同時期に発生した、自然災害とCBRNE災害。

 

わたしは被災はしていませんが、当時メディアでは盛んに報道されていました。

 

4半世紀前もの災害になりますが、災害史上で転換点となっていますので、取り上げたいと思います。

 

 

今月のブログは、ご覧のとおり防災をテーマにしています。

 

 

まずは先月2月6日にトルコ南東部にて発生した、M7.8の地震、およびその余震等の犠牲になられた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

 

そして被災された皆様に、お見舞い申し上げます。

 

復興への道のりは決して短いものではありませんが、生きのびた皆様には、災害を乗り越える力が必ずあります。

 

遠い日本からではありますが、皆様のその力を信じています。

 

 

 

先月のブログでは、関西の取材の旅についてお伝えしました。

 

関西の神社やグルメスポットをご紹介しましたが、実は一番の目的は「人と防災未来センター(通称:人防)」の研修だったんです。

 

人と防災未来センター阪神淡路大震災をきっかけに作られた、防災を学ぶ研修施設です。

 

以前から行きたいと思っていたんですが、コロナでなかなかタイミングが合わなくて…。

 

お正月休みに、ようやく行くことができました。

 

そこで、今回のブログでは阪神淡路大震災を振り返りながら、人と防災未来センター(以下「人防」と表記)をご紹介したいと思います。

 

 

ブログは以下の内容でお届けします。

1 阪神淡路大震災とは

2 災害メンタルヘルスの転換点

3 防災総合研修施設『人防』

4 人防研修の注意点

5 まとめと次回のテーマ

それでは始めていきますね♪

 

 

1 阪神淡路大震災とは

阪神淡路大震災は平成7年1月17日の朝5時46分に起きた、M7.3の地震です。

 

最大震度は7

 

死者数6,434名、行方不明者3名、負傷者数43,792名という、その当時では戦後最悪の深刻な被害をもたらした災害です。

 

わたしは義務教育中でしたが、記憶にはしっかり残っています。

 

ただ現実感は薄く、なにか遠い場所の出来事という感じでした。

 

当時は東京に住んでいましたので、関西は遠い場所だと感じていました。

 

日常生活の中で、阪神淡路大震災のことを気にすることもなく、過ごしていました。

 

 

再度この震災について考えることになったのは、陸上自衛隊に入った後のことです。

 

 

先輩から、阪神淡路大震災の教訓を聞くことが、よくあったんです。

 

 

経験者は語るじゃないですが、やはり災害派遣のことは実体験がある方から話を聞くしかないんです。

 

 

そういった体験談の中から、どんな準備をしたり、どんな事に気をつけなければならないかを学んでいきます。

 

 

そして、自分自身が災害派遣に行ったときに、現実を目の当たりにしながら、教わったことを元に対応していく。

 

 

その繰り返しでした。

 

 

ただこれは、わたしが陸上自衛官だったからできたことです。

 

 

他の仕事についていたら、災害のことを学ぶ機会はほぼありません。

 

 

そんな学ぶのが難しい災害を、総合的に学ぶことができるのが、今回研修に行った

人と防災未来センター

 

です。

 

 

このセンターは、震災から7年後の平成14年(2002年)に兵庫県によって設置されました。

 

震災の経験を語りつぎ、その教訓を未来に生かすことを通じて、安心安全な市民協働・減災社会の実現に貢献することを使命としています。

 

阪神淡路大震災の特徴は、人口が密集する市街地で、直下型の大地震が起きたことです。

 

それにより大勢の方が犠牲になり、怪我をされました。

 

住居や商業施設、交通機関地震の被害に遭いました。

 

そしてこの特徴と現実が、被災者の心に大きな影響を及ぼしました。

 

 

2 災害メンタルヘルスの転換点

被災したものの、難を逃れた方々は、この大地震の被害の現実を目の当たりにすることになりました。

 

 

家屋の倒壊…

 

火災の発生…

 

犠牲者の救助…

 

 

挙げたらきりがありません。

 

 

このような現実を目の当たりにしたときに受けるストレスのことを、非常事態時ストレス(Critical Incident Stress)と言います。

 

 

この非常事態時のストレスを、神戸近傍に在住の100万人以上もの人が負うことになりました。

 

 

そして、そのストレスが強い時には、心に傷を負うことになります。

 

 

この心の傷のこと心理学の用語では、「心的外傷」と呼びます。

 

 

心的外傷の深さは、受けたストレスの強弱によって違いますが、その中でPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされる方もいました。

 

 

ただ実際被災した際に、PTSDとまで診断される方は、決して多いわけではありません。

 

 

しかし、阪神淡路大震災では他の災害にはない、次の様な特徴がありました。

・犠牲者、負傷者が多数いること

・市街地の被害が凄惨だったこと

・その現場を目の当たりにした方が多数いたこと

 

 

このような条件下では、PTSDに悩まされる方が多くなるのも、当然の結果と言えます。

 

 

そして、阪神淡路大震災以降は、『心のケア』という言葉がよく使われるようになります。

 

 

実際に兵庫県は、平成16年に「こころのケアセンター」も設置しています。

 

 

それだけ、心のケアが必要な方が多かったんだと思います。

 

 

そして阪神淡路大震災で注目された非常事態時ストレスは、東日本大震災以降『惨事ストレス』という、日本独自の表現で広く使われるようになりました。

 

 

態を

"見た"

"聞いた"

"味わった"

 

 

このような時のストレスのことを『惨事ストレス』と呼んでいます。

 


現在では災害時のメンタルヘルスケアは、当たり前のように行われていますが、実は阪神淡路大震災が、そのようなことを積極的に行う転換点になっています。

 

 

心理的な影響は、被災後も長く続くのが特徴です。

 

 

その影響を少なくするには、災害について学ぶことがどうしても必要になります。

 

 

そして、災害に備えることも必要です。

 

 

今回研修した人と防災未来センター(人防)は、その両方が学べる施設になっています。

 

 

3 防災総合研修施設『人防』

今回人防を研修してみて、人防は防災について総合的に学べる施設だと感じました。

 

阪神淡路大震災の現実、災害発生のしくみ、防災グッズ…

 

このような展示を研修することができました。

 

施設の西館は撮影できる場所がありましたので、皆さんにご紹介しますね。

 

まずは人防の建物です。

 

 

 

 

次の資料は印象的でした。世界で観測される自然災害は増えていますが、死者数は減っています。

 

対策が進んでいるということでしょうか。

 

データの細かい分析をしていないのでわかりませんが、この資料はそのようなことを伝えたいのかなと感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


すべてを研修しようと思うと、半日はゆうにかかると思います。

 

そして、すごく疲れると思います。

 

災害に向き合うのは、精神的な体力を使うものなんです。

 

時間と心に余裕を持って、研修に行ってくださいね☆

 

 

4 人防研修の注意点

研修施設はいかがでしたでしょうか。

 

発災当時、わたしはまだ義務教育中。

 

地震が起こったのは知っていましたが、報道で地震のことを見る時間はあまりありませんでした。

 

今のように情報メディアも発達していませんでしたので、テレビと新聞しか情報源はありません。

 

当時のことは記憶していますが、あくまで伝聞。

 

現実を知りませんでした。

 

今回の研修で、当時どのようなことがあったのか、現実を知ることができました。

 


ただ研修に当たって、ちょっと注意点をお伝えしておきたいと思うんです。


実は人防は、東館と西館に分かれています。


写真で紹介したのは西館です。


事前に確認して、許可された範囲で撮影をしました。

 

それに対し東館は撮影は許可されていません。

東館は、映像やオブジェ、音響設備によって当時の状況を再現した体験型の施設になっています。

 

 

本当にリアルでした。

 

 

 

 

わたしは元自衛官

 

 

 

 

災害派遣に何度も携わって、現場も何度も見ています。

 

 

そんな人間でも、心に来るものがありました。

 

 

そして、一緒に東館を研修していた若い男性の方は、泣いていました。

 

 

声をあげることを我慢できなかったようで、

「ウッ、ウッ、ウッ」

 

 

と、嗚咽が聞こえてきました。

 

 

一緒に映像を見ていて、その気持ちは痛いほどわかりました。

 

 

わたしも災害派遣の経験がなければ、たぶん泣いていたと思います。

 

 

ですので実際にご自身が、大規模災害に被災した経験がある方は、東館の映像体験型施設はあまりお勧めしません。

 

 

被災の経験がある方は、思い出したくないことを無理に思い出すことになってしまうと思います。

 

 

東館は災害の経験がなく、災害の恐ろしさを具体的にイメージするのが難しい方に向けた内容なのかなと感じました。

 

 

ただ西館にも、災害の写真や映像資料がたくさんあります。

 

 

被災を機に、災害について学び始めた方というもいらっしゃるかもしれませんが、人防は無理をして行くところではないと思います。

 

 

ご自身の経験と、学びの段階を踏まえて研修するようにしてくださいね。

 

 

5 まとめと次回のテーマ

今回のブログでは、4半世紀前に発生した阪神淡路大震災の教訓を元に設立された、人と防災未来センターについてお伝えしました。

 

 

当時において、戦後最悪の被害が出た自然災害。

 

 

その衝撃は、筆舌に尽くしがたいものだったと思います。

 

だからこそ、その記憶を風化させないためにも、このような施設の設立が必要だったんだと思います。

 

ただ、研修に当たっては少し注意してくださいね。

 

気軽に行くようなところではないかなと、わたしは感じました。

 

『学びたい』という気持ちがないと、ちょっと難しいと思います。

 

 

災害についてしっかり学びたい

 

被災の経験が全くない

 

いざという時の準備をしておきたい

 

 

そんな方は、是非人防へ。

 

 

「災害の凄惨さ」と「準備の大切さ」を体験できて、学びが深まる1日になりますよ。

 

 



次回のブログでは、災害から4半世紀後の神戸の街についてお伝えします。

 

是非ご覧ください。

 

※館内撮影は「人と防災未来センター西館」のみで、事前及び来館時にスタッフに確認し、許可された範囲で撮影しています。

※令和6年3月8日:ブログの冒頭に「概要」を追加し、内容を校正しました。

 

参考資料

1 内閣府HP「阪神・淡路大震災教訓情報資料集

2 内閣府HP「令和4年版 防災白書

3 人と防災未来センターHP

4 兵庫県こころのケアセンターHP

 

今週の体重

先週57.5㎏⇒今週59.6㎏

 

体重をアップする理由
【頑張らないダイエット③】 お手軽にも程がある!"超時短"筋トレ法

 

 

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在職時は、年200件以上の面談に対応するカウンセラーの任務を行うと共に、隊員に対して災害派遣の心構え」を教育をしていました。

 

そんな自衛隊での教育や、自身の災害派遣の経験をアレンジして、現在は一般向けに「災害の心構え」をお伝えするセミナー講師。

 

 

『どんな災害も乗り越える』

 

その心構えを”自衛隊式”でレクチャーしています。

 

 

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【コロナ禍を心理学で振り返る③】CBRNE災害と惨事ストレス

令和4年12月21日

あまり聞きなれない単語の「CBRNE災害」。このコロナ禍は、Biological災害と考えられます。災害特有のストレス「惨事ストレス」の対処法と共に、このコロナ禍を振り返ります。是非ご覧ください。

お疲れ様です。自衛隊卒セラピストの岡田凰里(おかだおうり)です。ブログを読んで頂いてありがとうございます。

 

 

今年も残すところあと10日ほどになりました。

 

買い物に行くと、お正月飾りが目に付くようになりました。

 

そろそろカウントダウンに入るころですね。

 

 

新型コロナウイルスについては、感染者がまた増加傾向にあります。

 

マスク、うがい、手洗いを継続して、健やかな年末年始を迎えましょう。

 

 

さて、今月のブログのテーマは

『コロナ禍を心理学で振り返る』

 

です。

 

前回のブログでは、医療従事者差別についてお伝えしました。

 

社会心理学的な観点から、「傍観者効果」という人間の特性をご説明しました。

 

人間があながうことが難しい、社会心理があるんでしたね。

 

そしてコロナ禍のような非常事態の時には、社会心理として「差別が必ず起きる」こともお伝えしました。

 

社会的に増幅された恐怖と不安によって、どうしてもそういうことが起こってしまいます。

 

ただそんな時には、「許して諭す」ことで恐怖と不安を和らげるメッセージを発信することが有効です。

 

そして、医療従事者の皆様に「ありがとう」と感謝の言葉を伝えて、頭を下げる。

 

これで、恐怖と不安が和らいで、生き抜く勇気が湧いてくるんでしたね。

 

こんな風にして、コロナ禍を乗り越えていきましょう。

 

 

ところでコロナ禍という非常事態。

 

これって災害なの?

 

と疑問に思っている方がいらっしゃると思います。

 

結論から申し上げると、

 

災害ではない

 

と、現在は取り扱っているようです。

 

ただ、医療・公安関係機関は、特殊な災害である「CBRNE(シーバーン)災害」として認識しているようです。

 

今回のブログでは、このCBRNE災害についてご説明します。

 

そして災害時に発生する特殊なストレス『惨事ストレス』について詳しく解説していきます。

 

 

今回のブログは以下の内容になっています。

1 コロナ禍は災害?

2 惨事ストレスとは

3 否定的な感情に惑わされない

4 不安を感謝に変える

5 まとめと次回のテーマ

それでは始めていきますね。

 

 

1 コロナ禍は災害?

新型コロナウイルス感染症って災害なの?」

 

こんな疑問を感じている方がいらっしゃると思います。

 

現に防衛大臣は、自衛隊に対して2020年3月28日に、水際対策強化のため、空港での検疫支援等の災害派遣を命令し、実施されています。

 

自衛隊災害派遣に出ているんだから、災害でしょ!?」

 

と感じるかもしれませんが、必ずしもそうとは言い切れない部分があるようです。

 

災害の定義は「災害対策基本法」の、第一章第二条第一項に記載されています。

 

 

災 害
「暴風、竜巻、豪雨、豪雪、洪水、崖崩れ、土石流、高潮、地震津波、噴火、地滑りその他の異常な自然現象又は大規模な火事若しくは爆発その他その及ぼす被害の程度においてこれらに類する政令で定める原因により生ずる被害をいう。」

 

 

と、定義されています。

 

具体的な災害が書かれていますが、この中には未知の感染症の流行という表記はありません。

 

ですので、基本的には災害ではないという認識になります。

 

実はわたし自身は「災害」という認識でいたので、当初の行政の動きには違和感を感じていました。

 

ただ、法律の定義にないのであれば、やむを得なかったのかもしれません。

 

政府自体もこの3年間、「災害」という定義に当てはめないで、各種施策を行っているようです。

 

 

こんな中で、医療や公安関係(警察・消防・自衛隊)の機関では、新型コロナウイルス感染症CBRNE災害と認識しているようです。

 

CBRNE(シーバーン)とは

 

・化学 (hemical)

・生物 (iological)

放射性物質 (adiological)

・核 (uclear)

・爆発物 (xplosive)

 

の頭文字をとったものです。

 

これらによって発生した災害をCBRNE災害といいます。

 

実は自衛官にとっては、「CBRNE」はなじみのある単語です。

 

災害ではなく、相手からのCBRNE攻撃を防ぐための手段である「CBRNE防護」を習いますからね。

 

こんな服や

 

こんな感じ

 

こんな感じの服を着て、防護します。

 


上のカーキ色のゴム製の防護服は自衛隊のもので、わたしも着たことがありますが、通気性が皆無で動きづらい上に、重い・・・。

 

って、通気性がないのは当たり前ですね(^^;

 

あったら大変なことになっちゃいますからね(^.^;

 

夏場は本当に堪えます…。

 

汗でびっちゃびちゃです(^n^;

 

 

こんな感じて対処するCBRNE災害。

 

東日本大震災原発事故も、CBRNE災害でした。

 

自然災害ももちろんそうですが、CBRNE災害に対処するのは、本当に骨が折れることです。

 

なぜなら、このような災害に遭遇した際には、”惨事ストレス”の影響があるからです。

 

 

2 惨事ストレスとは

惨事ストレスとは、Critical Incident Stress(非常事態ストレス)の意訳で、

「悲惨な事態を見た、聞いた、味わったときのストレス」

 

のことを言います。

 

 

東日本大震災以降、この言葉が広く用いられています。

 

 

惨事ストレスには、次の特徴があります。

 

・持続的で区切りがなく、身心に疲労が溜まり続ける。

・悲惨な状況に遭遇し、強烈なショックを受ける。

・先き行きが見えず、否定的な感情が増大する。

 

この3年間を思い返していただければ、上の3つの特徴に思い当たる節がたくさんあると思います。

 

流行当初は、先行きが見えず"不安"という、否定的な感情が増大したと思います。

 

それと共に、身体的にも精神的にも、何とも言えない疲労に襲われたと思います。

 

そしてコロナにかかり、たくさんの方が亡くなるというショッキングな状況に直面しました。

 

 

日本国民はもちろん、世界中の方々が惨事ストレスの影響を受けることになりました。

 

 

この惨事ストレスの影響により、自粛警察が発生したり、差別偏見が発生したり、デマやフェイクニュースが発生しました。

 

 

このような状況に対処していくのが、惨事ストレス対処になります。

 

 

この対処を誤ると、普段の何でもないコミュニケーションですら、円滑に進まなくなります。

 

ストレス対処やコミュニケーション要領のようなメンタルヘルス対策は、普段の生活では後回しになりがちなものです。

 

 

しかし非常事態においては、これが真逆になります。

 

惨事ストレスに対処し、心のつながりを持って円滑にコミュニケーションをとることが、安心感を生んで災害の復旧を促進します。

 

そこで惨事ストレス対処のポイントを、お伝えしていこうと思います。

 

 

3 否定的な感情に惑わされない

具体的な対処法をお伝えする前に、"災害"がどのような特徴を持っているか、ご紹介したいと思います。

 

実は自然災害とCBRNE災害では、その特徴が異なります。

 

次の表は、自然災害と原発災害の特徴を比較したものになります(※2)

 

 

表にある"原発災害"の部分は、CBRNE災害と置き換えても差し支えないと考えられます。

 

特筆すべき違いは

災害の時間的特徴

被災者へのスティグマ

心理的回復の方向性

 

です。(※スティグマ:差別や偏見などの否定的な扱い)

 

 

CBRNE災害の厄介なところは、

・反復的に被害があったり、

〔⇒コロナは第8波を迎えています〕

 

・被災者へのスティグマが発生したり、

〔⇒医療従事者や感染者への差別がありました〕

 

心理的な回復が、物理的な復興と乖離することです。

〔⇒コロナ禍では物理的被害はほとんどありませんでした〕

 

 

同じ災害でも、自然災害とCBRNE災害には違いがありますので、それにあった対処が必要になります。

 

 

このような違いがある中で、自然災害とCBRNE災害に共通した部分もあります。

 

 

それは、

『復興に時間がかかる』

 

ということです。

 

この時間がかかるという特性が、人間の心に否定的な感情を生みます。

 

 

いつになったら元の生活に…

 

 

災害のせいで人生が台無しだ…

 

 

なんで自分がこんな目に…

 

 

このような否定的な感情が、どうしても沸いてしまいます。

 

 

このような事に対処するのが、惨事ストレス対処です。

 

 

そして対処のポイントは

『否定的な感情に惑わされない』

 

ことです。

 

 

それでは、否定的な感情に惑わされないための方法をお伝えしますね。

 

 

4 不安を感謝に変える

否定的な感情に惑わされないためには、その根底にある感情の正体を、はっきりさせておく必要があります。

 

否定的な感情の根底にあるもの…。

 

 

 

それは不安です。

 

 

 

この不安のために、様々な否定的な感情が沸いてきます。

 

そして思いもよらないタイミングで、思いもよらない感情を抱いてしまうこともあります。

 

 

その具体的なシーンは、前回のブログでご紹介しました。

 

 

さらにその感情を抱いてしまったことに対する、

 

罪悪感…

 

自責感…

 

罪責感…

 

こんな感情に襲われたりします。

 

 

被災時にこれらの感情が起こるのを、回避することは不可能です。

 

不可避であるがゆえに、その対処法を知っておかなければなりません。

 

 

日本は災害大国です。

 

 

われわれ日本人がその対処法を知らないのは、日常生活を送る上で非常にリスクが高いと感じています。

 

このブログで具体的な方法をすべて説明することはできませんが、すぐにできる方法を1つお伝えします。

 

 

 

それは「感謝すること」です。

 

 

 

自身が被災した際に、

 

"手助けしてくれる方"

 

"復興活動をされている方"

 

そして、

 

"今まで何事もなく過ぎていた日常"

 

 

こんな風にすることで不安は和らいで、否定的な感情は起こりにくくなります。

 

そして、暖かい気持ちに包まれます。

 

前回のブログで、感謝のメッセージをお伝えしましたが、CBRNE災害にとどまらず自然災害の時にも、「感謝する」という方法は有効です。

 

コロナ禍は第8波。

 

まだもう少し、気の抜けない状況が続きそうです。

 

 

感染対策をしながら、お仕事をされている皆様

 

 

治療に対応して頂いている、医療従事者の皆様

 

 

そして、何事もなく過ぎていく日常

 

 

これらに感謝をしながら、この禍が収まるまで、淡々と感染対策を続けていきましょう。

 

 

5 まとめと次回のテーマ

今回のブログでは、CBRNE災害と惨事ストレスについてお伝えしました。

 

自然災害とCBRNE災害の違いと共通する特徴をご紹介し、そしてそれに伴って発生する"惨事ストレス"についてお伝えしました。

 

惨事ストレスの影響下では、様々な否定的感情に襲われますが、その根底には"不安"という感情がありました。

 

この不安に対処する1つの方法として、「感謝すること」をご紹介しました。

 

ただ災害は、この方法1つで乗り越えられるほど、甘いものではありません。

 

 

 

災害大国の日本で生活する上で、災害に対する準備は欠かせません。

 

 

 

まずは物の準備が必要です。

 

物がないと、生き抜くこと自体ができません。

 

ただ、災害後も人生は続きます。

 

その際に心の準備がないと、災害時の経験がその後の人生に大きな禍根を残します。

 

災害後も人生を心地よく送るためには、事前に「心構え」をしておく必要があります。

 

ただ「心構え」は、まだほとんど注目されていません。

 

わたしは自衛隊式で心構えをする方法を、セミナー形式で提供しています。

 

ブログの最後にHPのリンクを貼っておきますので、是非一度ご覧ください。

 

この一年の締めくくりに、災害の「心構え」について、ご承知いただければ幸いです。

 

 

 

新型コロナウイルス感染症、第8波のピークはまだ見えてきません。

 

感染対策の基本のキを継続し、不安を感謝に変えて、この波も乗り越えていきましょう。

 

 

次回のブログでは、先日の見学に赴いた「国立ハンセン病資料館」についてお伝えします。

 

是非ご覧ください。

 

 

災害の心構えセミナー

 

参考文献

1 心理臨床大辞典〔改訂版〕 氏原寛等共著 培風館 2013年9月
2 福島原発事故がもたらしたもの —被災地のメンタルヘルスに何が起きているのか— 前田正治編著 誠信書房 2018年6月
 コロナ禍における医療・介護従事者への心のケア 前田正治編著 誠信書房 2021年12月

 

参考資料

4 内閣府HP「災害対策基本法
5 e-GOV法令検索 「災害対策基本法
6 ウィキペディアHP 「災害対策基本法
7 「自衛隊による新型コロナウイルス感染症への対応 ― 自衛隊の災害派遣等における活動と今後の課題 ―」  水間 紘史(外交防衛委員会調査室)
8 福島県医師会報第80巻第9号(30.9) 視点「CBRNE災害

 

今週の体重

先週58.7㎏⇒今週59.2㎏

 

体重をアップする理由
【頑張らないダイエット③】 お手軽にも程がある!"超時短"筋トレ法

 

※令和6年3月15日:ブログの冒頭に「概要」を追加し、内容を校正しました。

 

 

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陸上自衛隊に15年勤務。レンジャー隊員。公認心理師産業カウンセラー

 

在職時は、年200件以上の面談に対応するカウンセラーの任務を行うと共に、隊員に対して災害派遣の心構え」を教育をしていました。

 

そんな自衛隊での教育や、自身の災害派遣の経験をアレンジして、現在は一般向けに「災害の心構え」をお伝えするセミナー講師。

 

 

『どんな災害も乗り越える』

 

その心構えを”自衛隊式”でレクチャーしています。

 

 

このブログでは、防災のこと、身心の健康、そしてちょっとだけ自衛隊の話を綴っています。

 

自衛隊での経験やセラピストとして学んだことが、皆様のお役に立てば幸いです。

 

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引き続き感染対策をして、安心安全の社会を作っていきましょう。

 

 

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経歴・資格など
ラクゼーションセラピスト、公認心理師(国家資格)、産業カウンセラー、元陸上自衛官、レンジャー隊員、上級体育指導官、予備自衛官(衛生官)